【短編小説】ナメてた悪役令嬢が、実はナイフファイティングの達人でした!?

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「本当に、私との婚約を破棄するおつもりですか?」

 王都、王の城にある大広間のど真ん中で、モントール伯爵の娘、ナディアは複雑な表情を浮かべながらも、毅然と言い放った。周囲にいる同年代のギャラリーはほとんど全員、好奇の目を向けている。だが、そんなことは気にならなかった。一度壊れた羞恥心のネジは、元には戻らない。

「しょうがないだろう、ナディア。俺とイリーナの仲は昔から知ってるはずだ。」

 筋骨隆々の肩をいからせつつも、ジャイスも冷静だった。イリーナがその横で、ゴメンと小さく両手を合わせる。

 ジャイスとイリーナも、幼馴染だ。ジャイスは王の護衛兵団の見習いで、イリーナは大陸一の豪商の娘だ。

 身分の全然違う三人であったが、六十年前の魔界の侵攻で当時の貴族がモントール家を除き全て壊滅してからは、王の方針により画一的な普通教育が行われるようになった。

 ジャイスとイリーナがずっと恋仲であることは知っていた。だがこっちだって、破局したと聞いたから付き合い始めたのだ。まさか二人の気持ちが戻っており、このタイミングで覆してくるとは思わなかった。

 ナディアはこの後、二日間寝込むことになった。

      ***

 三日目の夕方、ナディアはふらっと修練場に立ち寄った。身体を動かして、憂さを晴らしたかった。

 扉を開けたナディアは、げっ! と表情を歪ませ立ち尽くした。そこにいたのは、仲間達と訓練をしているジャイスだ。

 ジャイスもナディアを見つけた。怪訝そうな顔を向ける。

「なんでここにいるんだ? ここは護衛兵団の修練場だぞ」
「別に良いでしょ」

 もう出よう、と思った。だが、このままではもやもやが余計に増すばかりだ。
 一度は扉の方に身体を向けたが、ナディアは再び振り返った。
「ねぇ、ちょっと私と手合わせしてみない?」

「はあ?」
 数秒間を置いて、ジャイスがようやく返事をした。
「何を言ってる? お前と俺が、手合わせ? 冗談で言ってるのか?」
「冗談じゃないわよ」

 そう言いながら、ナディアは靴を脱ぐ。今日はすでに、動きやすい服装だった。
「そっちは木刀でいいから。向かってきなさい」
 ナディアは自分の鞄から、木製のナイフを取り出した。

「おいおい、そんなちっぽけな武器で俺に立ち向かおうってのか。笑わせる」
「御託はそれだけ?」
「あ?」
 予想通り、ジャイスはキレた。昔から短気なところは変わっていない。手に持っている木刀を、上段に構えた。

「おい、やめとけ。木刀は危険過ぎる」
 周りの仲間が止めようとしたが、ジャイスは聞く耳を持たなかった。ナイフを逆手に持って悠然と歩いて近づいてくるナディアに対して、木刀を振り下ろす。
 木刀の先端は次の瞬間、それまでナディアの頭があったところに。

 だが、当たることはなかった。
「ん!?」
 ナディアは半歩だけ左にずれ、ジャイスの攻撃を難なく避けていた。
 焦ったジャイスは、もう手加減することもなく何度も木刀を振るった。ナディアはわずかに動くだけで、全てを避けた。

 斜めに切りかけたその一撃を避けたナディアは、大きく一歩踏み込んで右手を蛇のようにくねらせ、刃をジャイスの首筋の急所に、正確に這わせた。セットしていない、ストレートの金髪がわずかに舞う。
「はい、ここまで」
 なんのダメージも受けていないはずなのに、ジャイスはその場に膝をついた。

「そういえば貴方の前では見せたことはなかったわね。こういう一面は」
 帰宅してから、ナディアは自分が嫌になった。フラれたからって、自分の戦闘能力を誇示して見返そうとするなんて、こんな恥ずかしいことがあるか。
 そんなときだった。イリーナがさらわれたことを知ったのは。
 
      ***

 ナディアは兵士詰め所にズカズカと踏み入った。そこには父であるモントール伯爵と、その友人のサナダ子爵がいて、地図を拡げて何か話し合っていた。兵士達がたくさん、その周りを囲んでいる。ジャイスも端っこの方にいた。

「ナディア! 何をしに来た?」
 モントール伯爵が目を見開く。立派な白い髭に覆われた顔は表情を読みづらいが、それでも父親が驚いているのはよくわかった。ナディアはモントール伯爵が長年連れ添った妻と死別した後の、後妻との子どもなので齢が大きく離れている。
「イリーナが攫われたんでしょう? 犯人は判ったの?」

 モントール伯爵が一つため息をついてから言った。
「身代金要求はすでに来ている。犯人は『ヴェロニス』。魔界のシンパで、知っていると思うが第一級指定犯罪組織だ。この事件はあいつらの……資金稼ぎだろう」

