他人の不幸は蜜の味!?喜劇よりも悲劇の方が数字が稼ぎやすい理由を教えられた受験生版Tiger Fundingの炎上
令和の虎は受験生版も含めて様々な志願者が来るわけだが、以前私が触れた中島くんのような素晴らしい志願者もいれば、「何をお前勘違いしてんの?」と言いたくなるような志願者もごまんといる(というか、どちらかといえば後者の方が多い)。
しかし、まさかここまで話が全く通用しない真の愚者を見ることになろうとは思いもしなかった、本当に過去最凶最悪の志願者だったのではないかと思うほどだったし、しかもこの件に関しては受験生版だけに留まらない。
今回「東大理三以外はカス」などという日本全国の受験業界の方々を敵に回すような舐めた発言と幼稚園児レベルの白痴じみた稚拙なプレゼンにすらなっていないノイズをお届けしているこの人にはさしもの理三の神・河野玄斗までもが触れている。
至極もっともな理路整然とした神からのありがたいお言葉もそこそこに今回の件に触れることにするが、今回なぜこれが社会的ニュースになるレベルまで伸びたのかというと、理由はシークエンスはやともがダイノジチャンネルで言ってたこれに尽きる。
そう、人間という生き物は喜劇(コメディー)よりも悲劇(トラジディー)の方が好きであり、そちらの方が数字が抜群に伸びやすいということが歴史的に証明されているからだ。
以前にヒカルが令和の虎に志願者で出演した時に「悪い方が伸びる。僕と社長が揉めるところを動画で出したらバズりますよ」というようなことを言っていたがそういうことである。
ジャニーズの嘘か本当かもわからない性被害でやんや芸能界が荒れているのだってそうだろう、人はそうやって栄光を手にした成功者が落ちぶれていく瞬間を奥底では望んでいる残酷で卑劣な生き物なのだ。
以前に北野武も映画批評家・蓮實重彦との対談の中で「民衆の恐ろしさ」についてコメントしている。
「一番のファンが一番足を引っ張る」が本当にそうで、これは私自身も何度か経験してきたことだが、大して親しくもないのに一方的に私を崇め奉るファン・信者のような人たちこそ私からすれば怖い存在である。
何故ならばそういう人たちは私に対して何かしらの色眼鏡というかフィルターを通して美化した「偶像」として見ているので「等身大」な私自身を好きというわけではないであろうことがわかるからだ。
だから私は本当によっぽど深く付き合ってみて「この人なら信頼できる」と心底から思えた人に対してしか自己開示はしないし、むしろファンやフォロワーの人たちは半分「敵」と思うくらいの冷静さがないとダメだと思う。
まあ今回の場合は明らかに志願者が100%悪いのであって、刃傷沙汰や暴力事件のような刑事に発展しなかっただけマシな方だが、私が一番恐ろしいのはこういう無軌道に感情のみで動くタイプである。
理性が通用する賢い人とは違い頭のネジが何本も飛んでいるような人は何をしでかすかわからない怖さがあって、追い詰められたら刃物や拳を持って襲撃しようとする怖さがあるのだから怖い。
まあ一番恐ろしいのはそんなもの達ですら集団的に民意で追い詰めて悪者に仕立ててしまう民衆の方なのだが、これもまた時代の変わり目なのだろうか?と妙に感じるところがあった。
閑話休題、とにかく人間という生き物はたとえいつの時代になろうとも心の何処かに残酷さ・卑劣さ・凶暴さを秘めており、他人の不幸すら踏み台にしてしまう怖さがあるのだと実感させられる。
ましてや令和の虎という、良くも悪くもYouTubeの中で賛否両論が起きやすく注目されやすい世界となれば尚更のことではないだろうか?本当に凄い世界で戦っているものだ。
だが、よくよく考えればこれって漫画・アニメなんかもそうであり、例えばロボットアニメだったら「マジンガーZ」「ゲッターロボ」のような明るい王道よりも「ガンダム」「エヴァ」が世間の注目を集めやすいのと同じだろう。
主人公がネガティブで内向的な性格をしているのもあるが、何より「人の死」や鬱展開をこれでもかと視聴者に叩きつければ、それだけでも注目を集められるしドラマっぽく終えることができる。
永井豪の代表作と言われる漫画版『デビルマン』も同じだろう、あれだって何故アニメとは異なるカルト人気を得られたかといえば、ひとえにシェイクスピアを想起させるような悲劇的展開に他ならない。
日本の伝統芸能でもメインはあくまでも悲劇的な「能」の方であり、喜劇の「狂言」はその合間に挟まれるものであり、やはりシリアスな悲劇の方が注目を集められるし集客もしやすくなる。
それこそ「ドラゴンボール」だって、人気を集めたのは喜劇的な展開が多い無印編よりも人死にが多くシリアルな悲劇が多めのサイヤ人編以降だし、とりあえず人気稼ぎがしたかったら人殺しに走って盛り上げるのが手っ取り早い。
人が死にさえすればそれだけで1つのドラマを作れてしまうわけだし、それこそサイヤ人編なんかはヤムチャを始めそういう「人の死」が豊富に描かれているから、是非ともそういうのが見たい人はサイヤ人編〜ナメック星編を読むといいだろう。
そういえばスーパー戦隊でもよく「戦士の死」といったものが取り沙汰されることがあるが、あれだって結局は「悲劇的なものの方が喜劇的なものより注目を集めやすい」というシンプルな結論に行き着く。
戦士達が敵に打ち勝ってスカッと勝利を得る話よりも無様に敵にやられて死ぬ方が絶望感を与えられるし、そういう悲劇的な深刻ぶったものの方が高尚であるという錯覚は誰しもがしやすいものである。
しかし、少なくともこんなことで喜ぶような下衆にだけは私は間違ってもなりたくないし、これに味を占めて虎側が無茶苦茶な志願者を引き寄せる悪しきゴキブリホイホイみたいなところにだけはならないことを願う。
こんな神様も仏様も救いようのない犬畜生にも劣るような輩は令和の虎に限らずどこに行っても通用しないだろうし、自らの過ちに気づくことも悔いることもなく一生を終えるのではなかろうか。
現実にはこういうのがごまんといるのだと思うと、日本は本当に一度完璧にダメになるしかないというのであろうか、それほどに教育力も経済力も昔に比べて落ちてきているのかとこの国の将来を憂いてしまう。
まあでも、首相が「検討します」で保身に走って税金対策も何もかも無茶苦茶な人がやっている現状では改善されるという見込みはないのかもしれないが、こんな怪物を生み出していることを文科省は恥じて欲しいものである。
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