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上品は武器となり、時に罠となる。

「上品」という言葉について考えることが、ここのところ幾度かあった。

私は幼い頃から好き嫌いがハッキリしており、例えば服装も鮮やかな色合いが好きで、ユニクロも着れば古着も取り入れる。TPOや男ウケを狙ってコンサバっぽい服装をすることもあるが、それは好みではなく戦略だ。

性格や振る舞いも、決して「お上品」ではない。どちらかというとざっくばらんで気兼ねなく話したいし、慇懃無礼の結果ミスリードやディスコミュニケーションになってしまうのは本末転倒だ、くらいに思っている。仕事でも、プライベートでも、言わんとしていることを正しく理解することに重きを置いている。

もちろん時には上品に振る舞った方が得をする場面もあるので、そうすることもある。ある程度勉強したのでテーブルマナーやドレスコードに困ることもない。

自分が恥をかきたくないのと、一緒にいる人に恥ずかしい思いをさせたくなくて、会得した知恵なのかもしれない。


2ヶ月ほど前、自身の退職に伴い部下が1人増えた。

元々一緒に仕事をしていた25歳の元気で可愛い女性の後輩とは別に、31歳の不思議な男性が入社してきた。それから私は2人の後輩と仕事を共にするようになった。

今はまだ、不思議とだけ表現しておく。

しかし何故だろう、初対面で「不思議だな」と思った人は、割とその後も不思議であり続けるのが私の人生の常である。

彼は不思議だが上品だった。声のトーンが落ち着いていて、清潔感がある。突然プライベートな話題を切り出したりせず、空気が読める雰囲気で、和を乱さない。ハンカチを持ち歩いていたり、ランチの後は個包装のマウスウォッシュでリフレッシュするルーティンも私の中での上品さのイメージを底上げしていた。

ファッションや持ち物も、ハイブランドではないが、毛玉や汚れのないクリーンな装いだった。私にとってそれらの要素が重なり「上品」というイメージが形成されていたのだと思う。

「○○さんて、品がありますよね」

私はイメージのままに彼を褒めた。

彼は「そうですか?」と言いながら「ヒス田さんも上品な雰囲気ありますけど」と続けた。上品と言われて悪い気はしない。

下品なやつ、と思われるよりは上品な人間だと思われたい。背伸びをしている感覚とはまた異なるが、育ちがいいとか品があると思われたい。そんな気持ちが自分の中のどこかに存在していることはなんとなくわかっていた。

そして「上品な雰囲気がある」と言われ、私の中の欲望が顕在化した。

上品だと思われたい。普段雑でも、本当の私が本気を出せば「品がある」のだ。そう思われたい。何がそういう気持ちにさせるのかわからないが。虚栄心や見栄なのだろうか。



とはいえこのような“よく見られたい”という願望が不健全なものであることは32年の人生で薄々気付いていた。しかし突然始まった「品よく見られたい」ムーブメントは何故か加速した。

例えば結婚式のドレス。

トレンドや私らしさ、似合う似合わない、それらの視点はさておき「どのデザインが最も品よく見えるか」や、皇族は婚礼の儀式でどのようなドレスを着るのか研究したり。本当のプリンセスではないのにティアラをするのはコスプレになってしまい逆に下品、とか。とにかくその手の思想を拗らせまくった。

あっという間に引き継ぎの期間を終え、私の最終出社日となった。たった1ヶ月の付き合いでびっくりしたが、2人目の後輩である“不思議上品くん“から思いもよらぬプレゼントを受け取った。

「ヒス田さんと僕、似てるなって思ってました。ほんの気持ちですが」

そう言って手渡されたのはレースのハンカチと、資生堂パーラーのチョコレート、それから上質なハガキ大のカードに見開きでしたためられた直筆の手紙である。

このラインナップだけでも、彼の醸し出す上品な雰囲気が伝わるのではなかろうか。

正直大したことをしてあげられなっかったので、受け取ることもはばかられるような贈り物だった。給料も安いだろうし、最初の給料まだ入っていないのでは??

私自身手紙を書くことが好きなので、彼から受け取った手紙にはせっかくなので手紙で返事をしようと思い(若干上品ぶった)、翌日の送別会で前の会社のメンバーに渡せるよう準備した。

しかしその送別会で、私が彼に抱いていた「不思議」の正体が明らかになった。

不思議というのは絶妙な違和感であり、嗅覚で感じ取った自分との違いみたいなものだが、それをもうひとりの後輩が上手く言語化しており脱帽した。

来週から(わたしが退職し)2人だけど、どう?“不思議上品くん”とは上手くやっていけそう?

「あの人、自分語り多くないですか?一緒にお昼食べるのは良いけど、自分の身の上話ばっかり。正直つまらないです。自分ではコミュニケーション能力が高く、人見知りもしないから誰とでも上手くやっていけると思っているようですが、余計な一言が多いし、取引先と対面させるのちょっと不安です。」

確かにその通りなのだ。振り返ってみれば、最初に感じた不思議な人だという感覚は、自己紹介での「僕はコミュニケーション能力が高いので」の一言だったのだと腑に落ちた。

申し訳ないが、実際にコミュニケーション能力が高い人は自ら「コミュ力あります」などと言わない。実務で示せば良いだけであり、宣言など不要である。

しかし私は自身を「上品な雰囲気がある」と褒められたことにより気を良くし、不思議という印象が霞んで彼の良い部分だけが見えている状態になっていた。色々と話を聞いていくうちに、彼は離職期間が長く仕事も続かないタイプで、元ホストで当時出会った奥さんと結婚し現在もほぼヒモ状態とのことだった。それでは私へのプレゼントも、奥様のお財布で買ったのだろうか。私は性格が悪いのでよくない方の妄想が捗った。

もう何が彼を上品に見せていたのかわからない。

私の目は節穴である。
品よりもっと大事なことがあるじゃないか、と自分自身に落胆した。

上品なイメージというのはいくらでも操作できる。なんなら一番簡単に取り組める印象操作なのかもしれない。それは男ウケを狙ってコンサバを着るなど、自身の経験を踏まえても納得だ。

事実を等身大で捉えるという意味では足枷になるものなのかもしれない。少なくとも品そのものだけで、人の心は動かせない。

品は時に武器となり、罠ともなり得ることを学んだ。

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