忘年会の馬鹿馬鹿しさ

乱痴気騒ぎと、顔を紅潮させながら声を張り上げる幹事。静かに食事と酒を楽しむことすら許されず、参加を断ることすら許されず、嫌々幹事を押しつけられている人のことを考えると「本当は行きたくない」と本音を言うことすら許されず、楽しんでいるフリをして笑顔を作って大袈裟に手を叩いて頷く。静かにしていると「お前だけ何で冷めているんだ」と迷惑に引っ張り出されそうだから、無理をして周りに溶け込む。そこには「お前も楽しめ」といったポジティブな感情はないと思う。私の偏った見方かもしれないが「みんな嫌々やっているのだから、お前だけ許されると思うなよ」という攻撃性を感じる。恥をかきたくない人間、引き気味の人間をわざわざ狙っている。それを嗅ぎ取って、私は飲み会では酔ったフリをして当たり障りない恥をかくようにしている。それ以上、つけ狙われないように。

そんなことを言うのなら「来なくていい」とはならない。つまらないやつだから放っておこうとはならない。今年も上司に「出ろよ」と断れない雰囲気で釘を刺された。上司からしたら自分の部下が参加していないとみっともないのだろうか。統率がとれていない、社内貢献ができていない印象を与えるからだろうか。

昔から「強制参加だ!」と言って若手を飲みに連れていく先輩が理解できなかった。目の前に「早く帰りたい」と思っている若手に延々と自分の話を聞かせて、反応の悪いと「お前はつまらない」。酔いが回ってくると仕事の説教。本人の中では面倒な先輩になってしまっているつもりはなく、若手の面倒見の良い先輩という処理がされているからややこしい。強制参加の社員旅行にも何度も参加してきた。偉い人はなぜあれを楽しいと思えるのだろう。女の子にお酌をさせたり、嫌々一発芸をさせたりするのが、なぜ好きなのだろう。さすがに今の時勢では少しはマシになったか。

楽しむには肩まで浸かるしかない

ここまでこき下ろしてきたが、職場の飲み方が楽しい時期もあった。それは自分が仕事で活躍していた時に限る。職場の評判が良いと周りの目が暖かいし、黙って飲んでいても許される。むしろ居心地が良いから、目立とうという意識すら芽生える。私もかつては乱痴気騒ぎの側にいたのだ。その当時は幹事もそれほど嫌ではなかった(10人程度のグループだったので楽だったが)。今の職場で飲み会が苦痛なのは、私が活躍していない、評価されていないからだと思う。忘年会を楽しんでいるのは、自分がこの職場で役に立っている自覚がある人間なのだろう。だからやっかみなのかもしれない。居場所や発言権がないから楽しめない。

若い頃は今とは真逆で、自分が目立たずに終わってしまうと消化不良に感じた。芸人の如く「傷跡を残さねば」の勢いで、先輩に喰ってかかり口論になったことも多々ある。その当時の職場では「静かでちゃんとしている」よりも「目立ったら勝ち」の価値観があったから、相手の気持ちも考えずに無意識の内にトラブルメーカーに成り下がっていた。

私は今現在は、酔った勢いで普段それほど思っていないことを口走ってしまうのが嫌いだ。先日の忘年会でも、酔った勢いもあったのだろう、私に普段言わない不満をぶつけてきた人がいた。私からしたら迷惑だった。何でこの人にこんなこと言われなきゃいけないのだろう。私だって我慢している不満なんていくらでもあるのに。彼の言動を見ていて、自分のかつての振る舞いがいかに人に迷惑をかけていたのか身に沁みた。思ったことを口にして、それほど思っていないことも口にして、人のことをあれやこれやと余計に話題に上げて、翌日になっても反省することなく「先輩を言い負かした」とちょっとした武勇伝を誇っている。今考えると気持ち悪い。それが年をとるにつれて反省するようになっていった。酔った勢いの発言が自分の枠から外れすぎていると恥ずかしいと思うようになった。

だいぶ昔に辞めた職場の後輩と再会した時にこう溢していた。
「最近の若手ってむかつくんすよ。同年代で固まっちゃって全然先輩に絡んでこないんですよ」
その最近の若手の気持ちも分かるし、その後輩の言っていた不満も理解できる。その職場では先輩にそっぽ向いたら生きてはいけなかったので、まさに「みんな嫌々やっているのだから、お前だけ許されると思うなよ」と彼がなるのは理解できる。一方で「全然絡んでこない」と愚痴を溢す先輩に関わりたいと思う人なんていないとも思う。

忘年会や飲み会や社員旅行を全て断ったとする。それが原因で上司、先輩から何かしらの仕事上での報復があった場合は悪いのはどちらなのだろう。コンプライアンスとか言っている世の中ではあるが、組織に迎合しなければ生きてはいけない。だから嫌々、忘年会に参加する。

酔った勢いで交わされるコミュニケーションで進展する関係性もあるとは思う。飲み会で発展する男女の関係もある。男はその部分に相当期待している。私が飲み会を楽しめないのは、もうそういう年齢ではないというのも大きな理由だ。トイレに席を立った若い女の子をスマホ片手に待ち構えるおっさん。あれには私はなれない。そういう人間にならなければ、この社会を楽しめないとは思うのだが。

今年の忘年会で改めて、馬鹿馬鹿しいと思った。仕事自体が嫌なことであるのだから、防げる嫌なことは減らした方が良いのに毎年開催される茶番。飲み会で気が利いたり、良い意味で目立てる人は仕事も優秀だ。かつての上司は「カラオケでマイクを離さないような人間になれ」と言っていた。だからもし社内イベントに参加しないやつは仕事で冷遇するというのであれば、それは受け入れる。入社面接や昇進でも、結局気に入られる努力ができる人間が評価されるべきだし。

だから、不参加でいいではないか。

行きたくない人間は、いてもつまらないのだから不参加。社内に残って仕事でもしていればいい。なぜそうならないんだ。盛り上がれる連中だけで盛り上がれば万事OKではないか。なぜ早く帰りたいと思っている人間を目の前に座らせて説教をして、なぜそれが楽しいのか。教えてくれ現代社会。

Let's leave the party


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