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繊細なことは悪くない❻– 好きな見た目でいることの大切さ

いわゆる繊細さん=HSPといわれる気質の持ち主だったわたしが、その性質を受け入れながらも自称適当人間を名乗るようになるまでの道のりを綴っています。

マガジンにまとめています👆


はたち以降から30代半ばのつい最近まで、ダークトーンの髪色を貫いてきました。理由は二つ。

明るく染めると根元のプリン状態が目立つので、美容院に年一行くか行かないかのズボラ民には暗めの髪色が無難ということ。もう一つは、世間的に年齢相応のまともな大人に見えるように。

でもふと思い立ち、実家に寄った際「また髪を染めてみようと思うんだよね」と母に話すと、「一度きりの人生なんだから好きな髪型で楽しみなよ」と背中を押してくれました。

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わたしのヘアカラーデビューは高校へ上がる春休み。いわゆる高校デビューを目論みました。当時好きだったビジュアル系バンドのメンバーを意識した赤髪のストレートウルフにイメチェン。バージンヘアは染まりにくいし、市販のカラー剤はそれほど発色も良くないと聞いていたので、思いのほかしっかりと赤紫蘇ジュースの如くピンクに染まった頭と鏡越しにご対面したときは、さすがにたじろぎました。

けれど、中学時代にまじめをこじらせてパッとしなかったわたしは、これからはいい子ちゃんじゃないという意志表明だこれは!と奮い立たせ、入学式に出席しました。それからの高校三年間は、ときどき教師たちから校則のことつつかれながらも明るめの茶髪を貫きました。

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10代で初めて髪を染めたいと言ったときにも母はなんの反対もせず、むしろ背中を押してくれたのです。カラーリング作業は毎回手伝ってくれるので、徐々に技術も向上していました。

思い返せば、母は自分の父親が亡くなった数ヶ月後にピアスホールを開けていました。昔は大体どの家庭でも、ピアスなんてしてたもんなら不良だなんだと大騒ぎだったのでしょうが母の場合はちょっと事情が特別で、家業が外科医院でした。祖父も祖母も、娘が自分の体を傷つけ、自ら孔を開けるという行為を認めることはなかったでしょう。

そんなやりとりが母と両親のあいだに実際にあったかはわからないけれど、母は自分がしたいおしゃれをすることを長らく我慢してきたことは容易に想像できます。それも親が亡くなるまで、ずっと。

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なかなかチャレンジの機会がなかったブリーチを勧めてくれる美容師さんに出会えたので、インナーカラーに挑戦。内側の毛をブリーチして明るい色を仕込みます。色はピンクを希望しました。ブリーチに入れるカラーは抜けやすいそうで、褪色の過程も楽しめるようにと濃いめに調合してもらいました。

シャンプー台で薬剤を流して戻ってくると、脱色した髪に入った濃ピンクはどきどきするほど鮮やか。高校デビューの赤紫蘇ジュース頭を彷彿とさせる自分の容貌に、思わず「これ、見慣れるのかな…」

赤紫蘇ジュースピンク

−− 数日で慣れます。

年齢相応のまともな大人に見えるよう暗い髪色を貫いていたこの10年以上、自分の精神年齢・実年齢・見た目のどれもがバチっと合致しないようで、心地悪さを感じていました。いい大人が髪型で自己表現するのはおかしいと、自ら抑え込もうとしていたかもしれません。

久しぶりに手に入れたピンクの髪の毛はとてもいい感じ。顔まわりに透明感が出てメイクをそれほど頑張らなくても垢抜けます。毎日鏡で見る自分の姿に納得できるっていいものです。相変わらず美容院に行く頻度は半年に一回ですが、今はセルフカラーのアイテムも豊富で、ズボラなわたしでもブリーチヘアを楽しめています。

子どもを産んで母になり、年齢ばかり上がっていくけれど、思考や感性のベースはティーンの頃にはほとんど完成しきっていて、大きくは変わっていない気がします。大人ってなんなんでしょ。

#hsp
#繊細さん

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