映画レポ|『パターソン』好きな人が隣で眠っている究極の幸せ
人生において、幸せを感じる瞬間はいつだろうか。
娘の産声が聞こえたとき?
試験に合格したとき?
はたまた、エベレストに登頂したとき?
大きな成功や特別な体験は、ごく一部の選ばれた人だけが手にできる幸せだ。…と、ひねくれ者の私は思う。
今作はもっと身近で普遍的な男の人生を、ただ心地よく眺めるような映画だ。
■あらすじ
■散りばめられた監督の世界観
ジム・ジャームッシュ監督といえば、ユニークな空気感と斬新な絵づくりが特徴的。どちらかというとアート寄りな作品が多いイメージがあるが、特に80年代を代表とする彼の作品にはモノクロ映画の特性を活かしコントラストを効かせたモチーフがでてくることも多い。今作でも部屋の内装などにそんな絵づくりのこだわりが見られ、視覚的にも飽きのこない美しい仕上がりになっている。
妻のローラが焼き上げるマフィンなんかも、かなり独創的だ…めちゃくちゃ細かいが、マフィンの型をピッタリなサイズのブラウンの箱に入れ、車に積むシーンが好きだ。小道具ひとつにも、几帳面さがでていておもしろい。
■人生には、良い日もあれば悪い日もある
さて、ストーリーについて。私のお気に入りは、詩人の少女と出会うシーン。パターソンは仕事帰りにたまたま出会った少女の詩を聞いて、いい詩だと感銘を受ける。
ふと思う。たとえばそんなちょっとしたできごとを、私たちは1年後も覚えているだろうか。大抵の人はきっと忘れてしまうだろう。
もう二度と思い出さないような小さな幸せが、今日も世界には散らばっている。私たちはそれを拾い集めているはずなのに、振り返ると何も持っていないような気さえしている。
成功すれば失敗もし、愛を感じたり孤独を感じたり、たまにちょっとした事件や新しい発見がある。同じように見えて、同じ日はもう二度と来ない。パターソンを見ていると、そんな“普通の人生”の尊さを、客観的に思い出させてくれる。明日は常に新しい日なのだ。
■言語が理解できないことへのもどかしさ
印象的だったのは、やはりラストシーンだろうか。日本人の詩人が現れ、パターソンに話しかけてくる。「詩の翻訳は、レインコートをきてシャワーを浴びるようなもの」…つまり無意味だ、という彼のセリフに、もどかしい思いを感じずにはいられなかった。
洋画が大好きな私は、字幕で鑑賞することが多い。演者の声や、抑揚、ニュアンスをできるだけそのまま汲み取りたいと思っているからだ。
しかし実際のところ、リスニング力のない私には意味を理解するのに字幕を頼る他ない。同じ映画の吹替と字幕のどちらもを観ることもあるが、ニュアンスが異なる場合も多い。
鑑賞者へ届くまでに誰かの視点が入れば入るほど、作者の意図するニュアンスは微妙にズレていく。それが韻やリズムを大事にした詩なら尚更だ。私は本当の意味で、海外の映画を理解することは難しいだろう。でもその分、日本の美しい短歌やアニメーション映画を、世界の誰よりも意図を汲み取り感じることができるのだ。
■まとめ
パターソンの1日は、隣で眠る妻へのキスからはじまる。今作のポスターでも起用されているシーンだが、私はその光景を見て「なんて幸せそうなんだろう」と思わずにはいられない。
晴れた日に太陽の光を浴びること。
おいしいものでお腹が満たされること。
そして、愛する人の隣で眠ること。
今日という新しい日に散りばめられている、普遍的で究極の幸せ。一つひとつ、大切に受け取って行きたい。
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