見出し画像

【文】お酒と神を感じる日

10月に入り、
秋から冬へと
移り変わりを感じる
季節になった。

ビジネスの活動と並行して
日本文化などの、
カルチャーに関わる活動も
継続している。

日本には、四季折々、
様々な式たりや考えがあり、
それらを知ることで、
自分の感性を磨くことができる。


10月1日は
日本酒の日だったとのこと。

元々、実家は
酒つくりをしていたこともあり、
お酒にはご縁のある人生。

今回は、
お茶席で伺った話をまとめる。


■ なぜ日本酒の日がこの日か

画像1

日本では日付けを表す記号として、
12種の動物にたとえた「十二支」を用いている。

その10番目にあたる「酉」は、
日本では「トリ」と読まれるが、

元来壺の形を表す象形文字で
「酒」を意味しています。

10月は新米を収穫し、
酒づくりを始める季節。

その為10月1日が酒造元旦と言われてきた。

日本の國酒である日本酒を
後世に伝えるという思いを新たに、
「10月1日は日本酒の日」ということが、
1978年に定められた。

日本では、
祝いの席では食事の初めに
「乾杯」を行う慣習がある。

「乾杯」には、
神様の前で人々が心をひとつにするという
願いが込められいる。

日本酒の日は、
”神”と日本人が通じる日でもある。

■ 日本人が感じる”神”

画像2

日本は「八百万の神」がいる
というように、
どのようなものにも神が宿っている
という思想がある。

日本人は、稲作文化を中心に発展し、
お米は特に重要なもの。
米は神様からの恵みであり、
その一粒一粒に神様が宿るとされている。

それだけ大切な米と、
澄んだ水、
そして自然の作用である発酵から成る
日本酒は、神様に捧げるにふさわしい、
最上級の捧げものと考えられた。


稲作文化を中心にしていたため、
稲にも神様がいて、
その稲の神様は「サ」の神と
呼ばれています。

日本の神話として記された
「古事記」や「日本書紀」とは別に、

それよりも古くから
信仰されているため、
あまり知られていないことも
あるようですが、

「サ」の神は、「サ神信仰」などの
信仰もあり、
それは、ぼくたちの生活にも、
多く溶け込んでいる。


例えば、国名の
「サガミ・サヌキ・サド・サツマ・
トサ・カズサ・シモフサ・ワカサなどは
その名残である。

また、
「サカキ・サケ・サクラ・
サツキ・サナエ・サオトメ」などの
「サ」は、
全て稲の神霊を指すものである。

そして、「シャガム」という言葉は、
サオガム(サ拝む)から変化し、
サ神を礼拝する姿勢から生まれた
言葉である。


現代のぼくたちの生活にある、
「お花見」の慣習。


この慣習も、
サ神信仰に深く関連している
と考えられている。


これは、サ神は、
田の神・稲の神・穀霊であり、
田植えの頃に、

山から里に降りて来て、
サクラの木に宿り、
耕作が終わると山へ帰ると
考えられているから。


サは、サの神。
クラは、「座」と書いて、
神座の意味。

つまり、桜とは
サ神を迎える依代(よりしろ)、
要するに、
神様がいらっしゃる場所になる。

桜は、
穀霊の籠もる花として、
農耕生活には、
重要な花と考えられていた。

桜の花が早く散ると、
神の力が衰えて凶作になるので、

農民はサクラの花の下で酒宴を催し、
歌や舞でサ神をもてなして
桜が散らないよう神に祈る。

これが花見の起源である。


実は、
花見はそのような神事だった。

このような信仰が受け継がれ、
ぼくたちは、
「花」と言えば桜を連想し、
いまだに花見を楽しんでいる、
というのである。


サの神様は、
桜の木に「座って」しばらく里にいて、
桜が散る頃に、
雪解け水のきれいな川沿いに、
土筆(つくし)などの若芽に命を吹き込む。

神様の与えた命で、
植物は強く育ち、
人々に恵みを与えてくれる。

植物が育つために
重要なものが「水」です。

神様がいらっしゃった
桜の花びらが
散って水辺に浮かび、
その水は浄化されます。

東京では、
皇居周辺や神楽坂など、
川のほとりに桜が植えてあるが、

水辺に桜を植えることによって、
桜の花びらが散って
水に浮かぶことによって、
そこの水も浄化すると
考えられていたのです。

神様が与えた命に、
神様が座った花びらで浄化された水、
まさに、
日本の神様の力の結晶であり、

お酒には、
そのような力が宿っているため、
神聖なものと考えられているのです。


■ お酒と食事

画像3

稲の神様のお食事は、
「サ」の「餉(ケ)」であると考えられ、
それが要するに「酒」となっている。

そして、神に捧げるお酒のことを、
「御神酒」と呼ぶ。

「御神酒(お神酒/おみき)」を
辞書で引くと
「神前に供える酒」とあります。

古来、神事や祭礼など
特別な日には、
「神饌(しんせん:神様に献上する食事)」の
ひとつとして
日本酒をお供えする慣習がありました。

神前に供えられたお酒には
神霊が宿るとされ、
祭礼のあとに“お下がり”として
ふるまわれることで、

神と人とを結びつけるという
意味があるといわれています。


人は、酒に酔うと意識が高揚し、
気分が良くなったり、
陽気になったりします。

古代の人々はこういった効果から、
酒を神秘的な飲み物と捉えました。

「お酒」を「清らかなもの」、
「神様の領域に近付けるもの」と
捉えており、

日本に仏教が伝来する
大和時代(538年)より以前から、
神様にお願いをし教えを聞く「神事」が
暮らしの中に浸透しており、
その場面には、
「御神酒(おみき)」が存在しました。


