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跡部様が「新テニスの王子様」で自称する「氷の皇帝(エンペラー)」の意味


真田弦一郎について考察したので次は満を辞して跡部景吾様の本格的な記事を書こうと思っていたのだが、その前にふと私の中で疑問だったことが挙げられる。
それは最近テレビシリーズでも披露された「氷の皇帝(エンペラー)」であり、真田が「皇帝」を名乗らなくなったと思ったら今度は跡部様がその称号を使い出したというわけだ。
真田が「皇帝」と呼ばれることへの違和感は真田のコラムで書いたようにあくまでもあれは恐怖政治を敷いていた時の真田の威圧と緊張感を指してそう言っていると解釈した。
要するに周りが勝手に作り出した「虚像」であり、真っ向勝負を信念とする真田のテニス哲学は日本の戦国武将に近いイメージであるから、皇帝とは程遠い。

しかし真田の「皇帝」という称号はその偶像ごと一度関東大会決勝S1で越前リョーマに負けた時に崩れ去った訳であり、全国大会決勝S3の手塚戦では「皇帝」ではなく「個人」としての真田弦一郎で挑んだ。
そう、もう既に真田は全国大会決勝においては「王者」ではなく「挑戦者」として臨んでおり、だからこそ真っ向勝負で何が何でも手塚に勝ちたいと必至に食らいつき、紙一重の差で手塚に勝利した。
あそこで真田が「もう二度と貴様とはやらんぞ」と言ったのは決して手塚の強さに参ったからではなく、真田の中で「手塚に勝つ」という過去の清算ができて、彼なりに納得した試合ができたからだろう。
今度はそれを幸村にも体験して欲しいと願い、越前リョーマのところに行って雷を見せ、敢えて越前リョーマを高みへと押し上げて幸村と対等に戦って欲しいというのが彼の願いだった。

そして「新テニスの王子様」では幸村に惨敗して負け組に入ったことをきっかけに王者としてのプライドをもう一度捨て去って、這い上がるところからテニスをやり直している。
だから今はもう「皇帝」としてではなく「闘将」として、テニスプレイヤーとしての真田弦一郎がそこにいると言え、幸村との関係性も無事に修復して彼なりのテニス街道を歩き出した。
いや、真田に限らず幸村も赤也も立海大附属は関東大会と全国大会の両方で青学に負けたという現実をしっかり受け入れ、消化して今度は「チームのため」ではなく「自分のため」にテニスをしている。
それは青学や四天宝寺も同じであり、「新テニスの王子様」は「部活動の大会」という枠組みがなくなった後の越前たち中学生が高校生との交流で揉まれながら世界という大海に飛び込む群像劇だ。

そんな中で気になったのは他ならぬ跡部様だが、「新テニスの王子様」では彼の過去回想が出てきて、入江や手塚辺りに苦汁を嘗めさせられながらも前に進んでいる。
そしてドイツとのエキシビジョンマッチではダブルスとはいえドイツに移った手塚に1-6で惨敗し「お前の覚悟はそんなものか?」と問われているのだが、これは関東大会初戦の再来だ。
旧作の跡部VS手塚は間違いなくスポーツ漫画の歴史に名を刻んだ名勝負であったが、あの試合はスコアの上でこそ跡部様の勝ちだが試合内容としては決して100%満足とは言えないだろう。
最初は手塚の欠点を見破って揺さぶりをかけてペースを崩そうという心理戦に持ち込んだが、手塚のプレイが一切変わらないのを見て読み違いをしていたことに気づき態度を改めた。

そして二度目の全国大会準々決勝S1での越前との対決では気を失って負けても尚膝を折らずに君臨しており、手塚はそれに敬意を表して「気を失って尚君臨するのか」と述べている。
このセリフはかつて跡部様との死闘を演じた手塚だからこそ出てきたセリフだが、同時にこれがある意味でいえば跡部様の跡部様たる所以であったといえるだろう。
跡部様は自らを「王様(キング)」と称し派手な「俺様」と名乗る言動も多いが、それは「リングにかけろ」の剣崎順や「ドラゴンボール」のベジータと同じ「ノブレスオブリージュ」である。
高貴な身分に生まれたものの宿命として世のため人のために強くある、そうあろうとするべきだという帝王学を小さい頃から叩き込まれており、それがあの気高い自尊心に繋がっている。

そんな彼がなぜ「跡部王国」からの「氷の皇帝(エンペラー)」に至ったのかは謎であるが、これは彼の幼少期から歩んできた道のりを考えていくと理解しやすいだろう。
跡部様は跡部財閥の嫡子として生を受けたものの、幼少期は決してテニスの才能に恵まれていた訳ではなく身体的なハンデを乗り越えて自力であの戦い方を獲得したことが語られた。
あの派手な俺様のイメージに反してテニスそのものは驚くほど地味でロジカルなのも才能に恵まれなかった経験から自分が生き残るための戦略・戦術として努力で勝ち取ったのである。
これはテニスに限らず全てにおいておそらくそうであり、プロフィールの「生徒会長」「得意科目:全教科」も全ては地道な努力を重ねてのことだろう。

テニスの王子様には様々な「天才」はいるが、ではその反対に「努力家」は誰かと言われたらまず跡部様を挙げるファンがほとんどだ、異論は認めない。
そんな跡部様は幼少期において既に「才能に恵まれない苦しさ」を味わってきたわけであり、それでも尚最強たらんとして氷帝テニス部200人の頂点に立ったのは帝王学あってのものだといえる。
おそらくは執事や両親から「何事においても頂点に立ちなさい」という教えを施し、それが跡部様の自尊心の高さに繋がっていて、かつそれを背負う覚悟のある人なのだ。
そしてそれを跡部様は「氷帝」から「中学生代表」へ、そして「日本代表」へと変わっていき、「王国」を建国した後に手塚に敗北したことを受けて「皇帝」になるということなのだろう。

つまり跡部様が真田に変わって今度は「氷の皇帝(エンペラー)」という名前をつけたのは単純にそれがテニミュからの逆輸入を許斐先生がやっているからというだけではない
要するに跡部様は跡部様らしく天衣無縫の極みに行かない形で「王様」の上位互換である「皇帝」になることで自分を進化させようとしたのではないだろうか。
跡部様の記事に関しては別個にまた書くことにするが、跡部様は「皇帝」まで名乗ってしまったら次は何になるのか、楽しみで仕方がない。

余談ですが、元ネタとなった「ミュージカル テニスの王子様」の「氷のエンペラー」も是非ご覧ください。


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