パパはシーラカンス

いつも探している。
ここではないどこかを。
ただそのどこかなんて分からないから。
いつまでも現実逃避だ。

目標を決められないから、
漠然と「資格でもとろうかな」とか、
目先のことにとらわれる。

たぶんやりたいことと
やるべきこと、ちゃんと見据えていなかったら
資格を取る勉強だって、社会人モラトリアムみたいな、
不確かな夢をみるだけなんだろう。

資格じゃない、
地位じゃない、
実績じゃない、
今何に夢中になっていて、いま自分がどれだけ動いているかなんだ。
自分が知りたくて、やりたくて、もう結果でもなんでもない。
そういうことに正直になれないまま、
ちゃんと向き合わないまま30年はすぎたんだろう。

あれはおれ16歳
遠い空の向こうに憧れることも知らなかった。
欲しいものをちゃんと欲しがることができなかった。

あのときのままだ。
今の仕事の枠組みのなかで、自分の居心地だけ良くしようと
猪口才なことをしている。

いつかでっかいことしてやろうなんて、
そんな歌詞に憧れていた。

いつだってあの歌のように
「旅に出る理由は、ここじゃどうも息がつまりそうになって」
目の前から逃げそうになって
また踏ん張って

シーラカンスに連れってくれないかって
歌ったミスチルのあの歌は、
ほんとどこかに行ってしまいたいっていうカタルシスだったのか、

今の職場に一番長くいるので
僕がシーラカンスだ、誰かを連れってあげれる人になれたらな。
逃げ癖は変わらないだろう、
だから逃げ方も、逃げたい気持ちもわかるから、
ちょっと頑張ったその先にには連れっていってあげられるかもだ。

ちょっとはリスペクトされる
シーラカンスになっているのかもしれない。

#仕事について話そう

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?