エコノミックアニマルと現代社会を揶揄して切り捨てようと思ったが、実は自分が弱いだけだった

昨年読んだ本で「日本人はエコノミックアニマル」になってしまったと書かれていた。その本の主題は「ゆっくり生きよう」といったようなもので、私は読んでいて「ゆっくり生きるのは悪くないことのようだ」「エコノミックアニマルとは少し言い過ぎじゃないかな…」とは思った。

正社員で会社で働いているとエコノミックアニマルになるしか会社に居場所なんかない。「ゆっくり生きよう」なんて言っていたら、組織から爪弾きにされてしまう。会社は利益を上げるために存在しているのだから、皆が苦しい思いをしながら、利益のために奔走している。そんな中で「あいつらはエコノミックアニマルだ。俺は自分の信条を大事にしてゆっくり生きよう」なんて言えっこない。クビにはならないかもしれないが、少しでも「コイツやる気ねえな」とバレると、今の私のように警戒されてしまう(ゆっくり生きるとやる気ねえと思われる)。

正直ここまで現代社会が厳しいところだとは思ってもみなかった。同僚も余裕がない。余裕がないから利害関係のある関係性しか生まれない。やっぱりあいつらは汚いエコノミックアニマルなんだ。そう言って憎んでみたりもするが。

話が伝わらない。異国にいるような気分。「以前こうおっしゃっていましたよね」と詰めても、苦笑いで「そんなことは言っていない」。普段は話しかけるなという態度の癖に「いつでも助けるから」と笑顔。もう何がなんだか分からない。その時その時で一番損害が少ない言動をしてくる人たち。これがエコノミックアニマル。

ここまで世の中が辛辣だとは知らなかった。このドギツさに怯える毎日。ホワイト社会を標榜する現代と全く一致しない。ホワイト社会を鵜呑みにしてしまうと、権利ばかり主張して生きてはいけないクレーマー気質になってしまいそう。

ここまで現代社会を揶揄したが、「ゆっくり生きよう」と思っている私は心が清いからではなく、現代社会のドギツさに立ち向かう勇気がないだけなのだと思ったりもする。職場の先輩は私よりも優秀で、私よりも働いて、私よりも責任を負っている。それが私にはできないから、あいつはエコノミックアニマルだと揶揄するしかない。ルサンチマンに似た構図なのでは。

すぐに逃げたいと思ってしまう。こうやって逃げ回った結果、今の状況に追い込まれている。私の敬愛するアンディ・デュフレーンのように根気強く、忍耐強く生きなければならない。希望を持つことは悪くない。逃げ回るだけではなくて、何か希望を探さねば生きてはいけない。



この記事が参加している募集

仕事について話そう

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?