ショートエッセイ:神田伯山さんのコメント欄でもこうなるのなら
はじめに
私はVtuberとして、バーチャルの体を使っているとはいえ人の前に出る活動をしています。
こういった活動をしていると「嫌われたくないな」とか「アンチができたら怖いな」「クソコメとか来たら悲しいなぁ」などという気持ちは常に湧いてきます。きっと、ほとんどの配信者がそのような気持ちを抱いているでしょう。
けれども最近、「アンチできないようにとか気にしても仕方がないんだな、少なくともこっちが悪いって思いすぎる必要はないんだな」と思う出来事がありました。
本題
今年の初めあたりに薦められて、自らのトークの参考にするため講談を聴くようにしています。間の取り方や緩急など、本当に話し方における学びがたくさんありますので配信者にはお薦めできると思います。とはいえ現状でどれくらいの効果が出ているかはわかりませんが…。
ただ、少なくとも聴いていて楽しいですし「なんでこんなに一人の語りから豊かな世界、その人の細やかな機微が立ち上がってくるんだ」と感動することしきりです。
その時によく聴くのが真打の神田伯山さんのYouTubeチャンネルです。恐らく現代では一番名の広まっている講談師の一人でしょう。「講談」でyoutube検索をすれば真っ先に出てきますし、ラジオ好きである私にとっては「問わず語りの神田伯山」もあります。この方がYoutubeチャンネルで講談を公開されています。ありがたい時代になったものです。
講談、伝統芸能全般に慣れていない私でも本当に楽しめていますし、本当に面白いのでぜひ皆さんにも聴いてほしいです。その中で私の好きな作品である、首なし事件という講談があります。
「天明白浪伝」という天明の飢饉など政情不安が強かった時期の盗賊たちの物語の一節で、四十を過ぎた男と結婚したばかりの若妻を巡るミステリー仕立ての物語となっています。人々の業や機微、ユーモア、そして人々の生きる力が節々から感じられて、最後の終わり方まで面白いのでぜひ見ていただきたいと思います。昔の表現だから何言っているかわからないとか全くないですし、同時にあの頃の活気がよみがえるような感覚があります。
さて、最近バスを待っている途中に「首無し事件」を聴きながら、ふとコメント欄を見てみました。いつもスマホにイヤホンをつけて移動中などに聴いているのでコメント欄はほとんど見ていませんでした。そうしたらコメント欄にこんなことが書いてあったんですよ。
…すごくないですか?もうツッコミどころが多すぎて…。まず講談と落語ってそんな簡単に比較できるものじゃないし…。
これを見た瞬間、びっくりすると同時に「あの神田伯山さんにこんなクソコメントがつくならもう恐れても仕方がない、つくときはつくって思ってやっていくしかないな」と強く思わされました。もうこれはさすがにコメントする側の問題だよ…。
もちろんアンチがつくこと自体は辛いですし、起きてしまった状況によっては対応も必要になるでしょう。ただ、もしそうなってしまったときも「自分が悪かったのではないか」「こんなのがつく自分は向いていないのではないか」と思いすぎず、最低限の反省をしながら前を向いてやっていきたいなと改めて思いました。もちろん常に自分を精進させていくことは必要なのでしょうがこういうタイプのネガティブさに引っ張られず自分を成長させていければと思っています。
余談
前述の通り神田伯山さんは「問わず語りの神田伯山」というラジオ番組をされています。さすがのトーク力でラジオらしい踏み込んだ発言などもされている楽しい番組です。
この番組の必ず最初に言う言葉で、
とおっしゃるのが、私すごく大好きなんです。「そうか、私がラジオ好きなのってこういう理由なんだな」と感じます。テレビとは違う、明らかに台本とか関係ないところから出る言葉。でも、日常生活で友人や同僚が言う「ぶっちゃけさぁ」から始まるような本音とは違う、ほんのちょっとの飾りがあって、それゆえに耳触りよくエンタメ的で、だからこそ聴いている自分の糧にもできる本音。それがで聴けるのがラジオなんだろうと。私も、自分を、そして自分の喋りを磨いて少しでも「人に届く本音」「言葉を選んだ本音」を皆さんに届けられるようになればと思っています。
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というわけで私もポッドキャスト「エンタのサブロク」をやっていますのでぜひお聴きください!
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