「救出の目処は?」
「まあ待て。相手が相手だ。慎重に対応する必要がある」
「確かに。大きい組織ですものね。攻撃するにも許可がいるんでしょう? 簡単に軍隊は動かせない」
「ナディア、ナディア。"攻撃"じゃない"交渉"だ」
「そんな悠長なことを言っていられる相手じゃないのはお父様が一番よくわかっているでしょう? 今まで何度煮え湯を飲まされてきたの」

 モントール伯爵は、再び大きなため息をついた。
「気持ちはわかる。だがさっきお前が言っていた通り、今我々は戦闘という手段を簡単に取れるわけではない」
「わかってる。だから来たのよ」
 ナディアは全員を見回した。
「もういい、状況はわかったから」

      ***

「おい、ちょっと待てよ! お前何する気だ?」
 兵士詰め所を出たナディアを、ジャイスは追いかけた。
「助けに行く」
「は? 何でお前が行くんだよ! あいつは俺の婚約者だぞ!」

 ナディアはさらに嫌な気分になった。
「じゃあ、貴方が行く?」
「いや、そういうわけには……」
 それまでの威勢が嘘のようだった。
「わかるよ、貴方は兵士。勝手には動けない。私が動いた方が良い」
「それでもお前が行く理由にはならないだろ!」
「イリーナは友達」

 ジャイスは呆気に取られたようだった。だが、勢いがわずかに戻る。
「あいつはお前を裏切ったんだぞ!」
「裏切らせたのは、誰?」
 ジャイスは再び黙った。今度は、言いたいことはいくらでもあるのに言葉が出てこない、そんな感じだった。

「じゃあ、護衛兵団に任せておけよ……」
 やっと口を開いた。ナディアが立ち去ろうとしたときだった。
「私だって好きで行くわけじゃない。でも、私のほうが上手くやれる。だから行く」
「正気かよ……お前一人に何ができるっていうんだ」
 ナディアは、ジャイスの目をまっすぐ見つめた。
「何を言っても私の気持ちは一緒。私が行く方がマシ。私は、そう思う」
 ナディアは、そう言い残して去った。

      ***

 三日月がわずかに光を灯す闇夜、一人の男が逃げていた。王都の入り組んだ路地で、後ろを必死に確認するが、気配はない。だが、確実に追われている。

 キラリと銀色に光るものがあった。一瞬の間にそれが喉元に突きつけられる。正面に顔を戻したその時だった。もう一歩進んでいたら死んでいただろう。

 男は驚いた。目の前にあったのが、まだ少女と言っても良いような端正な顔立ち。ただしっかりと、大振りのナイフをその手に収めている。

「ルリアナ財閥の娘を攫ったでしょ。どのアジトにいるの?」
「そ、そんなの俺は知らねぇ」
「噓」
 ナディアにとって幼い頃からずっと住むこの王都で、『ヴェロニス』が密かに入れるタトゥーも、先手を取れる裏路地も熟知していた。

 突きつけた刃先をグリグリと押し込む。一筋の血が滴った。次は首筋に当てる。
「あと数センチ動かすだけで、死ぬよ」

「……っだから、知らねぇっつってんだろ!」
 男は腰紐に差していたナイフを抜き、ナディアの脇腹を狙った。

 ナディアは即座に自分のナイフを腰元まで下ろし、相手の両腕を交互に切りつけた。正確に、筋を浅く。男は不意にもたらされた痛みでナイフを落とした。
 ナディアのナイフは、再び男の首筋に戻っている。
「どこ?」

      ***

 十五分後、ナディアは王都で五本の指に入るくらい、有名なサロンの前に立っていた。塀で囲われた王都の周りは、だだっ広い平原だ。人を隠すなら人の中。ナディアの想像通りだった。

 もうすぐ夜明けも近い。こんな豪勢なサロンでも、本来一番人がいない時間だ。それでも確実にいる人の気配を、ナディアは感じ取っていた。

 ナディアは一旦立ち去った。次に現れたときは、ナディアは隣の建物の屋上にいた。サロンの屋根とは、数メートル。助走をつけて飛び移った。思っていたよりギリギリだった。欄干をつかむ。

 その屋根には、天窓があった。淡い期待を抱いて覗いたが、物置きと思しきその屋根裏部屋には誰もいなかった。ナディアはナイフの柄で、容赦なくガラスを砕く。

 部屋に転がり込んだその直後、「誰だ!」という声とともに男が入ってきた。提げるランタンの灯に、映し出されるタトゥー。

 ナディアは物陰から近寄って背後に回り、喉を掻っ切った。崩れ落ちるその身体を支えながら横たえ、部屋の中に入れる。

 一部屋開けるごとに心臓が縮む思いだった。そしてついに、その時が訪れた。扉を開けると、そこには『ヴェロニス』のゴロツキが十人近く。

「何だテメェは!」
 僅かな時間稼ぎにもなりはしないが、ナディアは扉を閉めた。一見した限り、イリーナはいなかった。
 一秒も立たない内に、扉が開いた。出てきた順に問答無用で斬っていく。相手の人数的に、余裕は一切ない。
 相手の攻撃をかわし、首筋、上腕など動脈のある急所をそれぞれ一撃で狙う。毎回大量の返り血を浴びるが、気にしていられなかった。
 相手の悲鳴を聞きつけ、他の部屋からもわらわらと敵が出てきた。

