兄は自閉症。だからこそ。
私の兄は、自閉症だ。歳は8個離れている。
私を妹として認識はしているが、コミュニケーションは取れないに等しい。生活音や話し声、テレビの音などは兄にとっては雑音と一緒。
極力大きな音を立てたり、大きな声で話さないようにして生活しなければならない。なぜなら兄なりのルーティンが崩れてしまうと、癇癪をしてしまうから。
家族で旅行に行くとか、外食をすることもした記憶はない。お母さんとお父さんの間で手を繋いで歩くというのが、なんとなく憧れだった。
でも、そんなことを望んではいけなかった。
お母さんとお父さんの間にいるのは(いなければならないのは)兄だったから。
私がその場所に行きたいと言えば、お母さんとお父さんは困った顔をしてしまうから、言ったらダメ。兄ちゃんは病気だから。
私は極力、手のかからない良い子でいないといけない。そうすればみんなが幸せになれる。
そんなことを小学生ながらに思って生きていた。
かなり物事を俯瞰してみていたから、よく大人っぽいと言われていた。
私は、兄が障がいを持っているからこそ、人の気持ちを察する能力に長けている。兄は言葉では理解できないことの方が多いけれど、その前後の様子や顔つきで、感情がこう動いたんだなと判断することができる。
兄は言葉のコミュニケーションが取れないから感情を読み取るのは難易度が高いが、普通の友人や普段関わる人は意思疎通が出来るため、私にとっては、判断する情報が増えた感覚で難易度が一気に低くなる。感情がとても読み取りやすい。
こうした感情の読み取りは、無意識にやってしまう。染み付いた習慣だ。
ここでの落とし穴は、その感情に移入しすぎてしまうこと。他人の感情なのに読み取って移入しすぎて自分も辛くなって涙が出るということがしばしばある。
勝手に期待して、勝手に落ち込んで、勝手に泣く。
この繰り返しの日々に私は綺麗な花束を贈りたい。
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ありふれた日常に花束を。
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