『寝相』#271

寝癖は不特定多数の人に見られうるものだけれど、寝相は極めて内輪の、特定少数の人に見られうるもので、寝相が悪いからといって職場で注意されるものでもないしだらしないと見なされるものでもない。むしろ、深夜にどこまで冒険できるかという行動力の尺度としてみなすことができる。どうだかな。
深夜の布団のうちでの冒険は、なにも脳内の夢に限ったことではないよと、夢の中、仲間と協力してモンスターを倒さんと意気込み、「やるぞ!おー!」と眠りながらにして布団の上で目を閉じたまま「おー」と右手を振り上げる、そんなシーンはときどき漫画やドラマで描かれますね、そんな夢の内外の結びつき、それを表象するほか、なんの夢を見ているのかわからないけれど、布団でまっすぐ枕に頭を乗せて眠っていたかと思いきやゴロリと転がり布団を外れ、次々と繰り広げられる寝返りで90度回転してしまい頭と足が布団からはみ出るそんな、1次元を2次元に拡張するような、 派手な寝相の悪さもあってそれは私が小学生ぐらいの頃に親に指摘されたもの、今では直せていて良かったと心から思う、修学旅行とかでもそんな寝相だったのだろうかと不安になる。
寝相が悪くて自分の布団を飛び出していた子どもが、大人になって自分の布団の中でだけで寝返りを大人しく、完結させられるようになるのはなぜなのだろう。子どもから大人への変化はそりゃあ寝相だけではないわけで、学校の先生や友達の両親や、初対面の大人にでも、敬語を使わずタメ口で話しているような馴れ馴れしさも、中学生や高校生になるうち自然と、いや何かしらの外的影響もあってだろうけれど内発的に敬意を示す心構えが身について、失礼のないような振る舞いを体得していく。他者との距離感というか、他人に対して失礼のない振る舞いを覚えていくのは社会性と言っても差し支えないか。寝相の悪さが治るのも社会性獲得による、自分の布団を自己に許された領域として認識するようになって、睡眠時にも無意識化でも布団のなかでおさまる寝返りを体得するんじゃないか、と考えたのだがあながち間違いではないのではないかな。
宿泊先のベッドからでも落ちていた私も、今では無事に朝を迎えられるようになり、一緒に寝ている人からも文句は言われないし、それなりの社会性を獲得できたのだろうかと振り返る。ただ、一度だけ大学のときにどこかのベッドから落ちたのが最後で、あのときの場所を覚えていないけれど夢の感触はどこか居心地の悪い空間からの脱出だったと覚えていて、ベッドから落ちて感じた床の異質感はとても心地の良いものだった、それは一瞬で、夢から覚めてたちまち不快感に変わって起き上がって布団へ、心地よいベッドに上がったその一連の過程、あれが大人の階段だったのかなと思うわけで、駆け上がることの叶わないなかなかの高さがあるもんだと今思う。

#寝相 #180915

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