親子といえども他人-夫婦って本当に大変!だけど。
「親戚に新生児を見せに行く」と言って息子家族が出掛けていった。
出掛ける前の夫婦仲は険悪な感じで、お互いに強い口調で、責めるような言葉をぶつけ合っていた。
産後はあんなに穏やかで幸せな感じのふたりだったのに…。
当人たちにしか解らない色々があるんだろうけれども…。
「夫婦って大変だなぁ」
険悪な状態の息子夫婦を見るたびに、心から、そう思う。
2回も(!笑)夫婦という関係を投げ出した私からしたら「夫婦」なんていう大変な関係性を続けている世の皆さんには尊敬しかない。本気で。
しばらくして帰宅した息子夫婦。
「ただいま…」と暗い声の、息子の妻。
しかも、しくしくと泣いている様子。
息子に至っては声も出さない。
うーん…。
私。
不機嫌な人たちは…。
正直。
めんどくさい。笑
それが私の本音。
自分たちで結婚するって決めて、自分たちで子どもを作って、自分たちで家族を運営している彼ら。
親子といえども、他人だ。
自分たちで解決するしかないのだ。
私が手を出せることは、無い。
ぐずる新生児。
嗚咽しながらミルクを作る、その母親。
遊びたくてうろちょろする1歳半児。
だが父親も母親も恐らく自分のことで頭がいっぱいなのだろう。
誰も1歳半児の相手をしない。
この不穏な空気の中に、子どもたちを置いておくわけにはいかない。
…。
うーん。
しゃーねーなぁ…。
「孫くん、婆(私)と、お散歩、行く?」
声をかけると満面の笑みで力強く頷く、1歳半児。
それならばと末娘に声をかける。
「孫くんとお散歩に行くけど一緒に行く?」
「行く!」
即答。笑
どんだけ好きなんだよ。笑
3人で連れ立って、少し涼しくなった夕暮れの道を歩く。
家の不穏な空気が嘘のように、平和で穏やかな外の空気。
孫くんのサンダルの「ピッ、ピッ」という音が、この3人のゆるい幸せの象徴に思える。
小一時間の散歩と公園遊び。
公園で親子連れを見た孫くんが里心付いたようで「帰りたい。パパとママに会いたい」と片言とゼスチャーで伝えてくる。
「帰ろっか」
末娘と私で孫くんのそれぞれの手を繋ぎ、家路につく。
背後から見れば「父母と子ども」だが…。
前からみた人は、なんて思うのだろうか?笑
まあ、関係性は、どうでも良い。
私たち3人は、いま。
この、穏やかな時間を共有している、仲間。
帰宅すると。
息子が新生児にミルクをあげていた。
それを穏やかな顔で見つめている、息子の妻。
「ただいまー」と声をかける。
息子も。
息子の妻も。
「おかえりー」
と、穏やかな声で、こたえた。
ああ、なんか…。
そうか。
ひとやま越えたのか。
そう思っていると息子の妻が言った。
「さくらさん、いままで家事、たくさん、ありがとう。もう体調も良いし、傷も治ったみたいだし、日常生活が送れそうだから、明日から洗濯、私がするね。」
そっか、そっか、良かったね。
「産後の女性を労る」という私の役目。
実はちょっと大変だったけれど、本人が「大丈夫」と言ってくれたのだから、安心して、その役を降りよう。
時は過ぎる。
ひとも環境も常に変化をする。
同じ場所にずっと居ることはないし、同じ役割をずっと担うこともない。
そんなことを、思った。
そして息子夫婦は、穏やかな口調で、この先の計画を立てはじめた。
『孫くんをお祭りに連れていこう。
お揃いの服を着せよう。
美味しいものを食べに出掛けよう。
家族で旅行をしよう。
じゃあ、秋になったら…。』
元々ずっと一緒に過ごしてきたふたりだ。
他の誰よりも仲が良くて楽しく過ごせる相手なのだ。
だからきっと、家族になったのだ。
辛く苦しいことも乗り越えて、いまなお、一緒にいるのだ。
仲良く話をする息子夫婦を見ながら、そんなことを考えた。
夫婦って大変だなぁ。
という気持ちは変わらないけれど。
それでも夫婦を続けようと頑張るふたりを
やっぱり、凄いなぁって思う。
私には彼らを。
見守るだけの権利しかない。
だから。
その線を越えないようにと自戒しながら。
頼まれたら手を貸すぐらいの立ち位置で、見守っていけたら良いなぁ。