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自分なりのおしゃれを貫け『少林サッカー』

やあ、僕だよ。飽き性ちゃんだよ。
夜勤が続いた夫は昼夜逆転が高じて、午前五時にいきなりこれを観始めたから僕もご相伴に預かったのさ。
「常にタバコを吸っているおばちゃん、いつ出てくるんだろう」と思っていたら最後まで出てこなくて、『カンフーハッスル』と間違えてたって気づいたんだ。まあ、そういうこともあるよね。
さあ、今日も始めよう。楽しんでくれると嬉しいな。

映画あらすじと感想

『少林サッカー』チャウ・シンチー
ネットフリックスで視聴。ジャッキー映画の名作を観た後にチャウシンチーの大ヒット作を観るというエモい一週間だ。

言うまでもなく、内容はタイトルそのまま。
ラノベ風に表現すると「少林寺拳法達人級の無職俺が兄弟弟子と一緒にサッカー全国大会制覇したら可愛い彼女も出来たんだが?」だ。ほら、『少林サッカー』で十分伝わるだろう?
どちらかというとアクション映画は銃や爆薬を使いまくったガンアクションやミリタリーアクションが好きな僕なのだけれど、夫はカンフーアクションが大好きだ(『イップマン』シリーズは擦り切れるぐらい観てる)。
『少林サッカー』も夫と出会ってから二回目の視聴。『カンフーハッスル』と比べて吹替版があまりサブスク配信されないので、CV山寺宏一のチャウシンチーが楽しめるのは貴重だ。
日本では二〇〇二年公開の映画なのにいつ観ても新鮮で、妙におしゃれなカンフーコメディだ。
おもむろに同年日本で公開された映画のリストを観たら、『ピンポン』もあって、あの頃のおしゃれ感って世界共通(少なくともアジアでは)で支持されてたのかもなんて思った。
カンフーアクションが好きな人は言わずもがな(好きな人は絶対履修してるけれどね)、チープでライトなエンターテインメントが観たい人は絶対に損しないので観てほしい。
※ただし、脱ぎたてブリーフを被らされるおじさんや、ヒロインの容姿を揶揄するシーンがあるので繊細上品な方は注意されたし。

このおしゃれ感を紐解く

映画を観終わった後に、なんておしゃれな映画だと思った。
意図的でセンスの良いカットとちょうどいいダサさ(あるいは僕の無意識下で感じ取る何か)が混在しているものに触れるとこの感情が芽生える。
筆舌しがたい、おしゃれとしか形容するしかない感じ。

この感情に出会ったのは僕が思春期入りたての時だ。
この頃の僕は、ついに自分が想像以上にダサく、浮いた存在だと周囲から口々に言われたばかりの可哀そうな思春期だった。
僕は一人でとある駅前にいた。実家から自転車で四〇分かかるその駅は、それこそ今の僕が銀座に行くくらいの覚悟を持って行く場所だった。

お小遣いでも買える、ダサくない(かつ自分の感性が許す)服を探しに来た僕は、服屋の隣に見慣れない店舗を見つける。
中華風雑貨が入り口に飾り立てられ、それでいてパステルカラーのファンシーな雑貨も見られる。かと思えば知らないおじさんがプリントされたグッズが雑多に置かれていたりと、この辺りでは明らかに浮いた店だった。

(大中とSWIMMERを足して二で割った感じの店だった、と書くとせっかく前述で歳をごまかした意味がなくなりそうだ。)

いつもなら入らないのに、傷心の僕はその店が浮き仲間のようでつい入ってしまった。
入ると肖像画のおじさんより若干ラフな別のおじさんが「いらっしゃい」とだけ言った。「いらっしゃい」の時はちゃんと手に持ったお茶を置いた。言い終わったらすぐ持ったけれど。商売する気があるのかないのか、とかく自然な動きだった。

雑貨はかなり手頃だった。
気持ちがざわついた。確かにダサいのにダサいの中に複雑な魅力がある。可愛い、綺麗、繊細、面白い。今まで触れてきたものとは心の動きが違った。
僕は服代のお釣りで、初めて自分から用途不明の雑貨を買った。

それから、その店に月に一度、二度の頻度で通った。
気安い店だった。しばらく経ってからおじさんと顔なじみになり、何回目からはお茶が出るようになったが、原則何も喋らなくてよいのでそれが快かった。

「これね、朝鮮の雑貨なんだよ。」

ある日突然おじさんは教えてくれた。
思春期の僕はまだコミュニケーション下手ではなかったと思うが、その時は気の利いた返事が出来ず、おじさんに申し訳ない気持ちだったのを覚えている。

「こういうの、好きかい?」

僕がじっと見つめていた花柄のアルミ製水筒を差した。ずいぶん安い値札がついていた。

「はい、可愛いので。」
「そう、それはよかった。」

おじさんはそれっきり何も言わなかった。
今日の会話はこれで終了。お茶を飲み終わったら、買うか諦めるかして本屋で漫画買ってから帰ろう、と僕は思っていた。

こんな何気ない会話を二十年近く経った今鮮明に思い出せるのは、その店に行ったのがそれで最後だったからだ。
僕はその店に出会ってから一年と少し経った頃、ようやく馴染み始めたカオスでダサい雑貨が飾られてた店先は、物件情報がずらりと並ぶボードに埋め尽くされていた。

おしゃれって何だ

余談だが、一般的な意味の「おしゃれ」一つとっても、東京には細分化された「おしゃれ」が多い。

「銀座」や「日本橋」の高級感を伴ったもの、「六本木」や「赤坂」、「表参道」の煌びやかさ、「渋谷」や「新宿」、「原宿」の最先端感、「下北沢」や「高円寺」のアート感云々。

僕らはいろんな角度でセンスが良い、趣があると判断したものを「おしゃれ」と呼んでいるわけだ。
それは時に揶揄される時にも使われる。鼻持ちならないとか、好きだと宣言して得られるイメージがあざとすぎるとか、そういう意味だ。
そこまで「おしゃれ」が過ぎるとイタくなってくる。ただ、イタいはイタいと思った人の主観に基づく周囲の評価を表現した言葉であるので、参考にならないこともある(と言い聞かせている)。
あくまでも自分自身で、イタいのか「おしゃれ」なのかを判断するようにしたいと僕は思う。

ダサさが量産型だと本当にダサい

今回生じた感情、「ダサさ+良い印象」のことも僕はざっくり「おしゃれ」と表現している。
ダサさの量や意図的か否か、印象の差分などでおしゃれの種類も変わってくる。ここで一番重要なのはダサさが量産型だと本当にダサくなってしまう(僕はこれをイタいと思っている)点だ。
ダサさの明らかなパクリは言わずもがな、パクリとは言えないギリギリのところを攻めているものも、成立したとておしゃれとは言い難いものが多くある。

結局のところ、それを作るに当たって作り手がこれは「おしゃれ」だと本気で思っているかが大切なのかもしれない。
どこかで手を抜いたり、妥協したり、「あれ?これもしかしておしゃれじゃない?」なんて疑問を抱くとそれはもう、ダサいのだ

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