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スーパー戦隊シリーズ第36作目『特命戦隊ゴーバスターズ』(2012)

スーパー戦隊シリーズ第36作目『特命戦隊ゴーバスターズ』は前作「ゴーカイジャー」のド派手さとは真逆の地味でリアルな作風となりました。
チーフプロデューサーは武部直美氏、そしてメインライターが小林靖子女史という「仮面ライダーOOO(オーズ)」のコンビです。
おそらく「オーズ」がそれなりに好調で玩具売り上げも作品としてもまあまあまとまっていたので、その実績を買われてのことでしょう。
しかし蓋を開けてみればこれがもう大惨事であり、私はどうにも最後の最後までこれがとても小林女史の作品とは思えなくらいにひどい作品でした。

本作で注目すべきはやはり元マジイエローの松本寛也氏や今声優として大活躍中の小宮有紗氏、また鈴木勝大氏に馬場良馬氏辺りでしょうか。
あとはリアルにヒーローらしいことをやった黒りんを演じた榊英雄氏などメンツとしては演技達者な人たちが揃っていて悪くありません。
それからヴィラン側も地味ではありますが、陳内将氏や水崎綾女氏など演技力や存在感はそれなりにあって、水準以上ではありました。
とはいえ、私は第1話の段階で「これはダメだ」と嫌な予感がしてしまったのですが、物の見事にそれが的中してしまったのです。

本作は「ゴーゴーファイブ」「タイムレンジャー」以来となるメタルヒーローやレスキューポリス路線を2010年代にもう1度やろうとしたのでしょう。
思えば00年代戦隊からずっと長らくファンタジー路線が続いていたため、ここでリアル路線への揺り戻しというか挑戦を行おうという試みがありました。
また、本作の前年には3.11(東日本大震災)と福島第一原発事故の問題があって、そのあたりの社会情勢に向き合った作品を作ろうという意図があったようです。
結果的にその意図や試みは全部裏目に出て外れてしまい、視聴率はもちろん玩具人気も前作「ゴーカイジャー」からまたガクンと落ち込んでしまいます。

そういうわけなので、やはり本作もまた反省会・フィードバックという形での辛口評価になってしまいますので、ファンの方はご注意ください。


(1)全く噛み合っていないヒーロー側とヴィラン側の設定

まず最初に挙げられるのはヒーロー側であるゴーバスターズの設定とヴィラン側であるヴァグラスの設定があまりも煩雑すぎて、全くと言っていいほど噛み合っていません
一応パイロットの2話までの段階で設定に関してはあれこれ説明してはいるのですが、どうにも要領を得ないというか寧ろ説明すればするほど疑問が雪だるま式に増えていくのです。
まずヒーロー側であるゴーバスターズの連中からして、なぜヨーコとリュウジが先に戦っていてヒロムだけは姉の元でぬくぬくと過ごしているのかがわかりません。
更に主人公たちが所属しているエネルギー管理局特命部も一体どういう組織で、何のために設定されたのかが劇中で見ている限りでは全くピンと来ないのです。

それだけならまだしも、敵側であるヴァグラスも設定がちぐはぐで、なぜエネルギー管理局の奴らがそんな電脳世界にいるショボい奴らと戦わなければいけないのでしょうか?
しかも怪人と巨大メサイアのつながりもよくわからず、なぜエンターが巨大メガゾードを送る前に等身大の怪人が街中で破壊行為を行わないといけないのかもわかりません。
物量作戦で押しているわけでもあるまいし、そんなことするくらいなら最初から巨大メガゾードを送り込んで一気に作戦を遂行すればいいのですから無駄が多すぎます。
まあそのことに関しては「首領であるメサイア脳筋すぎたから」と説明されるのですが、そんな雑な理由で納得できるかといえば全く納得できません。

それから本作はリアル路線にも関わらず巨大メカもバディキャラも動物で統一させているのですが、これもなぜそんな風になっているのか必然性がないのです。
そう、設定の噛み合わなさやズレでいえば「メガレンジャー」の比じゃないレベルでひどいのですが、「メガレンジャー」の場合は最終的に「高校生戦隊の未熟さ」へと方向性を絞りました。
しかしその点本作では最後まで何をメインで見せたいかの軸足が全く定まっておらず、軌道修正を行わないまま1年間を進めているので全く話に乗れないのです。
それにヒロムたちのキャラ付けも可愛げがなさすぎるというか、可愛げがないならないなりにそれを脚本や役者の演技力・演出力でねじ伏せてもいいのに、それすらもありません。

とても小林女史の脚本とは思えないほど作品の世界観やキャラクター、ストーリーに関して全てがチグハグなままで、これはもう「シンケンジャー」までと比べると明らかな衰えぶりです。
まあ「シンケンジャー」の時点で小林女史の構成力も若干陰りが見えたというか落ちてはいたのですが、それでも年間の大筋であった「殿と家臣の主従関係」という物語の芯は貫きました。
本作ではその「物語の芯」と呼べる部分が全くなく、それどころか「失敗したからあっさり諦める」という選択さえしており、これだと何のためのヒーローかわかりません。
また、本作は「カクレンジャー」以来の二部構成となっているのですが、その二部構成に意味があったのかわからないほど前半と後半で作風に変化がないのです。

設定が「難解」であることと「煩雑」であることは全くの別物であり、本作はとにかく立ち上がりどころか企画の段階できちんと詰めきれてないまま生煮えで出したとしかいえません。

(2)震災と原発に取り組んで何をしたかったのか?

