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『爆上戦隊ブンブンジャー』の「原点回帰」とは果たして何を意味するのか?

『爆上戦隊ブンブンジャー』をネットで調べまわったところ、どうやら「原点回帰」などと言われているらしい。
それこそ原点回帰というと、私自身も『星獣戦隊ギンガマン』という作品について長らくそう思い込んでいたが、ここ最近は「果たして何をもっての原点回帰なのだろう?本当にそうなのだろうか?」とも思うようになってきている。

第1話は「ザ・戦隊」とも言える原点回帰の作風で描かれており、番組名がX(旧ツイッター)トレンド入りするなど、良いスタートダッシュを切っている。

特撮に興味がない層は『戦隊ヒーロー』をこうイメージするだろう。
正義感の強い5人の若者が、悪の組織が送り出す「今週の怪人」を倒して、締めに巨大ロボで戦う1話完結の物語

「チームであることが強調されているな」

こんな風にまるで「ブンブンジャー」が「昭和戦隊風に寄せている」とあるが、こう述べている人たちは本当にシリーズの全ての作品を見てこのように述べているのであろうか?
私が先日の記事で書いた「スーパー戦隊のファンの知性の低下・衰退は今に始まった事ではない」とは正にこういう知性のかけらも感じさせない感想・批評の風潮が未だに罷り通っている現実があることに由来する。
もちろんそれを私自身が是正しようなどと思っているわけではない、そう思うのは個人の自由だし作品の感想・批評は各々が好きにすればいいだろうが、『秘密戦隊ゴレンジャー』から一通り見ているファンにはこんな誤魔化しは通用しない。

チームであることが強調されているから原点回帰?
正義感の強い5人の若者が、悪の組織が送り出す「今週の怪人」を倒して、締めに巨大ロボで戦う1話完結の物語?

果たしてこの人たちの言い分にどの程度の正当性と信憑性があるのだろうか?

昔のように視聴環境が充実しておらず直近の作品を見てのトレンドで評価するしかなかった昔とは違い、今はサブスクや無料配信でいつでも過去の戦隊シリーズを見ることができる時代になっている。
だから「ブンブンジャー」と同時進行で昭和戦隊を同時視聴することは可能、それは即ち実際の作品を見れば上記の「ブンブンジャーが原点回帰」というのが如何に上辺だけのものかがわかるであろう。
確かに「ブンブンジャー」という作品は戦いの動機やチームヒーローとしてのあり方などで過去の戦隊とリンクする部分はあるが、では具体的にどこがそうなのかを明確に指摘できる人がどれだけいるか?
そこをきちんと踏まえた上で「だからブンブンジャーは原点回帰と言えます」と論証できるのであれば構わないが、そこまできちんと詰めて考えているようには到底思えないのである。

私は「ブンブンジャー」という作品を決して「原点回帰」などとは思っていないが、確かに車モチーフという要素は『高速戦隊ターボレンジャー』で出ていた要素だ。
また、5人の役割が明確に分かれていることという意味では「秘密戦隊ゴレンジャー」から「太陽戦隊サンバルカン」まで続いた上原正三メインライター時代の初期作品へのリスペクトも感じられる。
そして何より9話で失敗してしまった「大也の夢」という私的動機、即ち「自分の夢のために戦う」というのはそれこそ曽田博久メインライターの『科学戦隊ダイナマン』の科学者への夢を持った若者たちのオマージュともいえるだろう。
そういう意味では「ブンブンジャー」は多分に70・80年代戦隊シリーズへのリスペクト・オマージュを見せているといえるが、果たしてここまで丁寧に諸要素を因数分解した上で言っているのか?という話である。

そもそも近年の『機界戦隊ゼンカイジャー』〜『王様戦隊キングオージャー』は言うほど「アンチ王道戦隊を志向した実験的要素」の多い異色作なのであろうか?

