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天衣無縫の極みとは「勝ち負け」「強さ」ではなく「心構え」の問題であるという話

最近「テニスの王子様」「新テニスの王子様」の熱がまたもやぶり返している私ですが、「テニプリ」って昔からいわゆる「強さ議論」が発生しているジャンルではあるんですよね。
この辺りの議論は慎重に回避していた私ですが、今回はいわゆる"無我の境地"の最終形態として君臨している「天衣無縫の極み」について改めて述べてみようかと。
テニプリはファンの考察が男性ファンと女性ファンの双方を問わず多いのですが、よく見かけるのが「天衣無縫の極みのバーゲンセール」「最強じゃない」といった意見があるようです。
しかし、私は「天衣無縫の極み」とをはじめとする無我の境地系はあくまでも「技」でしかなく、「勝ち負け」「強さ」と直接の関係があるわけではないと思っています。

最新の越前VS不二の試合では不二の「光風」が「天衣無縫の極み」を打ち破っていましたが、単純に強さのみで捉えるなら天衣無縫の極みより強いモードはいくらでもあるでしょう。
それこそ赤也が編み出した天使と悪魔を1つに飼い慣らして統合させる青目状態は天衣無縫の極み対策ですし、幸村も自分の五感を意識的に奪い去ることで手塚の天衣無縫の極みを攻略していました。
これを従来の少年漫画の文脈で見るなら「天衣無縫の極みって大したことない」と思われるかもしれませんが、じゃあ天衣無縫の極みの価値がそれでなくなったかというとそうではありません
越前南次郎が言っていたように、天衣無縫の極みというのはあくまでも「誰もが最初にテニスを始めた時の楽しむ心=テニスを楽しむテニス」という精神状態の具現化です。

旧作ではあくまでも「越前リョーマと青学の愉快な仲間たち」の物語であり、越前リョーマが作品の根幹でありテーマそのものである以上、彼が最強でなければ物語は成立しませんでした。
だからこそリョーマは物語の最後で天衣無縫の極みに到達し、テニスを楽しむことができず勝ち負けに縛られて雁字搦めになっている幸村を圧倒することが作品としての正解だったのです。
それをGN粒子のようなキラキラしたオーラと逆立つ髪の色といったもので表現しているだけであり、しかもそれがゴールではなくスタートでしかありません。
南次郎が言っていたように、天衣無縫の極み自体は「勝ち負け」「強さ」と言ったものとは別軸のところであり、安易なチートとして無敵に描いているわけではないのです。

これは無我の境地やその派生形である百錬自得の極み、才気煥発の極みも同じことであり、あくまでも己の限界を超えた者のみが到達できます。
劇中で無我の境地を使えるのは越前・手塚・幸村・真田・千歳・遠山だけですが、その中で応用技まで開けているのは幸村と真田以外の4人のみ。
遠山に至っては初歩である無我の境地や百錬自得・才気煥発まで全部すっ飛ばして天衣無縫に到達しましたが、これはあくまで遠山だからできることです。
遠山が無我の境地に到達する必要がないことは以前に考察しましたが、これに加えて「新テニスの王子様」では天衣無縫の極みのみが正解ではないという多様性が示されています。

実際に幸村の五感剥奪や真田の黒色のオーラは天衣無縫の極みに依存しない戦い方ですし、不二のカウンターと風の攻撃技、また10円先輩(平等院鳳凰)や徳川が使う無没織も別系統の技です。
だからそれらと並べて天衣無縫の極みが強いかどうかはわかりませんし、結局のところそれらの技を身につけて戦ったところで最終的なところはプレイヤー自身の実力に依存するのかと思います。
テニプリには数多くの「天才」が出てきますが、その中で天衣無縫の極みに到達できる選手や将来プロ入りを果たすであろう選手はほんの一握りではないでしょうか。
個人的には、不二や入江辺りはもしかするとプロ入りしないのではないかと思いますが、これは越前・手塚・遠山・鬼辺りとは意識と努力において大きな差があるからです。

もちろんこれは天衣無縫の極みに目覚めた4人が才能・環境・センスはもちろんのこと、何よりも飽くなき向上心やテニスが好きといった意識と努力が他の選手とは大きく異なります。
例えば無我の扉を開いた選手の中で幸村・真田・千歳は天衣無縫の極みに到達していませんが、これもやはりテニスに対する向き合い方や意識の差が影響しているのです。
幸村・真田ら立海は「常勝」「全国三連覇」といった「勝ちへの執着」に雁字搦めになってしまい、千歳は自分での限界点を決めた時点で天衣無縫の極みとは遠い人間でした。
そのような「限界」を感じず、また「勝ち負け」「強さ」といった思考の次元から解脱して純粋にテニスが楽しい、面白いという状態を常に持ち続けられることが大事なのでしょう。

だから何が言いたいかというと、無我の境地や天衣無縫の極みはあくまで「心構え」の問題なのであって、それ自体は何ら「実力」「強さ」の根拠にはならないということです。
それは無没織や他の技にも言えることで、どれだけ強い技を身につけて才能やセンスがあっても、結局のところ安定した実力を本番で発揮できる奴が真に強いのではないでしょうか。
この点で言えば微妙なのが不二や跡部様なのですが、不二はまだ「テニスを楽しむ」という領域に至っていませんし、プロ入りといった明確な将来のビジョンは持っていないかもしれません。
また、跡部様はプロ入りしなくてもスポンサーといった形でテニスに関わることになりそうですし、乾や柳らデータ組はテニスのプロファイラーになりそう。

こうして見ていくと天衣無縫の極みの4人の課題はいかにして天衣無縫の極みに頼らずに自分の実力で勝てるようになるか、ではないでしょうか。
実際に越前も最近では天衣無縫の極みを乱発するといったことはしていませんし、プランス戦では一回も天衣無縫の極みを出していませんでしたしね。
遠山は馬鹿の一つ覚えみたいに繰り出していましたが、これも結局経験値不足をカバーするために使っているようなもので、実力が安定すれば使わなくなるでしょう。
現実のテニスでもトップ10入りとそうでない人たちの差を見ると才能でも何でもなく意識の差であり、その意識の差が土壇場になって現れるようですしね。

とりあえず不二を下した越前やダブルスで白石と種子島先輩のペアを下した遠山・大曲ペアがどう活躍するのかが楽しみです。

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