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名詞/Noun

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2018年10月の記事一覧

『からあげ』#279

子どもの頃の食卓に、家で揚げたからあげが出たことがあるか、という話をした。わたし、家で揚げたからあげというものを食べたことがなくて、それは今となっては腹におさまったことではあるけれど幼い当時、反発心があった。加えて言うと、コロッケもメンチカツもトンカツもなかった。つまり揚げ物を家でしなかった。さらに言うとハンバーグもなかった。父は半単身赴任で平日おらず、母は働いていて帰る頃には疲労困憊。聞くまでもなく、調理時に手がかかる上に後にも影響(揚げ油の処理とか換気扇や周囲の清掃とか)

『野菜ジュース』#278

マイブームとか、流行り廃りとかあるなかで、定期的にブーム化するのが野菜ジュース。飲むケース(入れ物のことでない。場面のこと)は毎回違っている。いまの用途としては、運動後の栄養補給、だ。 たぶん野菜ジュースにとって栄養補給自体にベストなタイミングは別であるような気もするけど、缶の野菜ジュースを冷蔵庫で冷やしておいて、運動後(ランニング後)に飲むことと、その飲み干した缶に水を入れて、余すところなく飲もうという意図と冷えた缶に水を注ぐことで少し冷えた水を飲むことができる、そして20

『ダイアローグ』#277

英語、dialogue、芝居に限らず一般的にもいう対話、会話。ダイアローグ。 もともと、モノローグという言葉は知っていたのだが、対する言葉としてダイアローグがあることは知らなかった、いや、どう言葉にしたらよいのかわからないけれど、ダイアローグはそれとして「対話」を意味する単語としてあるのは知っていて、モノローグに対しての対義語はトーキングだと思っていた。 一、単一であることと、対置される、反対の意味とされることは、複数であると思っている、というか、複数であることは二でも三でも

『モノローグ』#276

英語、monologue、芝居などの独白、一人語り。モノローグ。 独り言じゃなくて、独白、一人語り。ここの差異って、演劇でのことであるかそうでないかっていう、用法の限定であるわけなんですが、ただしそれも概念を読み替えることができる、面白いものだぞという、たとえば仕事からの帰り道に家の近くまで戻ってきたとき商店街を歩きながら「もう八百屋もしまっちゃったしスーパーも閉まっちゃったなぁ、だいぶ遅くなってしまった」と独り言を言ったとしたってそれもある面ではモノローグであると、言えちゃ

『エピローグ』#275

英語、epilogue、芝居の納向上、詩歌などの結びの部分。エピローグ。 プロローグは、ブレンドした種のばら蒔きであるとした。演繹的に導いていってそんな結論だった。じゃあエピローグはなんだろうといきなり結論に到達する方向で今度は考えてみたけれどそれなりピンときた言葉は、育った植物で花束を作ることであると、そんな感じになるかなとおさまった。 育った果実や作物で何かの料理をするのでもないし、収穫したものでサラダを作るのとも違う。それは、作物は、読んだ人のもので、収穫はこの文章にお

『プロローグ』#274

英語、Prologue、芝居の前口上、詩の序詞をいう。プロローグ。 私のこの書き連ねている千文字くらいの文章は、だいたいにおいて少しのプロローグ、序文をもって始まる。 前触れもなしに本文を書き始めることとは違い、プロローグ、それは導入というのでもなく、前口上、序文、前書き、この書き出しを取ると何が違うってまずは、ポエミーなことをアンニュイに書いてみることができる、それに類して、文体を気にしないエッセイ・ただ語感と書き味の良さだけを追求した言葉の連なりを組み立てることを許される

『ラジオ体操』#273

朝6時半の公園のベンチに置かれるラジカセはいま、スマホに変わっているのだろうか、そんなことをふと思った朝。ただいま5時55分。 朝早くに起きて支度をして公園に向かうのは億劫だったけど、親に行けとも言われるし、朝の空気自体は気持ち良いから嫌いじゃないし、あの、小学生だけでもなくおっちゃんおばちゃんみんながラジオの前に集まってくる感じはなんとなく面白い空間で、嫌いじゃなかった(2回目)。 日一日と小学生は減るなか、おっちゃんおばちゃんの数は減らない。そうしてどんどん、年寄りの空間

