秘密結社とブランキ主義
今回は浅野研真の著作『インターナショナル発達史』(大正14[1925]年)の>第二章 インターナショナル前史 >4 ブランキの運動 を紹介します。一部現代語調に直しています。
ブランキの運動
1833年に『人権結社』 Société des droits de l'hommeが設立され、その後、1834年に『復讐者の結社』Société des vengeurs、『家族結社』、35年に『季節結社』となったようです。
『義人同盟』Bund der Gerechtenは、正義者同盟とも訳されます。義人同盟はフィリッポ・ブオナローティの抗争に基づく『追放者同盟』Bund der Geächtetenの分派の一つが1836年に結成された義人同盟になります。著名な指導者にはヴィルヘルム・ヴァイトリング、ブルーノ・バウアーなどがいました。後にカール・マルクスも参加し、その後、義人同盟は1847年にロンドン大会でエンゲルスがブリュッセルで開設した『共産主義通信委員会』Kommunistisches Korrespondenz-Komiteeと合併して、共産主義者同盟Bund der Kommunistenになりました。
ブルーノ・バウアーの1843年の著作『ユダヤ人問題』は、カール・マルクスの『ユダヤ人問題によせて』によって批判されます。
【個人的見解】
ブランキは1834年に、彼の発行する新聞Le Libérateurの中で新聞に「団結、平等、友愛」をモットーとしていると書いています。ブランキの思想はあまりはっきりしない部分もありますが、少数精鋭によって革命を起こし専制的な独裁体制を構築することという点は様々な資料から見られます。日本にある資料からは、「少数精鋭の「秘密結社」による革命」という表現が目立ちます。
実際にブランキ主義は秘密結社によって革命を実現させようとしているという点では明らかに正しいと思われます。
また、ブランキ主義は、マルクス主義が成立するために必要な条件であると考えられているのではないかという推論も可能なのではないかとも思います。
戦後日本はマルクス主義が礼賛された時代と捉えることもできるでしょう。これは同時に裏面でブランキ主義の存在があるのではないかと個人的には思うわけです。
日本共産党はかつて秘密結社として活動していましたが、そういった極左社会主義のみならず、今日のリベラルや保守と呼ばれる思想も、実はブランキ主義の影響下にあると捉えるのが案外に普通のことなのではないかという気がします。
自民党による政治も、民主党による政治も、どこか裏で口裏合わせしたような、統一性を帯びています。何か知らない組織の計画や陰謀に沿って政策が決定しているのではないかとも思えるわけです。
ここで敢えて陰謀というのは、ブオナローティの著作、『バブーフのいわゆる平等のための陰謀について』という著作から、本人たちが既にそれを認めているという意味です。
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