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表現する言葉をまだ知らない苦しみ

娘が、学校で水筒をなくしたと言う。

金曜日に。

あああああああああ内部がどえらいことになるやんけ



それはさておき(さておけないけど)、なくした時の状況を詳しく聞いてみると、少し気になることを言い始めた。

クラスメイトが、自分の水筒を持っているところを見た。教室のロッカーを確認すると、やっぱりない。その子に、水筒を知らないかと聞くと、「しらない」と言われた。


……おいおいおいおい。(高橋一生の岸辺露伴で再生)
いきなり不穏な空気だぞこれ。

娘の話を「つまり〜〜〜ってコト?」とちいかわ節全開でかみ砕いて翻訳しても、いまいち流れが見えにくい。6歳の話すことで、記憶違いや、思い込みなんかもおおいにあるだろうし、まぁ、こんなもんか…と思った。6歳の話に一貫性を求めるのは酷である。

ただ、本当にクラスメイトに水筒を隠された?捨てられた?んだっとしたら、許せん!出てこいや!という先走った気持ちも拭えず、週末悶々として過ごした。落ち着け。


結局、月曜日に、教室ではない別の場所で水筒は見つかった。よかった。

連絡帳に経緯を書いたら、先生が、例のクラスメイトにも話を聞いてくれた。娘の話とは若干食い違ってるけど、こちらとしてはとにかく水筒が見つかることが最優先だったし、犯人を探すことが目的ではないので、私も旦那も納得して、これで解決ということにした。娘もほっとしている様子だった。

もちろん、誰が勝手に教室から持ち出したのか気にはなるけど。娘さんの荷物がなくなったりしないか、今後も注視していきます、と先生がはっきり言ってくださったので、後はお任せする。



水筒が見つかったことを旦那にLINEで知らせた時、「まだ一年生だから、うまく説明できないこともあるし、嘘を嘘だと認識していないかもしれないし、そんなもんだよ」と返ってきて、スンッと腑に落ちた。

幼い子どもたちは当たり前だけど知っている言葉が少ないし、感情と言葉がまだうまく結びついていない。だから、うまく言葉にできなくて泣いたり怒ったり、時にはポコスコ殴るなど力で訴えるしかできないこともある。何が起きているのか?どういう状況なのか?アクシデントが起きた時なんて、理解できなくて、訳がわからなくて、はっきり覚えていないこともあるだろう。


先日、初めての授業参観があり、みんな支給されたノートパソコンを使って(時代!)先生の指示する通りに操作していた。でも、中には思うようにできなくて、突然泣き出してしまう子もいた。お母さんお父さんは少し困った顔をしてなだめていたけど、私はそんな様子もただただ微笑ましくてかわいくて…。よっしゃ!帰ったらアイスでも食べよ!って励ましたくなった(無責任ですいません)こういう時って、大人はついつい、そんなことで泣かんでもええがな、とか言ってしまいそうになるけど、言語化できない苦しさって、こういうことだよな、と感じた出来事だった。


自分の状況や気持ちを表現する言葉を知らない。それが苦しい、つらい、不安、という感覚すらまだないかもしれない。思春期のイライラの理由って、大半がこれなんじゃないかと思う。大人になっても、自分で自分の気持ちがわからないこともざらにある。もしかしたら、死ぬまで続くのかも。

でも、私は言葉が好きで、言葉の力を信じているから、その苦しみと死ぬまでつきあっていきたいと思うし、娘の気持ちもできるかぎり汲み取ってあげたい。なんでもかんでも全部私が代弁してしまうのもよくないのかな。んー難しい。娘の話を聞きながら、脳内で翻訳する日々は続く。

たい焼き







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