最初の方でも書きましたが、本作が取り組もうとしたのは2011年に起こった3.11(東日本大震災)とその影響で起こった福島第一原発事故だったことが伺えます。
これに関しては小林女史も後年のインタビューやラジオなどで少なからず震災と原発のことを意識した作りにしていたという風に語っていました。
それが生き別れになった親が戻って来ないといった設定や原発のメタファーであるエネトロン、またあれだけ人数がいる割にいつもゴテゴテなエネルギー管理局は東電のカリカチュアだったのでしょう。
しかし問題はそれが全く面白さに繋がっていないことであり、そもそも震災と原発をテーマとして何をしたかったのか本作からは全く読み取れません。

もし本気で震災と原発が起こった後の人の生き方、震災との向き合い方を描くのであれば、こんな安っぽい設定とプロットではなくもっとしっかり設定を練っておくべきでしょう。
そもそもスーパー戦隊シリーズという架空度が高い子供向けの娯楽でそういう社会的テーマを描くことには無理がありますし、ましてやそれが災害などであればなおさらです。
ゴーゴーファイブ」では確かに災害が描かれていましたが、あれはあくまで敵組織の脅威の表現とそれに立ち向かうマトイ兄さんたちの前向きな姿勢を描くためでした。
しかも「気合だ」でストレートに突破するところに魅力があり、ともすれば複雑化しがちな問題をシンプルにすることでそういった社会問題への深入りを避けたのです。

また「タイムレンジャー」では確かにマスコミとの関わりであるとか親子の確執とか復讐とか犯罪とか歴史とか、背景設定に抱える問題は複雑でした。
しかし、それらはあくまでも竜也たちの「明日を変える」というそれぞれの欲望と向き合い、これからの未来に向けてどう生きていけばいいのかを考える装飾にすぎません。
そういう装飾を剥いでいった時に見える本質的なテーマはあくまで「若者の生き方」であり、しかもギリギリのところでそれを肯定しなかったところも見事でした。
つまり「等身大のドラマ」を描くために社会問題だとか歴史だとかを設定しているのであって、社会問題だとか歴史がどうとかを描くためにキャラのドラマがあるわけじゃないのです。

本作は完全にその辺りの「メインで描くべきこと」と「そのために必要な背景設定」という主従や取捨選択を履き違えてしまい、本末転倒な結果となってしまいました。
しかもなぜだか物語のテーマが「人間と機械」というところに着地してしまい、その結果人は機械がなくても繋がっていくなどというよくわからない結論を出したのです。
本気で震災や原発と向き合ってこんな結論しか出せないのであれば、そもそも何のためにストーリーとキャラクターらが設定されているのかがわかりません。
当然ながら、そのちぐはぐ具合は作品人気と玩具人気の双方に大きな影を落とし、完全に「失敗作」の烙印を押されてしまうことになったのです。

(3)上手くつながらないドラマシーンとアクション、メカニック

このようにそもそも本作はキャラクターのドラマと設定がうまくリンクしていないせいでドラマシーンはもちろんアクションもメカニックも全く生きてきません
スタイリッシュなリアリズム溢れるスパイ映画のようなアクションもそれ自体は嫌いじゃないのですが、「そもそもなんのためにその力を使うのか?」が規定されていないから魅力が伝わらないのです。
それは相棒キャラやメカニックである巨大ロボにおいても言えることであり、そもそもなぜ巨大メカを使うのかの必然性も劇中で全く合理的な説明はなされていません。
本作はメカニックが売りだそうですが、だったらどうして戦隊シリーズのメカニックに定評のある武上純希氏や宮下隼一氏を呼ばなかったのかという話です。

歴代戦隊でメカニックが素晴らしかった作品というと、やはり「ゴーゴーファイブ」「ボウケンジャー」が挙げられますが、この2作は単なる巨大ロボとして出てきたわけではありません。
救急マシンを中心にゴーゴーファイブはそれぞれのロボットのスペックと用途を書き分けており、それを最後まで一貫して描いていたので、ラストのマックスビクトリーロボのブラックバージョンさえなければ完璧でした。
またゴーゴービークルダイボイジャーなどもややメカが増えすぎな部分はあるものの、しっかり用途に応じた使い分けはされていて、単に巨大戦をやるだけのメカとして描かれたわけではないのです。
その点本作に出てくるゴーバスターズのロボはモチーフが動物であることも含めて、何のために使われるメカなのかがきちんと視聴者に伝わる形で規定されていません。