たとえば『機界戦隊ゼンカイジャー』は「主人公以外の4人がロボ(顔出し俳優ではない)」とあるが、そもそも2作目の『ジャッカー電撃隊』の時点で4人全員サイボーグ≒ロボットという実験的要素を盛り込んでいるから珍しくもなんともない。
『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の「一斉変身や“名乗り”がほぼない」にしても同じ井上敏樹メインライターの『鳥人戦隊ジェットマン』で既に行っていることだ(一斉名乗りが劇中で3回しかない)。
そして『王様戦隊キングオージャー』の「連ドラ性が強く1話完結の話や“今週の怪人”が例年より少ない」にしても『未来戦隊タイムレンジャー』などで行っていることであり、これの何が珍しいのか?
そもそも近年「令和戦隊の新たな試み」と称して行われている表面・表層で目につき「実験的要素」と呼ばれるものなんて大半は過去の戦隊の時点で作り手が行っていたこと、あるいは「考えたけれど敢えてやらなかったこと」である

単純に目新しい要素を打ち出せばそれでいいわけではなく、その新機軸を打ち出した上でどうやって「面白い作品」に仕上げるのか?どうやって「戦隊」という枠を広げられるか?までやって初めて評価されるのだ。

そういう意味は近年のスーパー戦隊シリーズがやろうとしているのは私が原体験で通った『鳥人戦隊ジェットマン』〜『未来戦隊タイムレンジャー』の90年代の戦隊シリーズが通ってきた道のりと確かに似ている。
如何にして「戦隊」という枠にある既成概念を破壊できる部分は破壊し、その上で新たなスタンダードをそこに導入することができるかという「枠に対する格闘」がフィルムを通して行われていた。
正に「激動の90年代」だったわけだが、そんな激動期をくぐり抜けて既に40作以上もの歴史を積み重ねて「作品」としても「商品」としても出すべきものはほとんど出し尽くしている。
それすらも知らないで能天気に「どうだ?俺たちは今までのシリーズがやったことない凄いことやってるんだぜ!」と粋がっている近年の作品は何だか田舎のヤンキーのようだ。

革新的だと称して様々な新しい仕掛けを凝らしているように見えて、実は最終的なところで大した変化になっていない=真の意味での「枠に対する格闘」になっていない
だから結局のところは「ブンブンジャー」のように努めてシンプルでストレートな捻りのない作品が「王道」「原点回帰」だなどと安易に評価されてしまっているのではなかろうか。
1クールで視聴を切った昨年の「キングオージャー」がしたことなんてせいぜい「LEDとCGを前面に押し出したただの技術紹介」でしかなく本当の意味での「戦隊の革新」ではないのだ。
違うというのであればどこがどう違うのかを論証して擁護してみればいいだろうが、まあそれができる人なんてそれこそ淀川長治や蓮實重彦レベルの天才批評家でないと無理であろうな

「原点回帰」といえば、今YouTubeで配信中の『激走戦隊カーレンジャー』も厳密にいえば「原点回帰」であり、決して世間に言われるほど「異色作」というわけではない。
少なくともシリーズの1つ1つを丁寧に吟味していけば「ジェットマン」「カーレンジャー」のやっていることは「意味内容(作劇・ドラマ)」では「異色」であっても「形式(フォーマット)」は80年代戦隊とさほど変わらないのだ
「ブンブンジャー」もそういう意味では「カーレンジャー」とやっていることが(モチーフが共通していることを除いても)共通しているのだが、そういう「横並び」の批評として現在の視聴環境を有効活用すればいいのに何故やらないのか?
だからスーパー戦隊シリーズ、まあ下手すればウルトラシリーズもライダーシリーズもそうかもしれないが、子供向けの特撮作品は「作品数と歴史」に対して「批評」が全く追いついていないのが現状である

そのことを決して楽観的に考えず、もっと視聴環境を有効活用した作品論を書けるだけの知性・発想・思考力を持った人がもっと増えて欲しいのだが、まあそれは無い物ねだりというものであろうな。

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