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擦れてしまった社会人には学生の純粋さが羨ましい

おはようございます.こんにちは.こんばんは.
66回目のnoteを投稿します,とろたく軍艦です.
 
今日は12月25日クリスマス当日である.個人的な用事があって,近所の大きな駅に出向いたが,そこでたくさんのカップルを見かけた.彼女がいない私からすれば,彼ら・彼女らは羨望の対象なのだが,これまでとは少しばかし異なる羨望の感情を抱いていることに気が付いた.
 
これまではクリスマスに恋人がいるということに羨望の情を抱いていたのだが,今日はそうではなかった.勿論,一緒にクリスマスを過ごす相手がいること自体は羨ましかったが,学生カップルの純粋さに心を奪われたのだ.
 
社会人になって初めて分かったことだが,この社会は戦いの日々である.取引先には頭を下げないといけないし,自分たちのプロジェクトが如何に優れているかをアピールし,政治的にお金を引っ張ってこなくてはならない.このような社会では,多くの社会人が安きに流されて荒んでしまう.何の策もなく,純粋な想いや真っ直ぐな性格では潰されてしまうのがオチであろう.打算が比較的少なく,純粋な感情がメインとなって恋愛ができるのは学生までであるというのが私の考えだ.多くの社会人の恋愛が結婚や子育てという問題を孕んでいることからもこの考えは大きくは誤ってはいないはずだ.
 
ところが,学生の恋愛はどうだろうか.勿論,結婚を前提としているお付き合いもあるかもしれないが,決してそれがメジャーというわけではないだろう.寧ろ,学科やサークルで気になる人と付き合うというのが一般的なはずである.ここに,相手の社会的地位や収入,家族構成などが入り込む余地は比較的少ないだろう (ある種の閉鎖的環境下におけるヒエラルキーは考慮するかもしれないが).
 
学生の瑞々しい恋愛模様を見て,心が浄化された昼下がりの私であった.

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