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女神とテツコの部屋と、聖なる歌声と。

 人類とは連想ゲームが大好きだから、ちょっとでもモヤっとすることが起きたらすぐに昔の嫌なことを思い出します。そしてあの時ああしていればと、不毛な反省が始まります。意味が分からないしクソ怠い習性だと思ったので、今日はちょっと私の人生におけるよい記憶だけをまとめて悦に浸りたい。

 自分を満たすためという目的です。そうこれは、ワイの、ワイによる、ワイのためだけの自慢話です。どうぞよろしく。

※筆者の主観で書いておりますことと、登場人物の特定を避けるため、事実と異なることが多く含まれる場合がございます。

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 私、文章を書くのと同じくらいに歌うことが大好きですの。音楽は習いごとから始まったのですけれど、でもそれはエレクトーンでございましたし、お歌のレッスンではなかったのでございます。じゃあなぜ、結構マジの本気で歌うようになってしまったのか。そこには大変素敵な出会いが関わっているのでございますわ。人生様々でございますけれど「もうなぜこのタイミングなのかしら!?」と、定期的に起こる世界の乱数調整に対して悲観的になってしまう私でございますので、ここに私と音楽に関わった数々の豪運を綺麗におまとめしておきたいなと思い至りましたの。そういうことですので、お手すきの方はしばしお付き合いくださいまし。



女神の降臨


 女神とはお母様の職場で初めてお会いいたしましたの。私の齢は6歳くらいだったと記憶しておりますわ。それはお母様のお仕事のお仲間方の交流会か何かでしたわ。たくさんの真面目そうな、かしこまったご様子のお方々が多い中で、幼い私は人見知りを発揮しておりましたの。お母様の横を離れずにいたのですけれど、急にお母様がおっしゃいましたの。

「あちらに女神がいらっしゃるわ。挨拶なさい」

 なんですって。何から何までよくわからないのです。こんな大人の方々のあいまを通り過ぎて、お母様のそばを離れて、挨拶に行かなければいけないなんて。しかもお相手は女神ですって。なんですの女神って。どの神話がもとになった、どの世界観の女神なのかもよくわからなかったですのよ。こんな子どもが下手な挨拶をしていいお方なのかしら。私は一瞬にしてパニックですわ。でもお母様を含めた周りの大人方はすごく楽しそうですの。

「いいチャンスよまつ子ちゃん。今挨拶しなさいな。きっと楽しいわよ」

 なにがどう楽しいのでしょう。皆目見当もつかないまま、ちょっと離れたところで動きがあって女神が直々に私たちの方にいらしたの。

 そうしまして、女神と私は初めて対面するに至りましたの。以下、その時の女神のお言葉ですわ。私の記憶している原文ママですわ。

「あー!一ノ清さんとこのお子さんですか!?わー、じゃあ一緒に歌いましょう。おおブレネリ、あなーたの、おうちはどこー?ハイッ」

 女神、急に歌いだし始めたのですの。私はさらにパニック、だって歌いだしたその曲、童謡っぽい雰囲気を感じましたけれど全く知らない曲でしたのよ。それを急に「ハイッ」と言われて入れますでしょうか。いいえ、無理にございます。パニックの幼い私をおいて、大人方は大笑いの大盛り上がりでした。あの場の盛り上がりは女神の御業だったのかしら。

 女神の私の人生への登場の仕方は本当に衝撃でしたの。それまで私が見てきた大人方って、どのお方も真面目で控えめで、かためで厳しいイメージの方々ばかりでしたから。それが、「こんにちは」の挨拶もそこそこに歌いだしてしまうなんて。しかもマイナーな童謡。何もかもがぶっ飛んでいて、それが幼き私の何かをぶっ刺したらしく、私は「お歌がうまい大人」を目指すことになったのですのよ。人生で初めて「こうなりたい」と具体的に目標にしたお方が、女神だったのです。子どもにウケるお歌の上手な女神という、とんでもない方を目標にしてしまったのが幸か不幸か、最近では私と目が合うだけでお子様は泣き止むのでございます。