更に、古来の日本では
酒を造る行為そのものが神事として
行われていたそうです。

酒造りの工程毎に、
専用の祠(ほこら)が用意され、
造りの最中は
祝詞を読み上げながら
執り行ったこともあるようです。

酒造りは、
自然を生み出す
神様への敬意を示すという
儀式としての意味合いも
込められていました。

そして、
「御神酒」は神様に供える
食事のなかでも最上級のもので、

神饌のなかでも
特に重要なものとして扱われて、
神棚の最上段の中央に
置かれるのが決まりです。

大切なお米・澄んだ水・発酵から
生まれる日本酒は、
神様に捧げるにふさわしい、
最上級の捧げものである
と考えられました。


■ 式三献の食の儀礼

画像4


日本には、飲酒作法にも、
儀礼的な作法が存在しています。

それは、饗宴に先立って行われる
「式三献」という酒礼です。

この「式三献」の儀があって、
宴会が始まると位置付けられています。


「駆けつけ三杯」という言葉は、
もともと、
武士の行う酒宴の作法にあります。

この三杯の根拠が、
式三献の三巡する盃から
来ているのではという
説があるように、

遅れてきた者が
三杯飲まないと宴会に参加できない、
という罰ルールも、
何となく式三献に通じる印象を
感じると思います。


式三献がハッキリと残っているのは、
結婚式の「三三九度」の盃。

新郎がまず一の盃を取り上げると、
酌人が三回酒を注ぐ形を取ります。

新郎が飲み干し、
新婦に渡されて同様に飲みます。


一の盃が盃台に納まると、
二の盃は新婦から新郎へ戻って納まり、
三の盃はまた、
新郎から新婦とめぐって納まります。

一つの盃ごとに、
三回ずつ飲み干され、
一より三の盃まで三巡するので
「三三九度」と呼ばれています。


「式三献」も、
「三三九度」と基本的には同じで、
主客より一同の間を一の盃が
一巡して、一献となります。

以下、
二献、三献と続きます。

三三九度との違いは、
一献ごとに肴が替えられます。

武家故実(決まりごと)では、
第一献の肴に「雑煮」を出します。

三三九度では、
二献の肴が雑煮を出します。

正月元旦の屠蘇(とそ)の肴に
雑煮を食べるのは、
式三献の名残であるようです。


日本人は、なぜ、
巡盃にこだわるのでしょうか。

日常的な和食の世界では、
食器は個人に所属することが
原則だったようです。

箸、飯茶碗、湯飲み、箸など、
最も日常な食器は、
自分のものでないと
落ち着かない感じがするのは、
ぼくだけではないはず。


この、食器は個人に所属するという
伝統的な原則を破って、
食器などを共にする人は、
もはや赤の他人ではなく、
身内であることの象徴となります

ここに同じ盃を巡らせる
意味があります。


日本人の間で、
第一のしかも主要な礼法であり、

内心の愛情と
友情のしるしとなるのは
盃のこと。

それは互いの心を
一つに結びつけるしるしとなり、
また二つの魂を一つにするしるしとして、
同じ盃で互いに飲み交わします。


巡盃の目的は5つあります。

第一は礼法と友情のしるしです。
相手が飲んだ盃が巡ってきたとき、
これを受けなければ、
それは敵意や、
交際したくない気持ちの表現として
受け取られます。

逆に仇同士が巡盃すれば、それは和解の意味となります。


第二の目的は、忠誠を誓う場合です。
仲間同士で陰謀をたくらんだり、
同盟を結んだり、
忠誠をたがいに誓うとき、
指を切って取った血を数滴加えた
酒を飲みます。

そのほかには、
第三は、
祝い事における喜びの表現です。
第四は、
別れの盃で、遠方へ旅立つ人と盃を巡らせます。
第五は、
死に際した盃で、親族・友人と
別れの盃を交わして挨拶としました。

 
以上をまとめると、
日本人は、あらゆる円満解決と
人間の結束に、
「酒」を用いていると考えられます。


酒には、たった一つの役割を
持たせることは出来ません。

儀礼の上でも、
このような役割をもっているため、
社交においても
同様の役割がお酒に期待されている
ように思います。


神にあげる食事は、
その土地でとれる最高のものや
味のよいものなど、
人間にとっても
価値があるものを捧げるとされています。

水や塩など、
人間が生きていく上で
必要不可欠なものから、

野菜、魚、食材などから
調理されたものなど、
その種類は地域によっても
異なります。


稲作を中心に栄えてきた
日本では、地域を問わず、
米と、米からつくられる酒と餅の
3つは特に重要なものと
考えられています。 


お供えしたものをいただくことを
神と人が一体となる、「神人共食」と言います。

「直会(なおらい)」の語源を、
「なおりあい」とする説があります。

神職は祭りに奉仕するにあたり
身を清めるほか、
通常の生活とは異なる、
多くの制約があり、
「直会」をもってすべての行事が終了し、
もとの世界に戻るとされています。

「もとに戻る=直る」という意味合いを
持つことからも、
直会が祭典の一部であることがわかります。


“ 御神酒のあがらぬ神はなし ”

毎日のお供えから
特別な日のお祝いまで、
神様と酒は切っても
切れない関係にあります。

10月1日の日本酒の日には、
日本に生まれたこのご縁を感じる
特別な機会に、

神の恵みに対する
感謝の想いを込めてみることも
いいかもしれません。

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?