無意識の我慢って怖い
私は8個上に自閉症の兄がいる。
私が物心つく前から、兄が中心だった。
知らず知らずのうちに、1歩引くのが癖になった。
そうえば、と気づいたことがある。
ある募集要項を見て、気づいたこと。
その募集要項には、
① 顔出し可能な方
② 家族の出演が可能な方
とあった。
生きてきた中で、数回だけ"家族出演可能な方"という
ワードに出会っていたが、それを見た瞬間にどれだけ興味があっても、無理だとスマホの画面を閉じていた。
兄は1人で長い時間は居られない。
父、母、もしくは私の誰かは常に一緒にいなければならない。
家族で遠出なんて、夢のまた夢だ。
世間では、
「諦められる夢なら、その程度だったってことだ」
なんて言われたりする。
確かにその通りだ。
でも、これは言葉では表せられない何かである。
我慢?
犠牲?
どれも少し違う。
上手く当てはまる言葉が思いつかない。
今回は、ふと気づいたが、
今までは無意識に、そして当たり前に無理だと選択していた。
無意識の我慢ほど怖いものはない。
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