 女神と初めてお会いしてから約10年後、私たちは再会を果たしました。女神は本当に女神さまでしたので、何の変化もなくお美しいままでしたわ。そして「女神」のもととなったのはよく聞くヴィーナスではなくミューズでしたのよ。そう、ミュージックの語源と言われているミューズでございますの。私は本当にとんでもない方と出会い、とんでもなく大きく影響を受けて育ちましたの。


テツコの部屋と美女の歌声


 私の通った中学校には、テツコの部屋と呼ばれる場所がありました。私が入学したばかり、つまり中一の頃、音楽の先生はお二人いらして、うち一人がテツコ先生でしたの。テツコ先生は主に第二音楽室をお使いになっておられました。とても厳しい先生でした。中学生というのはだいたい、音楽の授業なんてなくてもいいなんてあんぽんたんな態度なのですが、テツコ先生はその態度をお許しにならなかったのです。特に合唱の練習中にへらへらしていたら、すぐに第二音楽室横の準備室に連れていかれてしまいます。そうしましたら、どんなに肝の座ったガタイのいい男子生徒でも泣いて出てくるのですよ。第二音楽室横の準備室、そこが例のテツコの部屋ですわ。テツコの部屋でどんな生徒指導が行われたのか、詳細を知る者はいません。なぜなら、テツコの部屋行きをくらった生徒は誰も口を割らなかったからです。

 へらへらする舐めた生徒には厳しい先生でしたけれど、一方で生徒の様子を注意深く観察していらっしゃったみたいですの。先ほどもお書きしたように、中学生というのは音楽をだいぶ下に見て舐めてらっしゃる存在ですから、合唱コンクールに向けた練習も全くしない。全くしないどころか、がんばって練習をする数少ない希少な生徒をバカにしてしまう。そのような環境ですと、どんなに真面目で素敵な生徒だって萎縮して歌いたがらなくなる。それでも一部の音楽を愛してやまない生徒たちは、自然と伴奏者の席をめざすことになるのですわ。でも伴奏者の席はどのクラスも一つときまっているので、それはそれは激しい競争が繰り広げられるのですわ。私のクラスもそうでしたの。私も一応、ピアノを弾ける生徒でしたけれど、汗も涙も、時には血も飛び散るようなバトルは早々とお断りいたしましたの。それを見つけたのが、テツコ先生ですわ。

「まつ子さん、あなた今日の放課後、部活に行く前に第二音楽室に来なさい。いいわね?」

 テツコ先生がこれをおっしゃたとき、私は二年生でしたの。一年生の時にいたもう一人の音楽の先生は離任なさったから、第二音楽室は空き教室になっていたはずだったのに。私、もしかしてテツコの部屋行きですの……?でも、音楽の授業はどの授業よりも真面目に受けてましてよ……?たまに先生の正式な許可なくピアノをかき鳴らしてしまったことがあるくらいでしてよ……?でもそれってテツコの部屋行きになるほどの重罪なのかしら……?私は不安と不安と、それから不安を抱えて放課後第二音楽室に向かいましたわ。

 第二音楽室はプレハブみたいな教室でして、途中に中庭がありました。そこで学年一、いや学校一の美女だと噂されていた子がいらしたの。私が中庭に到着した時、一瞬クエスチョンマークを浮かべたのですけれど、彼女かなり頭も勘もよい子でしたのですぐに何かを察して顔が明るくなったのですわ。

「そっかぁ、まつ子ってピアノ弾けたよね!」

 なんのこっちゃですわ。私はテツコの部屋行きを覚悟してきていましたから。ちょうど、テツコ先生が第二音楽室から出ていらしました。

「来てくれてありがとう。さあまずはあなた」

 テツコ先生は真剣な顔で、美女の顔を見ました。(以下、ディズニーの「美女と野獣」からとってベルさんとお呼びします)

「ベルさん。私は練習を始める前に『自分で伴奏者を連れてくること』と条件を付けましたね?でももう、待っていられないので、今回はこのまつ子さんに頼むことにしました」

 ちょっと責めるような言い方をしていたのに、それに反応せず、ベルさんはずっと明るい表情でした。テツコ先生は今度は私に向き合いました。

「まつ子さん。あなたのクラスでは伴奏者が決まるまでにだいぶかかっていましたね。気を利かせて下りてくれたみたいで、感謝しているわ」

 先生それは誤解です。私は普通に合唱曲を歌いたかっただけなんです。だって私の目指す場所は女神なんですもん。そんなことを私が言い出す前に、先生は先を続けました。

「でも私、正直もったいないなと思ったのよ。そこでベルさんの伴奏よ。ベルさんは市町村の合唱コンクールに独唱の部で出る予定なの。この子は地区代表までは確実に進むわ。まつ子さん、市町村コンクールも地区のコンクールも、同じ会場で行われるのだけれど、それはどこかわかるかしら」

