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私を見つけるまで-「小さな私」の物語1

苦しい

苦しくて苦しくて、誰か助けて

言葉にできない気持ちがある時
その症状が身体に出てくる事、ありませんか。

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夢をみました。

noteに出会って書く事を始め出したら、小さい私が出てきたみたいです。

久しく忘れていたんだけれど、心の奥底に何か届いたのでしょう。

「小さい私」と呼ぶのは、「小さい頃の未消化な感情を持った私」

普段は心の奥にいるんですけれど、ふとしたタイミングで現れて、
未消化な感情に向き合うタイミングをくれます。

1回目は、「気づきの時」。

それはそれは、その感情を味わいたくなくて見ないようにしているわけですから、気がついてしまってからは・・・、しばらく結構辛い時間を過ごします。

2回目は、「消化する時」。

これはこれは、勝手に涙が出てくるとか、感情を手放して良い時なので、言語化できて、過去のものにできるようになるので、一つクリアできるときになります。

今の所そんな感じで2回出てくる「小さい私」は、今回は後者。

笑顔で語りかけてきてくれたから、やっと自分の声が自分に届いたんだと感じます。

新しい私、はじめまして。


小さい私は「助けて」って言えない代わりに「お腹が痛い」という状態になっていました。それはもうかなり昔のことです。

「お腹が痛い」っていっていたのは、5歳か6歳位だったかな。

日中は元気、でも夜になるとのたうち回る位「痛い」と訴え、
両親は心配して、病院に連れていってくれる。

私は車に乗ると、痛みが少し和らぐのを感じる。

でも、痛くてたまらなくなって、どうにもならないのは本当で、それを訴えて、病院に行って、訴えて、病院に行っての繰り返し。

私はずっと「便秘だったのか」と思い込んでいたし、こんなに痛いのは何か病気なのかも?と本気で思っていたのだが、意外にも突きつけられた言葉は、

「頭の良い子ですね。この子は自分で病気を作っています。」

という先生からの言葉だった。

小さな小さな私は、その言葉に囚われている。

「嘘じゃない!信じて」「本当に痛いの」「どうしてわかってくれないの」

この未消化な気持ちは、ここで生まれて、

私の人生の間ずーっとあった。

それと同時に「頭の良い子」「自分で病気を作っています」という言葉にも反応していて、「頭の良い子でいよう」「病気は作っているんだから、作るのをやめよう」なんだか、そんな風に捉えてしまったのだ。

今思えば子どもの勝手な「思い込み」なのだけれど・・、 
思い込みの怖いところは、本心でそう思っているから疑っていないところ。

そこからは、もう他人の描く私を演じることがスタートしてしまった

頭が良さそうに見えるには?という行動を考えて実践。子どもだから大したことはしないけれど「静かにしましょう」と言われれば喋らないし、どんなに嫌だと思っても口に出さない。口に出した事で親を困らせるようなら、そんな事はしなきゃいい。そう思ってしまったのだ。

それから、「病気を作っている」って責められている感じがしてしまって、なぜか「病気」になることへの罪悪感というか、嫌悪感というのがあって、ちょっとだるいな〜とか、頭が痛いな〜とか、見た目ではわからないものは、口にしない。口にする事さえ許されない気がしてしまっていた。

一度だけ、学校で39度の熱が出たことがあった。それでも、具合が悪いのを感じないようにしていた私は、感じたくないから平気なつもりで教室で授業を受けていた。そんな時、突然ガラッと教室に入ってきた父の顔を忘れない。「あ、これで休める」って思ったっけ。

だから、頭痛や腹痛で休む人の気が知れなかったし、相手に優しくなれるはずがなくて、「え?そんなんで休むの?」と普通に思っていた。

全然、優しくないし、優しい気持ちなんて育たない。

それでも「良い子の私」は、表面上の「大丈夫?」だけは言えてたけど、大丈夫と聞かれて返す言葉は「大丈夫」しか知らない。

「大丈夫じゃない!」って思っててもどう答えていいのかわからなかった。

そのまま大人になったけど「小さい私」はずっと心の片隅にいた。

何かあれば出てきてザワザワさせる。

「なんでわかってくれないの」

ゆっくりと、着実に、私の中の何かが大きくなっていきました・・・


また明日。

続く


























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