くだらない話 其の二

大粒の雨の中、男は血を流して倒れていた。男はもうすぐ死ぬはずである。息たえだえに、視界が霞み、どこまでも白い闇に包まれている感覚であった。長かったこの戦争も終わろうとしている。男の命と共に。

「やっと終わるのか……長かった…な」

声にもならない声で男はそう呟く。周りには誰もいない。あるのは屍の山と雨の音、そして遠くで鳴り響いている撤退の怒号だけだ。まあどうせ死ぬんだから動いても仕方ないな。そう思って男は死に場所をそこに決めた。

そろそろ男の意識がなくなりそうな頃だ。そんな時男はくだらない話を思い出していた。まだ戦争が始まる前の、美しくも苦々しい日々の一瞬を。 



その日は普通の訓練だった。今日みたいに雨が降っていたが、外で対人実戦訓練で、すぶ濡れになりながら同じ階級同士の者が各々の格闘術を披露し、戦闘訓練を行っていた。男は階級は中佐であったが、その日はなぜか大将や総帥も来ていたため中佐であったとしても訓練を実施しなければならなかった。となると……相手はアイツか…。大雨よりも対戦相手の方が男にとっては重荷だった。同じ時期に入った男の友であり幾多の血を浴びながらも戦線を共にくぐり抜けた、仲間という言葉を超越した存在だった。しかし、男は彼のことを信頼しているはずなのにどこか遠い目で見てしまう。同じ訓練、同じ戦争をくぐり抜け、同じ階級であるはずなのに、何故か彼の方が実力が上であった。少なくとも男にはそう感じられる。彼は男に対して対等に接し、見下すことも同情することもしなかった。高校の友達のように接し、緊縛した白兵戦では巧妙に息の合った動きで相手を圧倒してきた。にも関わらずだ。何故か、男には彼が恐ろしく遠い存在であり、彼と対等に接していることに違和感を覚え、後退りしてしまう。その日もそうだった。



「なーんだお前かよ。やりにくいなあ」

なんて軽口を叩きながら彼は構えの姿勢に入る。

「ろくなもんじゃねえ。」男はそう返した。

訓練開始の合図があった2秒後に、男は地面に叩きつけられた。



やはり、勝てなかった。


屈辱感よりも先に、惨めさが残る。同じ階級のはずなのに、歴然とした差が男の前に立ちはだかる。その壁があまりにも高く、絶望にうちひしがれる。


「お前とやるといつもこうだよな。なんで俺が勝つ時は早く訓練が終わっちまうんだよつまんねえ。」

彼の軽口が許せないわけではない。新兵の頃からそうだったし、彼の性根と思って気にもとめていなかった。

弱い自分が許せなかったわけではない。この歳で男たちの階級と並ぶ人間は他にいなかったし、ある程度の自分の能力に対して自負があった。


 では、この惨めさはなんなのだろうか。この苦しみは、叫びは、潤わない枯れた心は、一体全体何者だと言うのだろうか。


しかし男にとって最も辛かったのは、この苦しみを誰にも言うことが出来なかったことだ。陳腐にも男にはプライドがあり、部下の前で恥をさらしたり女の前で弱音を吐いたりすることは決してなかった。くだらない話だ。大人しく相手の強さを認めて悔しいと嘆きながら泣きじゃくっている方が余程健全なものを、くだらないプライドがくだらない思いを作っていく。いつしかその思いは、成層圏をも越える恐ろしく高い壁になっていた。

訓練を終えた後、彼と男は食堂でカレーライスを掻き込んでいた。またくだらない話をしていたとも思う。部屋に戻る際、彼は男に言った。 

「お前、初動が甘いぜ。そこ詰めないとマジで死ぬぞ。」と。そして、

「次の戦争では死ぬなよ。でもお前が死んだら笑ってやるよ」と。

それが彼の最後のアドバイスだった。

その後すぐ戦争がはじまった。彼は男と近くとも遠くとも言えない戦場に配置されたらしい。連絡をとる暇もなく男の戦局は乱れに乱れ、長丁場となっていった。彼と戦った時の心の乾きなど既に忘れていた。


 

あぁ、懐かしいな。そんなこともあったっけか。結局アイツにはなんにも敵わなかったな………まあ、アイツならいいか。もう、これで、あ、んな惨めな思いは、しなくて、す……?


「……い!おい!!しっかりしろ!!!撤退だ!!」


何故か彼の声がした。おいおい冗談だろ?なんで死に際まで惨めになんなきゃいけないんだ…。うすぼんやりと目を開けると、彼が男の顔を覗き込んで叫んでいるのが見えた。

「よし、生きてるな!担いでやる!その間に死ぬなよ!!」


彼が男を抱き抱えようとした瞬間、男は最後の力をなんとか振り絞って、彼に抗った。

そして、

「おれ、は、……お前がっ、嫌いだ………ころして、笑ってく、れよ………」

「なに馬鹿なこと言ってんだ!そんな暇ないぞ!!」

「こんな時、に馬鹿言、、えるかよ………俺は…」

そう、男は彼が羨ましかったのだ。何をやっても彼の方が上で、どう努力しても勝てっこない、男に出来ないことをさらっとこなしてしまう彼が、ただただ羨ましかった。それに気づくために、文字通り命を削ってしまった。気付くのが遅すぎたな……初動が甘いってこの事だったのだろうか。

よく分からない思考を繰り返しながら、最期に男は呟いた。


 「ころ、せよ………そのほうがら、く、だからさ………そんで、わらっ、て……」

 


豪雨のなか、1発の銃声と枯れた笑い声だけがその戦場に響いた。



 



戦争は終わり、彼は大将に昇格した。身元確認が出来た男の遺体には、胸部の心臓辺りに銃弾が1発、埋め込まれていたことが彼に伝えられた。

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