『寝相』#271

寝癖は不特定多数の人に見られうるものだけれど、寝相は極めて内輪の、特定少数の人に見られうるもので、寝相が悪いからといって職場で注意されるものでもないしだらしないと見なされるものでもない。むしろ、深夜にどこまで冒険できるかという行動力の尺度としてみなすことができる。どうだかな。 深夜の布団のうちでの冒険は、なにも脳内の夢に限ったことではないよと、夢の中、仲間と協力してモンスターを倒さんと意気込み、「やるぞ!おー!」と眠りながらにして布団の上で目を閉じたまま「おー」と右手を振り上

『寝癖』#270

はねた髪のまま飛び出した、今朝の夢の残り抱いて、というのはスピッツの正夢。 髪がやわらかくなって、くせっ毛っぽくなって、寝癖で毛先が曲がることにはもう違和感がなくなった。いっぽう、髪がハネるということもなくなった。頭がうっすら濡れたまま寝ても、根元が起きたとしても、重力に従って中間から髪は下り、輪郭がせいぜい四角くなるくらいで、「浮いた髪」くらいな感じ。生きてるうちは髪質が変わり続けるものだと思うけど、じっさいに変わっていると驚くもので感動というのに近い。 人体の変化。地味に

『駄作』#269

ひとつまえの『気流』#268については自分でもそうだし、誰が見ても読んでも、駄作だと思う。思うだろう。 そう思う理由、特徴はいくつかある。いくつもある。 まず、言いたいことがはっきりしていないこと、つまりヤマがないこと。気流は結局、話の中でどう生きてくるのか。縦横無尽に動いてもそれは気流であること、それにフォーカスしたかったような気がするけれどそうとも読めないし、ピンとこない。 つぎ、蛇足の文章がところどころに挟まれている。主題がどこかもわからないので、脱線してすらいないのか

『気流』#268

空気の流れ、風と言い表すのとは違って、特に目にする機会は天気予報、それとエアコンのカタログ。どんよりと雲がかかる夜空を見上げながら今年の激しい台風を思い出して渦巻く上昇気流が生み出す台風の目を脳裏に浮かべる。瞼の裏は大気圏。 少しだけ、意味を調べてみた。気流について、ウィキペディアでは気流のうち水平方向のものを風、鉛直上方向のものを上昇気流、鉛直下方向のものを下降気流としてトピックを分けているそうだ。つまり単語としての気流は、あっちやこっちやに流れる空気を総括したものだ、上へ

『現在』#267

過去、未来、ときて現在を考えてみることは過去と未来を貫く数直線の原点Oを定めること、点の打ち方を考えてみること、点の姿を捉えること、そういう言い方ができましょうか。 日付から妥当な話題を引くと、7年前のこの日を原点Oとすれば、その原点Oではアメリカの世界貿易センタービルが崩れている。その点から左のほうの過去、数日や数年ほどではビルはただそこにある。周囲の環境は日一日で変化をしているしビルの内部では人が絶えず忙しなく動いているけれどビルの姿を見るともなく見れば、変わりなくそこに

『未来』#266

生まれたての僕らの前にはただ、果てしない未来があって。と歌うのはMr.Children。積み上げていく過去に対して、私たちは未来を切り崩しているのか、切り崩した塊を形を変えて積み直しているのか。 人間の生命について考えればその考えは正しいように思う。人生90年(80年とか100年とか見方があるけれど判断力をキープしたままいられるのはこの辺かなと思って90年にした)、長短あれど有限の時間を過ごしているので数直線にも限りがありその上で点を少しずつ右に送られているわけで、能動的な積

『過去』#265

タグを付けて書き続けていて、このタグは書いている現在からしたら過去だ。昨日の日記、とか、書いている当日であっても時刻まで問わない日付である以上現在でもあり過去だ、みたいなレトリックでもなく単純に、少しずつ書くのが遅れてしまっているためにタグの日付が過去になってしまっている、というそれだけの恥ずかしい理由。リアルタイムの記録にもならないしよくないので早く追いつきたいがなかなか。 それでもこう、書き続けてきてもう200を超える数になってきて、質が下の下だったり下の中だったり中の下