大根おろし論争

 シャーッ、ガシャン。シャーッ、ガシャン。そんな音があちこちから聞こえてくる。そして、しんと静かになる。

 ここは、家から歩いてすぐのところにある商店街である。本当、目の先にある商店街である。全体の7割ほどを、50〜70年代から続く古い店が占めており、その他は比較的新しい店が多い。古い店が閉店すると、ほとんどの場合、意欲のある若者の手によって、新たな店が建つ。しかし、この商店街の規模は小さくなりつつある。なんでも、後継者育成の為のノウハウに欠いているとのことだ。
 僕はこの場所が好きで、時間が開けばいつでもここに来る。特に何かかうわけではないが、買い物する人々と彼らの従業員との会話を聞いてほっこりするのが、とても好きなのだ。
「この大根は辛いから、おろしにして食べるんです。」
と軽めの皮肉を笑いながら言う奥さんがいる。そこへ、
「いやいや、おろしこそ、辛くない甘い大根で作るべきだろう。」
と、近くにいたおじいさんが会話に入ってくる。八百屋の親父さんは
「んーどっちも捨てがたい!」
と中立だ。そうして彼らは「大根おろし論争」を繰り広げ、30分は論争を続ける。白熱の大激論だ。双方が負けじとあらゆる主張のもと説得にかかる。親父さんは双方に対し均等に同意していく。ある時に突然奥さんが我に帰り、
「あらやだ、はやく帰らなきゃ。」
というと同時に、「大根おろし論争」は一時休戦となる。今度こそは我の大根おろし論を通してみせると胸に誓いながら、各自自宅へ帰り、仕事に戻る。
 彼ら商店街の人々はは時に喧嘩して、かなり大きな喧嘩に突入することもある。店の閉店時間になっても、シャッターを下ろすことも忘れて、夢中で口論を続ける。もちろんそれをみたら止めに入るし心配もするが、彼らの喧嘩は、なんとも魅力的なのだ。彼らは自らの主張という金槌を思いっきり振りかざし、互いに討論という名の鉄塊を叩いてその温度を高めてゆく。お互いに、時に意気のあったリズムで、時に全く噛み合わないリズムで鉄塊を叩いていく。鉄塊は叩かれまくって、その熱で赤くなってゆく。文字通り「白熱」する討論を繰り広げ、彼らがふとその鉄塊を見ると、それがなんとも見事に叩き上げられた最高の鉄素材となっていることに気づく。そして、お互いなんとも照れくさくなって、最後は仲直りする。この一連の流れに、私は感動するのだ。
 そんなにぎやかなこの場所が、私は大好きなのだ。

 しかし最近になって、特に若者たちが営む店が増え始めてから、様子が変わってきた。商店街の通りが静かになった。人々が会話をしなくなった。したとしても、「お会計〇〇円です。」「ポイントカードはお持ちですか?」「領収書をお願いします。」くらいの、必要最低限の会話のみだ。
 しかも、特に若い店員たちは、とても無愛想になった。何か話題が上がっても、決まって「人それぞれ、違う価値観がありますからねぇ。」という文句で全てを片付けてしまう。そのためにせっかく会話をしようとした買い物客は全員気まずい思いをするはめになっている。
 時に若者通しで喧嘩をする。だがその喧嘩は、一瞬でカタがついてしまう。少し口論すると
「私たち、違う価値観を持っているので分かり合えないですね。」
というセリフを吐いて、その口論を終わらせてしまう。二人は真顔のまま、今まで通りの作業に戻る。その後二度と会話することはない。
 この瞬間だ。この瞬間に「シャーッ、ガシャーン」という音がどこからか聞こえてくる。まるでシャッターが乱暴に下ろされるときのような音。なんとも気分が悪くなる。
 シャーッ、ガシャーン。シャーッ、ガシャーン。あちこちから聞こえてくる。そして、一層静かになる。

 「価値観」が違う。ならば議論するだけ無駄だ。そういって若者たちはシャッターを次々に閉じてゆく。関係を断絶する。
 なんて寂しいことだろう。もう「大根おろし論争」を見ることはできないのだろうか。

 最近買った大根は、土に埋まっている部分は甘く、葉に近づくほど辛くなっていた。だいたい半分で切って、違う調理方法でいただいた。両方とも旨かった。

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