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見世物の役者としての現代のコロナ御用医師
学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
『エゼキエル書』
わたしはあなたがたをもろもろの民のなかから集め、
その散らされた国々から集めて、
イスラエルの地をあなたがたに与える。
彼らはその所に来ると時、
そのもろもろのいとうべきものと、
もろもろの憎むべきものとをその所から取り除く。
そしてわたしたちは彼らに一つの心を与え、
彼らのうちに新しい霊を授け、
彼らの肉から石の心を取り去って、
肉の心を与える。
これは彼らがわたしたちの定めに歩み、
わたしたちのおきてを守って行い、
そして彼らがわたしの民となり、わたしが彼らの神となるためである。
しかしいとうべきもの、憎むべきものをその心に慕って歩む者には、
彼らの行いに従ってそのこうべに報いる。
ジャック・アタリ『カニバリスムの秩序』より
ジャック・アタリの預言
ヨーロッパの現在の支配者層の重鎮ともいえるフランスのユダヤ系知識人ジャック・アタリは、1979年の彼の著作『カニバリズムの秩序』の中で、医者という存在について次のようなことを言っています。
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医者は今や、新たな、抽象的な、合理化された権威に服従することになる。
医者は規格化された見世物の代役可能な役者に過ぎないものとなる。
彼は知の保持者であること、必要な治療者であることをやめ、何の奥義もない、集中化された知の依託販売人に過ぎないものとなる。
彼はもはや、彼の行為を強制するプログラムと病人との間の規格化された仲介者に過ぎず、衛生、栄養、行動に対する遠隔監視の自動化された代理人に過ぎない。
彼の処方箋は薬学的なものであることをやめ、全体的な、世俗的で、文化的なものとなる。
コードのシーニュp330
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56486121/picture_pc_5c740de45d8bb91579ad08480aa7b7d0.jpg)
もう40年以上前の著作ですが、もし現在のコロナ・パンデミック、コロナ禍が、世界の権力者集団によって作られた見世物に過ぎないのであれば、彼らが私たちを支配するために作り出したプランデミックだとしたら、彼のこの発言は、見事に現在世界で行われているこの茶番を奇妙なほどに上手く表現していると考えざるを得ません。
先月のネイル・ファーガソンが彼の仲間に宛てた文書のリーク情報がもし正しいのであれば、ジャック・アタリの40年以上前に示したこの医師論が、現代社会にあって見事に現実化されたと見なさないわけにはいきません。まさにユダヤの預言者のようです。
もちろん、彼のこの預言は、実際は予告のようなものであると見なすのが普通ではないかと思います。
見世物の代役可能な役者としての医者
高い学費を払ってやっとその身分を獲得した日本のお医者さんたちの中には、ジャック・アタリが指摘するような「見世物のための役者」として、テレビ番組に出演し、政府の要職について、コロナ・インフォデミックの拡散に努めている人もいるのかもしれません。
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![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/56487205/picture_pc_a748933e993af3b1758a5b5bdb840703.jpg)
もし、イギリスでリークされた情報が正しいのであれば、新型コロナウイルス感染症対策文科会長の尾身茂氏も、専門外であるにも関わらず、コロナについて何度もテレビ出演されていたノーベル生理学・医学賞受賞者である山中伸弥氏も、もしかすると、見世物のための役者に過ぎないのかもしれません。
病院に、そして社会に、医師の他に、やはり彼らもまたサラリーマンではあれ、病いに対する関係の新しい役者が登場する。監視機械の、そして治療プロトコルの取扱者としての、情報科学者、遺伝学者、生物工学者たちである。
患者はまず、助手のような人々によって選別され、急患用の施設か、長期療養用の施設かに振り分けられる。病気であるとは、もはや故障に苦しむことではなく、苦痛をこうむるかもしれないことを自ら知ることであり、自発的にであれ、過失によってであれ、経済的な生の型からはずれてしまったことである。それはさらに自らの素質に無知であること、モデルのコピーを拒否することに他ならない。告知された悪の病気としての具体化を阻止するために、諸個人は、自分の身体のいくつかの主要要素を見守り、それを多くの変数規範(血液、心臓、動脈等に関する)に比較する術を学ぶ。専門家という柵が取り払われた暁には、誰でもが、物質的な形でか、あるいは磁気テープという形でか、いずれにせよ、最新化され、規格化された医療書類を、生のパスポートを自分自身で保持することになるだろう。アメリカではすでに、1973年以降、2500人の子供たちに、測定しやすく、それ故、見比べやすい、生の型のいくつかの簡単な規範(食事、血圧、体型)の入ったパスポートが配られている。
ジャック・アタリと『エゼキエル書』
「主なる神」はこう言われる、人の子よ、諸種の鳥と野の獣とに言え、みな集めてこい。わたしがおまえたちのために供えた犠牲、すなわちイスラエルの山々の上にある、大いなる犠牲に、四方から集まり、その肉を食い、その血を飲め。おまえたちは勇士の肉を食い、地の君たちの血を飲め。雄羊、子羊、雄やぎ、雄牛などすべてバジャンの肥えた獣を食え。わたしがおまえたちのために供えた犠牲は、飽きるまでその脂肪を食べ、酔うまで血を飲め。おまえたちはわが食卓について馬と、騎手と、勇士と、もろもろの戦士とを飽きるほど食べると、主なる神は言われる。
コードのシーニュp385
エゼキエル書39章17-20
ジャック・アタリの思想は、エゼキエル書に見られるカニバリスムを思わせる啓示に執拗なほどに固執しています。
ヨーロッパにおいて、「知の巨人」と形容される彼は、「カニバリスムの秩序」のラビであり、彼自身のユダヤ教の解釈のために世界を予測し、設計し、監視し、支配しようとしているように見受けられます。
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最後に
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