シェア
テレビはテレビであって、他の何物でもない。しかし、気になることがひとつある。いつからテレビはテレビで、テレビジョンでなくなったのか、ということ。語源はテレビジョン、televisionのはずだ。日本でなければtelevisionをteleviと略しはしないだろう。でも、もしかして日本へは「テレビ」として技術と製品が輸入されてきたのだろうか。まず、そもそも、テレビはどこで発明されて大衆化してきたのだろうか。 そんな、“テレビ”という言葉の生まれがふと気になってしまった。 生まれ
言語ではなくて、教育課程における小学校の「こくご」や中学校の「国語」に相当する、教科としての、『国語』。 また、読んでる本からの話かよとなるかもしれない。哲学者の野矢茂樹さんの本「大人のための国語ゼミ」(山川出版社,2017)がとても面白い。とても面白く、とても恥ずかしい、恥ずかしいというのは改めて自分が「国語」をうまく学びきれていなかったことを知ったためで。ただし、恥ずかしいと思いつつ、面白いのは内容もさることながら、あのころ小学生や中学生でそのころの脳みそと枠組みで理解を
象の話を開始するより前に。 いま、読んでいる本のひとつに山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書2017)というのがある。まだ数十ページしか読んでいないけれど大枠は初めに紹介されていた。そのなかで特に驚くこともなかったし目新しい話であると思ったわけではない、けれど改めて言われるとじわじわと気になってくるなあ、といま感じている内容がある。本の中では、ビジネスにおける判断には「理性と感性」「論理と直感」の二軸があるとし、その比重について、日本では理
相似、中学数学で合同ののちに習う、ある図形とある図形が拡大図・縮図の関係にあること、あるいは、ある一つの図形を均等に拡大縮小するともう一方の図形と完全に重ね合わせられること。また、拡大縮小をすると二図形が合同になること、とも、合同を習得したのちにはそう言えるだろう。 中学生に、相似形そのものを教えることは決して難しいことじゃない。加えて相似条件についても、三つ覚えてもらえれば利用することが難しいことでもないように、掴んでもらえる。他方、難しいのは、線も図形もごちゃごちゃと混み
漢字が書けなくてさっき、ここに入力して変換して確かめた。挨拶の挨の字は書けていたけど、拶の字をてへんに参ると書いてアレッマズイとなったところ。湯上りの夕方、手を上げてご挨拶、とでも覚えておこう。ひとまずは。 はじめまして、ご無沙汰してます。おはようございます、こんにちは、こんばんは。失礼します、ごめんください、お邪魔します、お邪魔しました。さようなら、ごきげんよう。いただきます、ごちそうさま、おそまつさま。思いついたまま100文字分ぐらい、書き出してみた。まず、そもそも、挨拶
中学に上がると、小学生時期に知っているようで知らなかった、あるいは、ゼロより低い数字、という、気温由来の認識で定義抜きに知っていた、マイナスの概念を習う。数学における負の数、負の整数、など、基準とするゼロ、原点からプラスの方向とは逆方向に数える数に、符号としてはマイナス、−を数の前に付ける。プラスとマイナスの違いを把握し、「−800円の収入」を「+800円の支出」と言い換える言葉遣いを習い、数直線の読み方と使い方を「右方向は増加、左方向は減少」と学び、そしてその後に登場するの
この冬の時期になると、外出時とは別の、室内用の厚手の靴下が欠かせない。子供の頃は母親が「冷え性で足の先が冷えて眠れないよ」みたいなことを言っていて「へえそんなこともあるのか」と聞き流していたけれどついに私も30を前にして足の冷えに悩まされることとなった。たまに聞く、冷えて痛い、とまでは至らないものの、家から五分離れた場所から夜に帰ってくるだけで足のつま先はヒエヒエに冷えている。条件によるのだろう、夜勤明けで最寄駅から家まで帰ってくるときには、冷えてる場合もそうでない場合もある
