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多様性を認めることは従来の価値観を否定することではないはず

おはようございます.こんにちは.こんばんは.
62回目のnoteを投稿します,とろたく軍艦です.
 
近年は「多様性」の時代だと呼ばれるほど,様々な場面で「多様性」という言葉が使用されている.LGBTQに代表される「性の多様性」などが頻繁に見かける表現だろうか.
 
私は別に「多様性」を尊重する社会を否定したいわけではない.人類の皆が誰一人として迫害を受けることなく生きていける可能性を秘める「多様性社会」は素晴らしいと本心から思っている.
 
だが,世界を見渡すと,「多様性」の名の下にマイノリティ (新しい価値観側) の声が大きくなりすぎて,マジョリティ (従来の価値観側) が謂われのない攻撃を受けているような気がしてならないのだ.
 
例として,結婚や出産を考えたいと思う.これまでの価値観であれば,「結婚=幸せ」であり,子どもを産んで育てることが普通だと思われていた.一方で,性の多様性という言葉に表されるように,男女間に縛られず,男性同士,女性同士の恋人関係も広く認められつつある.中には,同性婚を認めている国や地域も存在する.男女間の結婚にしても,婚姻届は提出せずに事実婚を選ぶ夫婦や,子どもは作らないと決めている夫婦もいる.様々な在り方が認められることは大いに結構なのだが,それが従来の価値観を否定することに繋がってはならないと思う.
 
今日,結婚して幸せになりたいという考えや,子育てのために会社を辞めるという考えは時代遅れと言われかねない.だが,ある考えを時代遅れだと言うことは,決してその考えが間違っていることを意味しない.男女問わず,結婚して家庭を持って幸せになりたいと願うのは断じて間違ってはいないはずだ.そして,人口割合でみれば,こういった考えがマジョリティであることは理解しなければならない.マジョリティを否定することでマイノリティを認めるという行為の下に成り立つ「多様性社会」は恐ろしく歪な社会であろう.

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