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『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』(1991)第1話・2話感想〜時代性というよりはマーケティングの失敗〜

唐突だが、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』(1991)を某声優が熱く語る動画がオススメに出てきたので、試しにどんなものかと1・2話のパイロットだけを見てみた。

感想としては、うーん、普通過ぎる……。

『GEAR戦士電童』(2001)もそうなんだけど、福田己津央監督は「演出家」としては凄く高く評価しているんだけど、総監督やらせたらイマイチなんだよなあ。
大張さんと同じというか、いわゆる「勇者パース」とか構図とかのセンスは凄くあるのだけど、いわゆる作品を統括するマネージャーとしての手腕が足りないというか。
脚本がかの星山博之なので手堅い作りにはしてあって、普通に面白く見られたけど、題材が題材なのか、パイロットの段階で心鷲掴みとまでは行かなかった。
個人的にどこがどう厳しかったのかを具体的に述べていこう。


凝ったSF設定なのはいいのだが、説明的過ぎてくどい

まずパイロットの感想だけだが、肝心要のアスラーダの設定やマシンの見せ方などは中々に迫力があって、設定もしっかり整合性が取れていたし掴みとしては悪くなかった。
しかし余りにも説明的過ぎるというか、第一話の風見ハヤトがマシンを動かすくだりなんてまんま「機動戦士ガンダム」の第1話のアムロがガンダムを動かすくだりを延々とやってるだけだ。
14歳という年齢でバイクや車を運転していいのかという現実視点の野暮なツッコミはしないが、速水奨演じるコンピュータの指図がくど過ぎて「うるせえこの野郎!」と思ってしまう
そもそも「ガンダム」のアムロがマニュアルを見ながら操縦というのだけでも映像的には無駄な説明だと思っていたので、こういう口頭での説明が多過ぎるのは個人的に好きではない。

まあ声優ファンやオタクの方々は速水奨のイケメンボイスが聞けるだけでも耳福なのかもしれないが、私は別に声優ファンではないので「いいからさっさと話を進めろ」と思ってしまう。
登場人物自体はライバルの新条直輝も含めてある程度登場していたのだが、肝心要のレーシング自体が2話まで見ても始まらず、主人公のハヤトがチームの仲間入りをして試運転するだけで終わってしまった。
幾ら何でも話のテンポが遅過ぎであり、説明・描写に関しては3話以降にじっくりやればいいのだから、まずは掴みの段階でレーシングを見せてしまえばいいだろう。
キャラクターは良くも悪くも子供向けの王道というか、ほぼテンプレをなぞったような感じで、可もなく不可もなしといったところで特に面白みがあるわけでもなく。

まあこれは星山博之さんが悪いというよりも、福田監督の監督としてのセンスの問題なのかもしれない、「SEED」もそうだけど無駄に説明的過ぎるというか。
子供向け番組なのである程度は説明・描写が必要というのはわかるのだけど、一度パイロット登録されたら簡単には解除できないドラマをやる必要なんてどこにあるのか?
もちろんそこで一悶着あるのをドラマとして面白く見せられるのであればやっても構わないのだが、本作はそのドラマに面白みや深みが生まれているかというとそういうわけでもない。
中途半端なリアリティー重視なのがかえって映像作品としてのテンポを阻害していて、画面はめちゃくちゃ動いているはずなのに、かえってもっさりになってしまっている。

よかった点としてはアスラーダのギミックがそれなりに面白く見せられていて、特にダウンフォースを利用した壁走りは後の『爆走兄弟レッツ&ゴー』に活かされている発想だ。
この当時からこういうフルカウルの発想があったのは一つ面白みではあるし、あとはレーシングマシンとは思えない武装が搭載してあるのも設計者の過激な思想がそこはかとなく漂っていて面白い。
後は話のテンポさえ圧縮してもっと流れがスムーズになればいいのだが、調べてみると終盤は凄く面白い展開になるとのことなので、そこを今後のモチベーションとして頑張って見てみるか。

そもそもレーシングというジャンル自体がニッチであり男児向けに適さない

これはもう仕方ないのかもしれないが、そもそもレーシングというジャンル自体がスポーツものの中でもニッチなジャンルであり、男児向けの題材には適さないのかもしれない。
いわゆる「ミニ四駆」であれば「ダッシュ四駆郎」や私も原体験でハマった「爆走兄弟レッツ&ゴー」のように、子供達が主体となって楽しめるから感情移入できる。
しかし、ことF-1レースというジャンルはいわゆる「競馬」に近い大人向けのジャンルという印象が強く、メインの視聴者層である男児にはどうしても刺さらないのである。
男の子はやっぱりシンプルかつストレートな格好良さ・強さを表すものが好きだし、特に90年代は『ドラゴンボール』をはじめ男児向けのコンテンツが異様なまでに盛り上がっていた。

