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日本人≒中国人、アフリカ人?

「ニーハオ!」
道を歩いていると必ずといっていいほどこう声をかけられる。
”日本人だ”というアイデンティティから、「違うよ、日本人だよ!」
と反論する。

「おーごめんごめん。日本人だったね。」と間違いを誤ってくれるのだが
「ほとんど一緒なんだもん」
これが挨拶のお決まりのパターン。

そして会話が進んでいくと「カンフーやってよ」「ジャッキーチェン(もしくはブルースリー)好きなんだよ」という話題に。

いやいや、日本人だってば。と思うのだが、彼/彼女らにとっては、中国と日本は遠く離れたアジアにある隣国同士の国。”ほとんど一緒”なのだ。
中国人と日本人の見た目も見分けがつく人はほとんどいないし、隣国だから文化や言語も共通していると思っている人も多い。
(日本人だとわかっても中国語をしゃべり続けるなど)

しかし日本人のことを考えれば全く同じことをしている。
多くの日本人はウガンダ人、コンゴ民人、ルワンダ人を見分けることはできないだろう。この地域を勉強していなければ文化の違いや言語を識別することもできない。むしろ、アフリカの人々を”どこの国の出身”の人と見分けることができず”アフリカ人”でまとめてしまっているのが現状だ。肌が黒ければアメリカ出身の人であれアフリカの人だと思う人も少なくないという、よりひどい状況だともいえる。

アフリカ各地域・民族の言語や文化を区別して理解している人も少ないため、アフリカ地域内の、ある一部の知識だけでアフリカ全体の国々・人々をとらえてしまう。以前、私自身も日本でバイトをしていた時にウガンダに渡航する話をお客さんにすると、右手に握りこぶしをつくりジャンプし始めた。恐らくマサイ族の真似をしていたのだと思う。彼にとってはアフリカは、メディア出演の多いマサイのイメージだったのだ。また、アフリカ全体に「野生動物、紛争、貧困」のイメージを持っている人はいまだに多く、親からも「野生の動物に食べられないようにね」「戦争に巻き込まれないでね」と心配された。

私自身、中国人だと勘違いされることや、日本の文化は中国の文化と一緒だと勘違いされることは悲しく感じている。愛国者だとは言わなくても、やはり私は日本人であり、日本の文化にある程度誇りを持っているのだと思う。しかし今まで書いてきたように自分自身、私たち自身もアフリカの人々を(ヨーロッパの人々に対しても)区別せずにとらえており、もしかしたら知らないうちに彼/彼女らのアイデンティティや誇りを傷つけているかもしれないし失礼なことをしていると思う。

「中国人」と呼ばれたときは決まって、
「私もあなたたちとコンゴ民人、ルワンダ人区別できないんだよ」
という話をする。すると面白そうに
「確かにそうだよね、それと一緒だね」
といった返事が返ってくることが多い。勝手に腹をたてるのではなく、自分はどうだろう、と考えることで、自分がやっていた過ちや相手が悪くない(悪気がない)ことにも気づける。

日本人にはアフリカのことを国ごとに知ってイメージを持ってもらいたいし、ウガンダの人にはもっと日本のことを知ってもらいたい。
”知らないこと”は時に人を傷つけることがある。
「他人の立場に立って考える」
小さいころに教えられるが、いつでも生きる教訓だと改めて思う。

(国のアイデンティティの話は物事の考え方の一種として取り上げた話題である。この思いや考え方は、国境を意識しているため、人々を地球市民として捉え、国を意識しない方がいいと考えた場合には論点が変わってくる。そのため今回は考慮せずに話を進めている。)

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