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無駄なことに時間を使う

最近私は友人と手紙を送り合っている。青空みたいな透き通った便箋に、私にしか書けない字で言葉を綴る。ちょっと豪華にシールなんかも貼って、折れ目ひとつない封筒に入れたら完成。「ああ、返事が楽しみだな」と友人の顔を思い浮かべながらポストに投函する。

なんていう美談が書ければよかったのだけれど。

私が手紙を送っている相手は、高校時代の友人だ。頑張ればチャリで会いにいける距離に住んでいて、なんなら週一ペースで会っている。というか、毎日ラインをしているほどの仲だ。

そんな友人が、ある日私に手紙をくれたのだ。なんの前触れもなかったから、私は心底驚いた。直接会うんだから直接渡すわ戦法で、友人はその場で手紙を手渡した。
もしこれが重要な手紙だったら…?「余命あと1年です」とか突然告げられたらどうしよう。いやだそんなの信じたくない。まだ遊び足りない。笑い足りない。いやだいやだいやだ…。

なんて考えることはありませんでした。

友人がくれた手紙は、「The小学生」という雰囲気が漂っていて、小学生の頃だったらお宝にしていたかもしれないファンシーなクマの封筒に、勉強机の奥から出てきたんかな…と思ってしまうような色褪せたうさぎのシールが大量に貼ってあった。余命宣告を告げるのにはどう考えても似つかわしくない手紙だったのだ。

「…?ありがとう?なにこの手紙」
「便箋、封筒、シールが大量に出てきたから消費手伝って。中身はしょーもないことしか書いてないよ」

というわけで、友人と手紙の送り合いが始まったのである。

家に帰って手紙を読んでみると、本当にしょうもなくて笑ってしまった。便箋5枚くらいに、友人の好きなアニメや漫画の話、推しの話、バイトに行きたくない話がダラダラと綴られていた。手紙というより、友人の独り言のようであった。

「やることたくさんある時にこういう無駄なことするの楽しい」
と手紙には書いてあった。だから私も、友人へ手紙を書く時は「やることがたくさんあるとき」にしている。やることがたくさんあって、脳内がパンクしそうで、「あーもう寝たい!」と叫びそうになったら、手紙を書く。
そうすると、頭の中でバラバラに散らばった「やるべきこと」が「これは明日まで」「これは急ぎじゃない」「これはゆっくり進めていく」というように、分類分けされていく。結果、何をすべきか順序が見えてくるのだ。絡まった糸が、引っ張っると真っ直ぐになるかのように。

無駄なことに時間を使うのは、本来好ましくないのかもしれない。ラインでも伝えられることを、わざわざ手紙に書いて手渡しするなんて、今の時代では無駄なことなのかもしれない。
けれど、そういう無駄な時間にも頭はしっかり動いていて、なんなら無駄な時間を費やす事ことで物事の輪郭を捉えられている。

友人は今も、課題に追われながら手紙を書いているのだろうか。だとすればやはり、似たもの同士だ。

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