いわゆるゲーセンやスーファミなどで私自身もレーシングはやったことあるし、それこそ「スーパーマリオカート」は死ぬ程遊び狂った思い出があるが、レーシングそのものは全く興味がない。
そもそも私は順位をつけて強さを競うこと自体に価値を感じないし、ましてやレーシングとなると怪我や事故のリスクがつきものであるために、見ていて常に「怪我しないか?」という心配の方が先立ってしまう。
マリオカートなどはそういうリスクなどがないのもあって楽しむことはできたが、でも心底レーシングとして楽しめていたわけじゃなく、友達の誘いがなかったら遊んでいなかっただろう。
似たような理由でいわゆる「ダービースタリオン」や漫画でいう「マキバオー」などの競馬もハマった試しがなく、そのほとんどがどっちが速いかの切った張ったに終始しがちである。

玩具が鳴かず飛ばずで売れなかったために数字が上手く出なかったとのことだが、そういう商業的な戦略も含めたマーケティングで本作は根本的に失敗するべく失敗してしまった。
レーシングなのは良いとしても、そのレーシングマシンを自ら作って競争させる遊びができるわけでもなく、かといってロボットアニメのような派手な変形ギミックがあるわけでもない。
つまりプレイバリューに乏しく、男の子のロマンをくすぐる要素が少ないためにどうしても訴求できる部分が小さくなってしまい、そんなもの売れるわけがないだろう。
それだといくらドラマの内実が充実していたところで、コアなファン層には刺さったとしても、ライトな子供達には刺さらない。

どうせならレーシングなんて枠に囚われずにジェット機や人型メカに変形するなど自由に色々やれば良いのに、差別化の為なのか何なのか変に生真面目に「レーシング」であることにこだわる。
思えばこういうところの柔軟性が欠けているのも福田監督のセンスのなさであり、色々批判も多いとはいえ根っこの部分で妙に生真面目すぎて融通が利かないのが監督の短所ではなかろうか。
まあその意味では「ガンダムSEED」は本作のマーケティングの失敗が反省点として活かされたのか、マーケティングに関しては満点といえる仕事をしたのではないかと思うのだ。

同時代の男児向け作品があまりにも強烈過ぎた

2つ目とも論点が重なるところがあるが、そもそも本作が放送されていた1991年は男児向けの作品があまりにも強豪揃いだったことを抜きにして語ることはできまい。
私がリアルタイムでハマっていたスーパー戦隊シリーズ最大の転換点となった傑作『鳥人戦隊ジェットマン』や勇者シリーズの2作目にして谷田部勇者の完成形である『太陽の勇者ファイバード』が二枚看板としてあった。
更には漫画『ドラゴンボール』およびそのアニメ版の『ドラゴンボールZ』も当然大ヒットだったし、更に私はリアタイできていないが『絶対無敵ライジンオー』もあったのである。
そう、1990年の『勇者エクスカイザー』が象徴的であるように、男児向けの作品群が再び人気を博し、その中で「サイバーフォーミュラ」は戦わなければいけなかった。

特に「ジェットマン」の映像・物語の両面からの革新と「ファイバード」の火鳥兄貴の格好良さに心を鷲掴みにされた私は6歳にして既に並みの作品では満足できない心と体になっていたのである。
そして92年になると今度は『恐竜戦隊ジュウレンジャー』というファンタジー戦隊の元祖に『伝説の勇者ダ・ガーン』もあり、更にゲームではスーパーファミコンという次世代機まで登場していた。
「ドラゴンボール」も漫画・アニメ共に一番の盛り上がりであるナメック星編のクライマックスで超サイヤ人・孫悟空という衝撃が出ていた頃であり、そんな激戦区を勝ち抜かなければいけなかったのである。
この強烈な熱血要素を数千倍濃縮した作品群を原体験として持った後で、なぜ割りかし普通のそこそこ美味しいスナック菓子程度のレーシングアニメを持ってこられたとて盛り上がれるのだろうか?

勘違いしないでいただきたいのは「サイバーフォーミュラ」という作品自体は特筆して悪い作品ではない、普通に見る分には良い作品だと思うし、王道的要素は全て押さえてある良い作品ではあるのだろう。
だが、私が求める濃い男児向け作品群のグッと刺さる「男のロマン」という琴線に触れる程ではない、そこまでの爆発力にいまいち欠けているというのがパイロットを見ての率直な感想だ。
手堅く押さえてあるのは間違いないのだが、手堅すぎてかえって小さくまとまってしまっているというか、もう少し突出した格好良さを見せられないものかという物足りなさが勝ってしまう。
パイロットだけを見ると「おお、これはすごい!」というような前のめりになる感覚は得られなかったので、ここから先の盛り上がりに期待しよう。


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