ゲームにおいてはポケモンとか、ドラクエとか、キャラクターやプレイヤーを強くしてレベルを上げていくとか、レベルを上げていって冒険を進め最後のボスに挑み、「まったく敵わない」「こんなことがまさか」「勝てる兆しが見えない」と為すすべなく退けられたのち、地道なレベル上げに勤しみ新しい技を習得するなどし、強さと自信を備えてまたボスのものへ出向き「フハハハハ!まだ懲りぬようだな!蹴散らしてくれる!!」と迎え撃つ相手に「今度こそ」と挑む、そんなゲームのようなわかりやすい体験は我々の身体を伴
ドアとか、水栓の蛇口(ハンドル)とか、あとはなんだろう、タクシーの後部座席のドアとか、結局ドアか、うーん、とにかく、かつては何の気なしに手を使って動かしていたものが機械化に伴って自動で動くものが現れたのち、従来のように手を使って動かすものに対して我々は「手動」と言ってみている。「自動」の対の概念に捉えられるものの一つ。あ、室内の出入りの際に人感センサーで点灯消灯がなされる「自動」に対する手動の、スイッチというものもあるか。たぶん書きながら色々と思い出すのだろう。 人間が能動的
こう、指を動かしている時でも、書きあぐねて指が中空をさまよっているときでも、ぱちりぱちりと瞼は開閉を続けている。止まることなく、眼球が乾かぬよう、眼球表面にホコリがたまらぬよう、開け閉めを繰り返している。 瞼が重い。わかってはいるのだが、いまは眠気が襲って来る時間帯で、朝の6時を過ぎたところで、まばたきのスピードが若干ゆっくりになっていて、閉じた後に開けるまでタイムラグがある。タイムラグ、というか、よいしょと開けるまでの休憩なのだろう、瞼の。…ふう、いま数秒間、閉じて幾ばくか
宇宙戦艦ヤマトであるとか、ドラゴンボールで神様がナメック星からやってきた宇宙船とか悟空がナメック星に向かうために重力変換装置搭載させて乗っていった宇宙船とか、スターウォーズでハンソロが乗っているのとかとにかく色々、宇宙を旅する乗り物としての、宇宙船。SF作品でなら、「宇宙を旅する乗り物」だ。 じゃあ、いま私たちが現に生きている地球でもって、地球外から飛来する飛行物体を「宇宙船」というかといえばそんなことはなくて「未確認飛行物体」か「UFO」だろう。何かしら・誰かしらの生命体が
昔々、スーパーファミコンというものがありまして小学生当時にはそれでゲームして遊んでおりましてそのスーパーファミコンはテレビとは赤白黄色線の音声&映像ケーブルをつなぎ、電源としてはコンセントにプラグを差して使うものでありまして、その電源をとるプラグは簡素なものでもなくてなかなかゴツい直方体でたぶんジャガイモくらいでかくてそれを我々は「アダプタ」と言っておりまして、いま、目の前のMacBook Proの電源をとるために充電器をコンセント(タコ足ですが)に差したところでそれで「あ、
ひらがなで書くと混乱するけど、鍋敷き、食卓に熱い鍋を置くために敷くもの。うちではいま、グラタン用の薄い板を二枚並べて使っている。7ミリくらいの厚さでA5判くらいの大きさで、ぐ〜チョコランタン(予測変換に出てきた)とアンパンマンに出てくるキャラクターの顔が焼印で押されているもの。ぐ〜チョコランタンは見ていた頃の記憶はないので、キャラの顔はわかるけど名前が思い出せない。じゃじゃ丸ピッコロポロリ、の歌の並びはわかるけれど、いま食卓にある二枚に押された顔が、誰だかわからない。わからな
部屋のなか、目の前の机の上には地球儀があって、くるくると回せば地軸23.4度の傾きで小さな地球はこちらへ見せる面を変えていく。くるくると回る。何回でも回る。本来回る向きとは逆にだって、回す手の力の向きを変えれば平然と回る。それでも、赤道は同じ位置をぐるぐると回り、というか一筋の円上をなぞりずっと同じ位置に円を描く。赤道上に地軸を通すこともできないし、球が歪むような位置に(例えば日本の東京とオーストラリアのシドニーを直線で結ぶとか)回転軸をとることはできない。あくまで地球儀では