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いい女(男)は頑張っている人間に惚れがち『ワンチャンス』

『ワンチャンス』デヴィッド・フランケル
アマプラで視聴。あと四日でプライム対象から外れるので観たい人は急いでね。
有名なオーディション番組で一躍有名になったポール・ポッツ氏の自伝的映画。いじめられがちな太っちょのポールはオペラだけが生きがい。携帯ショップの店員として働きながら、歌うことを続けている。ある日、一年以上メールをやり取りしていたジュルズと初めて会ったポール。実際の彼女もチャーミングで、舞い上がったポールはオペラ歌手の夢を思わず彼女に打ち明ける。
夢と挫折と愛と友情がぎゅっと詰まった王道のサクセスストーリー。劇中流れる美しい歌声は実際のポール・ポッツが吹き替えている。どちらかというと冴えない男であるポールがいい女にモテることに納得感があるのはこの歌声のおかげだ(と思う)。
そうでなくともこういう冴えなさを意に介さない人間は一定層いる。モテないと嘆いている冴えない人たちは自分の冴えなさを気にしすぎて、自分がモテていることに気づいてないんじゃなかろうか。


***


ポールの運命を決めるコインが投げられた時、表か裏か確認する前にジュルズがオーディション応募の決定ボタンを押した。そうして笑う彼女は最高にキュートで、彼女を妻に出来たことが何よりの幸運だったのだろう。

プライム対象からもうまもなく外れるリストに入っていたというだけで選んだ映画が思いの外よかった(世の中には思っている以上に素晴らしい作品が観きれないほどある)ので、余韻が冷めやらぬまま記事を書いてしまおうと画面の前で僕はメモ帳(一番お気に入りのテキストエディタ)を開いていた。
noteの画面に直接、文章を入力すると妙な改行が入ってしまうのは仕様なのだろうか。
投稿初日にどうにも出来ないことを知って辟易した僕は、それ以来メモ帳に入力してからコピーアンドペーストしている。

そういえばこの記事を上げると、十一日間記事を書き続けていることになる。
最初は二、三日ごとに投稿できれば僕の暇つぶしにでもなるかと思ったが、一度投稿をやめてしまうと二度と投稿しないかもしれないし、働かなくなってからもはや三か月過ぎていて「面倒」をやる習慣がなくなってしまうことにある種の恐怖を覚えていたのだ。

僕は今日も書く。すっごく面白くてためになる記事は他のクリエイターの人に任せておいて、僕は概ね僕の為に書く。

文章で身を立てられるほどでないが、出来た人間でない僕の、限られた持ち物の中に文章はある。
別に他の人より図抜けて良いものでもないのだけれど、そこそこ使える代物だし、僕の人生を豊かにしてくれるような気もする。
何より、「面倒」だけれど長時間向き合っているのにそこまで苦を感じない。

それに僕は僕の文章がわりと好きだ。

昔の僕もよく文章を書いていた。
学校で流行っていたアニメや漫画の続きが読みたくて、友だち同士でシナリオ予想をし合ったり、スピンオフを書いたりしていた。本当は漫画を描きたかったのだけれど、絵が上手くなるほど根気もなかったし、何より小説の方が友だちに喜ばれた。
最初は自由帳に書いていたが、その内買ってもらったばかりのパソコンで書くようになった。当時パソコンが一般家庭に普及したばかりで検索エンジンがヤフーかMSNしかなかった時代だ。
周りの友達でパソコンが自由に触れるのは僕しかおらず、また手書きでない小説は複数の部数を刷るのも手軽で、瞬く間に僕の小説は学年全体に広まった(が、その後官能めいた小説が先生に見つかり、思春期に差し掛かるタイミングも相まってブームは去った)。

この成功体験に気を良くした僕は、個人のホームページを立ち上げて細々と活動しつつ、その時流行り始めのブログにも手を出した。
僕は僕自身の属性がブランドとして通用することを知っていたのでそういった類(今でいう女子大生社長とか大食い主婦とか)にまつわるタイトルを付け、時事ニュースを取り上げ、好き勝手に書いていた。
今の時代ほど自分の文章を晒す人が少なかった時代だったし、僕の年代でブログを立ち上げている人は少なくとも周りにはいなかった。
見る人ももちろん少ない時代であるが、圧倒的にライバルが少ない分、パイは食べ放題と言っても過言ではない。

僕のブログは見る見るうちにPV数を稼いだ。
記事をあげればたくさんコメントがつき、有名なブロガーの人が僕のブログの記事を取り上げてくれた時はとても嬉しかった。

そんな時、僕の友だちが別の友だちと僕のブログについて話題にしているのを耳にした。
血の気が引く思いだった。ブログにはかなり過激な、人に開示しないようなひどい考えもぶちまけていた。
心臓の音がうるさい。もしかしてわざとブログの名前を出して、様子見をしている?僕が書いていることがばれたらどうなるんだろう。
その友だちは嫌なやつではなかったし、今思えばばれたところで何にもならなかっただろう。
でもその日の夜、僕のブログの読者が発起人となってくれていた大型オフ会は、僕の一声で中止した。
僕はインターネット上の僕と現実の僕を繋げられてしまうのが、急にすごく怖くなってしまったのだった。

それから、何となくしらけた空気が流れた。僕も気まずくてブログを更新しなくなっていった。
そもそも個人のホームページに集客するためのブログだった。ブログがいくら盛り上がっても僕のホームページはずうっと閑古鳥が鳴いていたので続ける理由もなかった。

僕はそれでも、今日も書いている。
デスクトップの右下を見て、日付が変わる前に投稿すべく躍起になって文章を打ち込んでいる。

僕が画面に食らいついて文章を書いていると夫がのぞき込んでくる。
僕は僕の文章がわりと好きなので、夫にも勧めるが恥ずかしいから読みたくないなんてつれないことを言う(共感性羞恥を起こさせるような文章でもないと思うのだけど)。

それでいて彼は、「お前の文章を読まないやつを全員ぶちのめしたい。」と脈絡なく過激なことを言うのだ。
僕の文章は読むべきかどうかでいえば微妙な種類のものなのだけれど、まあ夫がそう言うなら他の記事も読んでもらえると幸いです。

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