「え、隣町のホールですか?」

「そう、そこよ。そこにはね、世界一のピアノがあるの。それはめったに弾かせてもらえない代物よ。市町村のコンクールでは使われないわ。けれど、地区のコンクールでは使われるの。私は、あなたに、ぜひその世界一のピアノを弾いてほしいと思っている」

 なんですってー!この私があの世界一のピアノをー!?

 どこのラノベの展開だよ、とツッコミが聞こえてきそうですけれど、これはマジのマジな話ですわ。先生はクラスの伴奏者に立候補しなかっただけでなく、「でっけえくち開けてクソ必死やん、ダッサ笑」みたいな悪口をいわれながらも合唱練習に励む私を見て、少し心配していたらしいの。だから純粋に私のピアノの技術だけをみて声をかけたわけではないようでしたけど、それでも「まさか私が!?」過ぎてとっても嬉しかったのですの。世界一のピアノを弾けることもそうだけれど、それよりもベルさんの練習を間近で見られる権利を得られたのが。

 ベルさんって、容姿端麗に加えて成績優秀、運動神経抜群、さらにプラスして、ありとあらゆる分野で持ち前の個性とセンスを輝かせるという、とんでもない美女でしたの。もちろんお歌もすごかった。一年生のクラスはベルさんと一緒でしたの。それで彼女、合唱は個性出しすぎたらアレだからと、わざとみなになじむ歌い方をすることをしていたんですけれど、たまに我慢できなくなったみたいでとんでもビブラートをかましていらしたの。それを聞いて私、おったまげたのですよ。ですからあのベルさんの練習を見られることは、女神を目指して生きる中学生の私には身に余る幸運でしたの。

 結局彼女はきっちり地区のコンクールまで進みました。その歌声は隣町まで響き渡り、ベルさんはしっかり有名人になりました。私はというと、先生には申し訳ないのだけれど世界一のピアノの弾き心地や伴奏の運指はすっかり忘れた癖に(第一、エレクトーンを専門としていた時期が長くて、ピアノの善し悪しが図れなかった)、ベルさんの練習とその歌声は忘れられずに、今でもふと思い出して歌うようになりました。

 ひとくちに「歌」と申しましても、ジャンルによって発声など様々に違うらしいのですが、ポップスやロックを歌いなれてしまう前にオペラっぽい(ベルさんの独唱曲のもとはオペラでしたの、でもベルさんの練習なさっていた発声がオペラ式かどうかはわからないですわ)そういう発声の仕方に慣れたのは、結果として良いことだったみたいですわ。ほらKing Gnuの井口さんも、合唱部でしたでしょう?

 何時間歌ってもぜんぜん声がかすれもしないのは、この、中学生という若いころからベルさんの真似をしてこそ練をしてきたせいなのかしらと、思ったり思わなかったり。


そしていま


 今の私は、色々あって「どうやったらそんなうまくなるん?」と何人かに聞かれるまでには成長いたしましたわ。私はこういう経緯で歌を独自に学んできたので「どうやったら」と聞かれましても「まずは真剣に合唱曲の練習に励め」と何の面白みのない答えしか出ないのですけれど。でも途中には女神やら美女やらテツコの部屋やらでてきて無駄にきらびやかでしょう?こういうの定期的に思い出しておかなくちゃ、天より召された乱数調整に嘆いてばかりでイケないわね。

 そういうことでふざけた備忘録でしたけれど、いかがだったでしょうか。最近YouTubeにショート動画を上げることにも挑戦してみております。気が向いたら覗いてくださいまし。


 皆様も、マイナスの方の乱数調整がきてやんなっちゃったときはお嬢様言葉でエッセイ書いてみてくださいまし(めちゃくちゃ疲れるのでお勧めしません)。

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