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書き続けたら、少しは変わる?

以前から薄々気づいていたけれど、書くというスキルが高くない。社会人生活の社内文書・資料の作成やメールのやりとりにおいては特に問題を感じなかったので忘れかけていたが、学生生活に戻ってみて、あらためて自分のスキルの低さにがっかりしている。仕事上の「書く」と学生の「書く」の何が違うのか。自分の意見・感じた事を論理的に書く事がより高度に求められるということではないかと思う。

自己分析してみると、自分の感じた事を言語化してアウトプットする事がそもそも得意ではないようだ。書くことだけではなく、発言することも。…なぜだろう。他人からの評価や誤解される事を恐る気持ちがあるのかもしれない。ちゃんとした事を言わなくては(書かなくては)いけないとか、他人から変に思われたくないという気持ちも。

以前「〜っていうか」というのが口癖になっていた時期があった。
他人の発言に対して「〜っていうか」と否定して言い換えるという、感じが悪い口癖だったので今は使わないように気をつけているが、この口癖、他人の発言だけじゃなく、自分が一度口にした表現に対しても使っていた。自分の発した言葉に対する他人の反応を見てから、受け入れられる形に変えようとしていたのかもしれない。他人の反応を必要以上に気にする気持ちがアウトプットに影響しているのは間違いなさそうだ。

社会人生活の中で、社内文書やメールを書くことに特に問題を感じなかったのは、自分の意見や考えを書く必要がほとんどなかったからと言える。仕事の依頼、質問などを簡潔にまとめる事はできていたと思う。でも、企画書には「提案」という自分の意見が必要ではないかと思う人もいるだろう。思い返してみると、私が書いていた企画書のほとんどは、上司の意見であったり、チーム内の総意を取りまとめるようなもので、私個人の意見を書く機会は少なかったように思う。

では、どうやったら書くというスキルを高めることができるだろうか。他人の反応を必要以上に気にする性格を一朝一夕で変えるのは難しい。でも、少しずつ自分の感じた事を言語化してアウトプットするという事に慣れるように練習することならできそうだ。こうやって、note に誰かに読んでもらうための文章を書き続ける事で、書くというスキルを少しずつでも高められたら嬉しい。そして、アウトプットしたいもの(伝えたいこと)を増やし、その表現方法を高めるためのインプットとして、もっと読書をしようと思っている。

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