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ねぇねぇ聞きたいこといっぱいあるんだけど。

3/18は母の命日です。母は3年前にがんと戦い抜き、62歳の若さで亡くなりました。

noteをはじめたのは、正直なところ、母への気持ちをまとめておきたかったから。

もう3年、まだ3年、か。

4年前の春、ようやく妊娠した。母も大喜びだった。臨月に入り、大阪の実家に里帰りした。産前産後は母に甘えて、身の回りのサポートをしてもらおうと思っていた。こまめにLINEでやりとりしていたものの、里帰りして実際に会った母はどうも体調が優れない様子だった。今まで見たことがない辛そうな表情。母も歳をとったんだな、と最初はのんきに考えていた。それまで年に数日帰省する程度だったけれど、いざ久しぶりに毎日同じ家で生活し、母のしんどそうな様子を間近で見ていると、形容しがたい不安な気持ちに襲われた。何か変だ。出産を控えてナーバスになっていたのもあるけど、母を心配すると同時に「何か」に飲み込まれそうで、逃げたくて逃げたくて仕方なかった。自分で望んで里帰りしたくせに。あの時の自分をぶん殴りたい。

無事出産して関東の自宅に戻り、何もわからず心身ともにボロボロの状態で育児をしていた頃、妹から連絡があった。母のがんが再発して、もってあと数ヶ月だ、と。

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母に「お母さんは幸せだった?」と聞きたかった。でも聞けなかった。たったそれだけのことが。これを読んでいる人の大半は、そんな簡単なこともできなかったのか、とあきれるだろう。あの時の私は、母がそう遠くない未来に死ぬという現実を直視したくなったんだと思う。それを聞いてしまったら、母がいなくなることを認めてしまう気がしていた。

認めたくないくせに、私は何かに突き動かされて、母の部屋から私自身の母子手帳と、へその緒を持ち出して帰った。母子手帳を見るに、私は生後9ヶ月過ぎまで寝返りしなかった(早い子は3ヶ月頃にする)らしくて、笑ってしまった。頭がすごく絶壁なのはそのせいだな。

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3歳の娘の育児をしていると、自分が子どもだった頃の出来事や、感じたことを急に思い出すことがある。最近彼女はポークビッツにハマっており、これ子どもの頃お弁当によく入ってたわぁ、と思う。彼女がきゅうりいらなーい、と言うと、私も小学生の頃まできゅうり苦手やったな…と共感する。彼女が夢中でぬり絵をしていると、私もぬり絵好きやったなぁ~と懐かしくなる。彼女がお風呂で入浴剤を入れて熱心にかきまぜている姿を見て、昔、湯かき棒でかきまぜるの楽しかったなぁと思い出す。湯かき棒って最近見ないな?まだ売ってるのかな?

自分自身が親になって、初めてわかった母の気持ちもたくさんある。娘に「おやつ食べすぎたら晩ごはん食べられへんようになるで」と言う時の気持ち。祖父母の家が近かったのでよく遊びに行ってたけど、その間、母はひとり時間を確保してゆっくり休んだり、趣味を楽しんでいたのだろう。中学生の時、月に一回くらいお金を渡して昼ごはんはコンビニで好きなものを買っていいよと言ってくれた日、母もたまにはお弁当作るの休みたかったんだよな。まだまだ、書ききれない…。これから死ぬまで、気づいて噛み締める、の連続なんだろう。

私が小さい頃はどうだった?どんな感じだった?お母さんはこんな時どうしてたの?と聞きたいことがどんどん湧いてくる。聞いたところで、母は30年以上前のことなんか覚えてる訳ないだろうし、「そんなん覚えてないわぁ」と言うのは目に見えてるんだけど。でもそういう、とりとめのない会話を、母としたかった。今でも実家に帰ったら、何も変わらず生活しているんじゃないかと思ってしまう。天国までスマホの電波が届いていればいいのに。娘の成長ぶりとか、母が好きだった綾野剛が出てるドラマの話とか、だらだらしゃべりたいよ。

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私は今、すごくディズニーランドに行きたい。母がずっと前から行きたがっていて、4年前、公式ホテルを予約して、どこでごはんを食べようかなどと具体的な計画まで練っていた。しかし、そんな折に私の妊娠がわかり、それを伝えると、「無理したらあかん、今回はやめとこう。無事に赤ちゃん生まれてから行ったらえぇやん」とさっさとキャンセルしてしまった。この時は皆、「次」があると何の疑いもなく思っていた。

あの時、妊娠を黙っておいて行けばよかったなぁ。どうしようもないことを何度も何度も考える。

2021年、コロナのせいでお出かけもしにくい。ディズニーは予約チケットの争奪戦。ああ行きたいなぁ。いつになったら行けるかなぁ。

行く時は必ず、母の写真を持っていくと決めている。

たい焼き


最後に、とても共感できて、号泣した作品を紹介します。



サポートするのかい?サポートしないのかい?どっちなんだい? する!!パワ――――――――――――――――――――