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アイドルに興味のなかった僕が、ベススタの「勝利の女神」豊永阿紀さんを応援するまで

僕はこれまでの人生で、アイドルというものに興味を持ったことがなかった。
厳密に言うと、女性アイドルというものに。

男性アイドルであれば、どちらも現在活動していないもののSMAPや嵐は好きだ。
人生で初めてのコンサートは父親に連れられて行ったSMAPだったし、彼らの口ずさみたくなるような明るい楽曲や、アイドルなのに身体を張ることを厭わない姿勢に好感を持っていた。
そう考えると「アイドルらしさ」を好きになったことは1度もなかったのかもしれない。

豊永阿紀さんを知るまで

僕が物心ついた時から熱烈に応援しているサッカークラブ、アビスパ福岡。
クラブは福岡空港近くの、東平尾公園博多の森球技場(現在の呼称はベスト電器スタジアム)で行う試合の際に時折、スペシャルゲストとしてアイドルを含めた様々な方を招いている。

どういった方が来ても拍手をするようにしていたけれど、これは試合の前後にスタンドを盛り上げようとしてくれることへの感謝の気持ち。
1度のみ、もしくはかなりの期間を空けて再び目にするゲストが多かったこともあり、継続的な興味にはなかなか繋がらなかった。

でもそんな中、2017年頃からとあるグループが頻繁に来場するようになった。
福岡を拠点に活動する、女性アイドルグループ・HKT48。
もちろん存在は知っており、福岡のアイドルであることも分かっていた。
その当時指原莉乃さんが所属していることは知っていた。裏を返せば、知識としてはその程度。

多忙な指原さんは来場していなかったため、スタジアムに来場するのは僕からすると全員知らない人。
いつものように感謝の気持ちは持ちながらもなんの気なしに、歌って踊る彼女らを見ていた。

するとそれまでのゲストと1つだけ、小さな違いを感じた。
どのゲストからも盛り上げようという気持ちは感じられたが、それはスタンドの方を向いた時に限られているように見えていた。
それは悪いことではなく、むしろ普通のことだろう。
仮に自分がその立場だったとしても、スタンドから目が離れると真顔になってしまいそうだ。

だが彼女らはスタンドを向いた時だけでなく、常に笑顔が多いのだ。
「プロフェッショナルだなあ」と天邪鬼な感想を抱きつつも、とはいえ笑顔が多くて悪い印象を持つはずがない。
顔と名前は一致していなかったが、HKT48が来場するとなるとどこか楽しみになっている自分がいた。

その後も度々グループで訪れてスタンドを盛り上げてくれていたが、2018年8月の水戸ホーリーホック戦の「イベントアンバサダー」にそのうちの1人が就任。
失礼ながらこの時初めて、「豊永阿紀」という名前を知った。

サポーター仲間に聞くと、アイドルになる前からのアビスパサポーターらしい。

単純なもので、アビスパを本気で応援している人を応援したい、という気持ちは強い。本当にアビスパサポーターだと知ったことで、一気に親近感が湧くことに。

そこから「豊永阿紀」という名前を覚え、常に元気で本気な姿に好印象を抱くまではあっという間の出来事ことだった。

SNSをフォローし日々の努力を知り、アビスパ関連の投稿をしていると嬉しくなった。
中学2年生の頃からアビスパを応援していること、アビスパの背番号10・城後寿が特に好きなこと。パーソナルな部分を知れば知るほど応援したい気持ちは強くなった。

豊永さんは2018年の9月からは「アビスパ福岡公式アンバサダー」に就任。サポーターにとってより身近な存在になり、今では「勝利の女神」と呼ばれるようにまでなっている。

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「豊永阿紀さん」が「阿紀ちゃん」に変わった出来事

応援したいというふわっとした気持ちが、決定的なものへと変わった瞬間がある。
2020年12月13日。アビスパは、J1リーグへの昇格争いの真っ只中にいた。ホームでの京都サンガFCとの一戦には、昇格を信じて多くのサポーターが駆けつけていた。

アビスパのサポーターは試合が始まる直前の選手入場の際、タオルマフラーを掲げながら決まったチャント(応援歌)を歌う。
「Vamos アビスパ福岡 我らといつも共に」という歌詞のチャントで、選手を鼓舞しサポーター自身もボルテージを上げていく。
ちなみにVamosとはサッカーでよく使う言葉で、スペイン語で「行こう!」という意味だ。

ただし当時も現在も、コロナ禍の影響でスタンドから声を出してはいけない状況が続いている。やむを得ないと分かっていても、どこかモヤモヤする気持ちが存在する。
京都戦のように大事な試合であればあるほど、鼓舞できない悔しさは募ってしまう。

その悔しさを晴らしてくれた人こそ、豊永さんだった。入場時に登場すると、上記のチャントを独唱したのだ。
まずは歌唱力に驚き、そして猛烈に感動した。たった1人で、声を出せない何千人ものサポーターの気持ちを代弁してくれていた。
きっとこの時に初めてアイドルらしさを好きになり、ファンになったのだと思う。

そしてその日を境に、勝手ながら「阿紀ちゃん」と呼ぶようになった。

コロナ禍ということもあり、加えてどこか気恥ずかしさもあって、スタジアム以外で直接阿紀ちゃんを応援したことはない。
でもいつの日か、本業で輝く彼女を応援に行く。そう決めている。

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