一応名目上は救助活動や大型作業なども兼ねているようですが、それならそれでもっと公共機関や外の世界との関わりも描くべきであり、その辺りの描写も中途半端です。
リュウジの夢とかその辺のエピソードを描いたあたりは好きだったのですけど、それくらいで他に世間一般の人たちとの関わりがあまり描かれていないのもそうした欠点につながっています。
別にそういう地味さが売りでもいいのですが、地味さを売りにするならもっと変身前のキャラクターをしっかり掘り下げて立てるべきですし、そうでなければもっと変身後のキャラを派手にするべきでしょう。
本作はその点せっかく3人戦隊としてキャラの人数を絞って描いているにもかかわらず、最後の最後までキャラクターを好きになれないままで終わってしまうのはきついです。

少なくともヒーロー側に関して諸手挙げて好きになれるタイプは1人もおらず、強いて言えば苦労人気質のリュウジくらいでしょうか。

(4)実質の作品名は「電脳戦士エンター」


そんな本作ですが、私が最後まで本作を見ることができたのはヴィラン側で最後までゴーバスターズを翻弄し続けたエンターであり、実質の作品名は「電脳戦士エンター」ではないでしょうか。
まさかここで本作の最終的な評価が「ゲキレンジャー」とかぶってしまうとは思わず、「ゲキレンジャー」も実質的な評価は「ふたりは臨獣拳士」でリオメレの魅力で持っていました。
その点では本作もまた最終的な視聴意欲となったのは組織の苦労人にして、最終的には個人事業主としてゴーバスターズへ戦いを挑み続けたエンターです。
彼が倒れるまでゴーバスターズを圧倒し続ける物語だと見ると、本作はそれなりに成功している部分はあって、私はエンターだけに感情移入して見ていました。

彼の「サヴァ」というかっこけた台詞回しといい立ち位置といい、やや斜に構えながらも最後までゴーバスターズを引っ掻き回してくれて、なかなかの名悪役ではないでしょうか。
まあどちらかと言えばエンターみたいな敵は戦隊シリーズ向きではないというか、どちらかと言えばライダーシリーズ向きではあるのですが、それでもカッコよかったです。
初期はバカ首領のメサイアに振り回されながらも何とか頑張り続け、そしてメサイアがいなくなってからはうまくエスケイプを操りつつ最後はレッドバスターに肉薄する存在になります。
そう、まるで武部Pらに振り回されながらも必死に脚本を書き続けた小林女史のように…そう見ていくと、何だか本作のごちゃごちゃした設定やキャラがスッキリしてきました。

ぶっちゃけヒロムとエンターの「2人のレッド」はドラマとしてうまく描けていたとは言えないのですが(そもそもヒロムのキャラ立て自体に失敗しているし)、エンターの暗躍としてはよく描けています。
というか、むしろダークバスターの方がレッドバスターよりも全然カッコいいので、個人的には「ダイナマン」のダークナイトに匹敵するようなカッコよさを見せました。
小林女史はエンターのキャラクター造形にはだいぶこだわって描かれたそうで、これだけしっちゃかめっちゃかな本作においてエンターのキャラ立ちだけはしっか守っていまいます。
ただ、それはあくまでも作品全体の魅力に寄与するほどのものではなく、やはりヒーロー側であるゴーバスターズがカッコよくないせいで全く映えないのですよね。

こういうライバルキャラや敵組織の存在というのはあくまでもそれを迎え撃つヒーローのカッコよさや安定感があってこそ陰影として映えるわけです。
やはり初期1クールの段階でエネルギー管理局をはじめとしたゴーバスターズのキャラ立ちやチームとしての魅力を押し出せなかったのが原因でしょう。
つまり本作は形こそ違えど「ゲキレンジャー」と同じ轍を踏んでしまったわけであり、その後玩具販促のための王道系作品になったのも含めてとてもよく似ています。
しかし、そう考えると3人戦隊で唯一名作になっている「ライブマン」がいかにすごい作品だったかを改めて思い知らされました。

(5)まとめ

前作「ゴーカイジャー」とは徹底して真逆の路線を行った本作は表向き「変革」を狙ったようですが、結局尻すぼみなまま大ゴケしてしまいました。
改めて気づいたのですが、「ゴーカイ(記念作)」→「ゴーバス(異色作)」→「キョウリュウ(王道系)」ってまんま「ボウケン」→「ゲキ」→「ゴーオン」の流れと同じです。
記念作の後には違うことをやろうとして大ゴケするというジンクスがあるのですが、やはり歴史は繰り返されてしまうのでしょうか?
「ゴーカイ」が作り上げたスーパー戦隊シリーズ肯定の流れは見事に本作でぶち壊され、次作「キョウリュウジャー」でまた数字回復という流れになります。
総合評価はF(駄作)、まさか小林女史のメインライター作品にこの評価をつけることになるとは夢にも思いませんでした。

  • ストーリー:F(駄作)100点満点中0点

  • キャラクター:E(不作)100点満点中30点

  • アクション:F(駄作)100点満点中20点

  • カニック:F(駄作)100点満点中5点

  • 演出:F(駄作)100点満点中0点

  • 音楽:D(凡作)100点満点中50点

  • 総合評価:F(駄作)100点満点中18点

 評価基準=SS(殿堂入り)S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)X(判定不能)


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