 敵を全て殲滅した部屋の中に逆に入り込み、扉から入ってくる相手を一人ずつ処理するやり方に切り替える。敵の武装は、青龍刀がメインだ。
 不意をついたこの部屋の敵とは違い、向こうも完全に臨戦態勢だ。

 ナディアは急所を護る軌道で、両手をクネクネと蛇のように、常に動かしながらナイフを構える。
 向こうの何人かは、唖然としている。
「何なんだこのガキは……」

「来なさい」
 相手が、鬨の声を上げる。

      ***

 捕まってから約十時間、手荒なことはされなかったが、ずっとロープで手を縛りつけられていた。猿轡もされている。
 心細さとこれからどうなってしまうんだろうという不安に、イリーナはずっと苛まれていた。

 見張りは二人。だが、部屋の外が騒がしくなって出ていった。何が起こっているのだろうか。
 ガチャっ! と勢いよく扉が開く。そこに立っていたのは血だらけになったナディアだった。

「いた。帰るよ」
 ロープを手に持ったナイフで切り、猿轡を外してくれた。起き上がるのに手を貸してくれる。
「ナディア……なんで?」
「話は後」

「待て。これだけ『ヴェロニス』の顔に泥を塗っておいて、ただで帰れると思ってるのか」
 振り返るとそこには、背の高い金髪の、端正な顔立ちの青年が立っていた。

「私の友達に、最初に手を出したのはどっち?」
「お前のためでもあったんだぜ? お前が公衆の面前で恥をかかされたっていうから」
「それを暴力で解決しようなんて、馬鹿なの? お兄様・・・

 それは随分前に家を出ていき、『ヴェロニス』の幹部となっていた兄のヴァンスだった。
「お前も人のことは言えないだろう」
「あと責任転嫁しないで、結局はお金目的でしょ」
「まあ年々規制は厳しくなっているからな」
「ヴァンス……さん?」
 イリーナも驚いている。

「もしかしたらいるかもとは思ったけど、まさかあんたがここを仕切るボスだとはね」
「もうボスじゃないさ。部下は全員お前に殺された。落とし前をつけてもらわないとな」
 そう言ってヴァンスもナイフを抜いた。

 二人はほぼ同時に構えた。ナイフは右で順手だ。
 二人とも両手を激しく動かしながら、しばらくは接触なしの膠着状態となった。お互い相手のスキを狙いながら徐々に移動し、時折ナイフを持った手を伸ばす。

 ヴァンスが一歩半ほど詰めた。今度はお互い、迫りくる相手のナイフの持ち手を捌きながら、自分の刃を相手に届かせようと苦心する。

 一度二人は組み合った。そのままナディアは壁まで押し返されそうになる。パワーではヴァンスには敵わない。そんなとき、ナディアはナイフから手を離した。

 そして左手で即座にキャッチし、兄の脇腹を狙った。ヴァンスは大きくのけぞり、身体が離れた。

 ナディアは再び右手にナイフを持ち替え、逆手に切り替えた。そのまま兄の身体を追いかけていき、左手で相手のナイフの持ち手を抑えながら、首のつけ根にナイフを突き立てた。

 ナイフを抜くと、血が勢いよく噴き出た。ヴァンスは膝をつく。

「まさか、お前に後れを取るとはな……」
「勝負は時の運でしょ」
 ヴァンスはそのまま前のめりに倒れた。

「死んじゃったの?」
 少し経って、イリーナが恐る恐る聞いた。
「うん。でもいつか私か父が、けじめをつけなければいけなかったから」
 その答えを聞くか聞かないかのうちに、イリーナも意識を失った。 

      ***

「ねぇねぇナディア。こんなこと貴方に言うべきじゃないとは思うんだけど、ちょっと相談に乗ってくれる?」
「何?」

 事件から約三ヶ月後、友人としてイリーナとナディアがティータイムを共にしているときだった。
「ジャイスのことなんだけどね」
 もうこの間に、ジャイスとイリーナの盛大な挙式は開催されていた。

「あの人、結構怒りっぽいところあるじゃない? でね、本当にたまになんだけど、そういうときに叩かれちゃうのよ。こういうのって、普通じゃないよね? あとでめちゃくちゃ謝ってくれるんだけど」

「別れたら? 私にはそれしか言えない」
「でもね……やっぱり好きなの。優しいときはすごく優しいし」

 ナディアはそう言うイリーナをまじまじと見つめた。そしてゴソゴソと、カバンから何かを取り出す。そしてあるものを柄の方に向けて差し出した。

「じゃあ強くなったら」
「え?」
「殴られたって、当たらなければいいんじゃない? 強くなって、全部避けられるようにおなりなさい」
「本気で言ってる?」
「本気で好きならね」
 それを受け取ったイリーナは、なおも怪訝な顔をしている。
「私ならうまく付き合えたのに」
 ナディアがボソッと呟いた。
「え? 何か言った?」

「んーん、なーんにも」

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