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本を書きました。『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。』

先日、あるテレビ局のディレクターさんに言われた。 

「池田さんのインタビューしたいんですけど、上司から、『ほら、何回も性暴力被害に遭ってる人って、信用できないじゃん?』って言われて……流れちゃいました! てへっ」


いろいろな意味で驚いてしまった。
ニュース番組の制作に携わっている人たちの認識は、その程度なのかと思った。
 
「信用できない」
そう言われて、社会から切り捨てられたのは初めてではない。
 
わたしは18歳の時、ひとり暮らしのアパートに侵入してきた泥棒に性暴力を受けた。
その痛みと闘いながら雑誌や書籍のライターとして活動していたが、2012年に再び性暴力を受け、その衝撃から書くことができなくなってしまった。
仕事に懸命に取り組むなかでの仕事相手からの性暴力は、わたしの精神を徹底的に破壊した。
性暴力の加害者は、社会のなかでの人と人との結びつき(文脈)を利用して性暴力を働く。
だから被害者は、人とつながることができなくなり、社会とのつながりの文脈を失う。
わたしは、それまで文章を書くときに何気なく使用してきた「平和」という言葉のなかに、自分たち性暴力被害者の居場所はなかったと気が付いてしまった。

だから書けなくなった。

性暴力を受けたその後のわたしは、自分の心と言葉が離れないように細心の注意を払いながら、時間をかけて書くことを取り戻し、一冊の本を書き上げた。それが『性暴力を受けたわたしは、今日もその後を生きています。』(梨の木舎)だ。

2023年5月20日発売 cover写真撮影:南阿沙美さん

 


居場所がないのは言葉のなかだけではない。

内閣府の調査によると、日本人女性の13人に1人が性暴力被害を受けている。
中学2年生の時に習った「確率」の計算方法を使って考えると、2023年4月1日時点の日本人女性の人口が6,395万人なので、497万人以上が性暴力被害を受けたその後の人生を生きていることになる。
さらに、13×13で169人に1人の女性が、わたしのように複数回の性暴力を経験しているという計算になる。
その数、37万8,402人。
これだけの数の被害者を『信用できないじゃん?』と切り捨てる会話が、テレビの制作現場で交わされている。

それが2023年の日本の現実だ。
 
数字は人の行動を変える。
抽象的な思考にリアリティを与えるからだ。
物事を前に進めるためには、数字を使った考察が効果的で、被害者がどのような人間だったか、どのような人生を失ったのか、そしてどのような痛みを抱えて生きているのか…そんなことは捨象した方が話が早い——そう考える人は多いだろう。
 
それでもわたしは、数字「だけ」の話をするべき時ではないと感じている。
37万8,402人もの被害者が、先回りをして『信用できない』と切り捨てられるのは、この社会が、まだ、数字が意味することをわかっていないからだ。
数字に換算された瞬間に、痛みが零れ落ちる。
性暴力を受ける前のわたしがどのような人間だったのか、性暴力の痛みとはどのようなものなのかまで、捨象されてしまう気がする。
日本社会はあまりにも性暴力について知らないので、そもそも抽象的な思考ができるレベルではないということなのかもしれない。

だからこの本を書いたのだと思う。
 
わたしはそのディレクターさんに「インタビューをしてほしい」なんて頼んだことはなかった。
「一緒に考えてほしい」と言っただけだった。
 
『信用できないじゃん?』
『そうですね』
 
そんな会話をしてきた人にこそ、この本を読んでほしい。
精一杯の努力をして「その後」を生きているのは、わたし一人ではないからだ。
37万8,402人には、37万8,402通りの物語があるだろう。

数字の話をするのはその後にしよう。