必死に生きる
先日のはじめましてサロンで
「人はなんのために生きるのか」という話になり
それについて議論するにあたり、他の参加者の方々の死生観も伺えた。
「死ぬとき」に向かって何を考えて、どう生きるべきなのかについて
明確に意見を持っている人もいた。
私はあまり「死」を意識して生きていない。
たまに「余命何ヶ月です」とか「ここで死にます」って言われて
「えっ!?私、まだこれもしてないし、あれもしてないんだけど!?」ってめちゃくちゃ慌てる夢は見るけど。
それ以外は自分の人生の最後に死があることなんて考えもしない
今がずっと続くだろ、なんて思ってる。
おさーんがたまに「人はいつ死ぬかわからない。だから〜」みたいなツイートもよくわからない。
中高生のときは「いつ死ぬかわからないんだ!だから必死で生きなきゃ」なんて一瞬思ったけど
目の前に現れたこともない死をどうやって意識して毎日生きろというんだってなるし
焦って生きていて、私の中でうまくいったことはない。
毎日のことに対してそんな成果を求めて生きるのはしんどいじゃない?
だけど一度だけ死を覚悟したことはある。
強迫性障害に悩まされていたとき、毎日「落ちる」ように寝ていた。
恐怖の中で、自分の身体がだんだん動かなくなるのがわかって、意識が遠くなっていっていくのは
めちゃくちゃ怖かった。
そんな怖いことが毎日続くと朝目覚めてまた生きるのが怖かった。
その時だけは「早く死にたい」と思った。
基本的に私は病んでも「死にたい」とは思わない。
死にたいと思うのは、決まって「今が死ぬほど苦しくて、それがこの後もずっと続くことが予想されるとき」だ。
だから死にたいと思わないのは、ありがたいことに今絶望的な状態じゃないからなんやろな。
死にたいと思ったのは、そうやな、あとは
母親に叱られて、8時間以上土下座させられて自分の悪いところを暗唱させられるときやな。
早く人生終わってほしい、こんなの耐えられない、発狂しそうだって思ってた。
サロンのときも思ったけれど、なんのために生きるのか、とか何をして生きるのか、という問いについては
私は"よくわからない"のだ。
この数年間、特におさーんに出会ってからは
自分の人生を向上させることに夢中で
終わりのことなどまだ全然考える余地がない。
母親の元で永遠に終わらない地獄を経験させられてからは
人生をそれ以上にしていくことや
積み上げることに必死なのだ。
そこに「明日死ぬかもしれないから人生ちゃんと必死で生きろよ」なんて言われても
そりゃあ、全く入ってこないのは当然なのかもしれへんな。
必死といえば
「本気で生きてきた人はやりたいことが見つかる」とおさーんが言っていた。
私はそれを聞きながら、ああ大学4年間で私は自分の生きやすさを改善することに四六時中投じてきたなって思った。
それをするために、色んなことを書き残し始めて
そのうちそれがnoteになっていって
最近では、今まで理解できなかった私の「やりたいこと」が言語化なんだって見つけられた。
私は「死」を意識することはないし
なんのために生きるかとかよくわかんないけど
タイムリミットや目的を意識せずとも
こうやって必死に生きられているから、自分のことは良しとしようと思った。
サポートして頂けると、これからも頑張れます。