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映画雑談|映画、そして恋人との暮らし
こんにちは。
映画大好きまにしです。
noteをはじめて1年が経ったらしい。
どうせいつか死ぬ人生、日々感じたことを文章に残していて、悪いことはひとつもない。と思う。
ところで、5月は1日も投稿をしなかった。
なぜなら、素敵な恋人ができてしまったからだ。
毎日が目まぐるしく、少しぼんやりするくらいぐるぐるとしていて、なのに心は穏やかでうきうきとしていて、なんだか変な気持ちだ。
恋人は私によく似た人だ。
グザヴィエ・ドランやジム・ジャームッシュ、ヴィンセント・ギャロが好きで、世界の見方がよく似ている。特に、孤独の感じ方に対しては共感できないところがないくらいだ。
たとえば夜、独りで眠る怖さについて。
大きなベッドの隅で眠るヴィンセント・ギャロがとても寂しいと話した。
あるときは、『パターソン』の話をした。
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集を買ったと話す恋人に、劇中でパターソンの妻・ローラが話すように“カーロス・ウィリアム・カーロス”と言ってみた。
映画の通り怒られたのがとても嬉しかった。
どうしてこんなに私の見えている世界が恋人にも見えているのか、はじめはとても不思議だった。
いまだに、「“ルビー・スパークス”でも見ているのかしら…」と不思議に思う。
好きな映画や本の話を何時間でもしていられた。
週末は各々好きな飲み物を持って、気分の映画を一緒に観る。
毎日数行の日記をつけては見せ合った。
お互い、感じたことを言葉にするのが好きだった。
noteにひとり、アウトプットしていた気持ちが全て共有できた。心地良すぎて、私はnoteをサボった。
6月になってまたここにきたのは、冒頭で書いたとおり。
恋人を通じて文章に向き合ったことで、より、日々感じたことを文字で残し、かつそれを誰かに見せることは意味あることだと思ったからだ。
私は、映画をたくさん観ることで何か社会的に評価されようとは考えていない。
1年ほど前ここに書いたこともあるが、死んでしまえば終わりの単なるUSBのような身体だと思っている。
ただ、私は単なるUSBではなく意思を持っていた。
自分の人生を、自分と、ほんの少しの周りの人にとって、ただ流れていくものにはしたくない。
幸せを感じたら、幸せだったとどこかに書き残しておきたい。
イチ個体として、私の頭のなかは唯一無二で、意味あるものになり得る。心からそう信じている。
だから、今日はnote1年継続(?)記念として、ここにひとつ、確かにあったことを書き残しておく。
寝る前に観た『或る夜の出来事』があまりにも良くて、モーテルで描かれる雨の風景が綺麗だったという話を恋人にしていたら、いつの間にか寝落ちしてしまったことを…10年後も、思い出したい。
いつか誰かがここにたどり着いたら何を感じるのだろうか。そういうことを、私はずっと、ここで考えている。
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