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ワタクシにおける依存のカラクリ-恋愛という名の元に行われる感情を使った支配

拒絶。
ということをされた経験はあるだろうか。
もちろん程度によらず拒絶された経験を持つ方は多いと思う。

「今日の放課後一緒に遊ぼう?」に対しての「今日遊べない」だって、拒絶である。
「あなたが好きです。恋人になってください」に対しての「私にはそういう気持ちはない」だって、拒絶である。
「まだ一緒に居たい」に対しての「もう帰ろう」だって、拒絶である。

大きさはそれぞれだけれど。
拒絶されるとショックを受ける。

その時その時によって衝撃の大きさはちがう。
相手との関係性もあるだろう。
自分の期待度にも左右されるだろう。
自分自身のメンタルにもよるだろう。

そしてNOの伝えられ方にも左右される。

小学校の参観日。
道徳の時間。
テーマは
「相手が傷つかない断り方を皆で考えて実践してみましょう。」
だった。

ちなみに
「今日の放課後一緒に遊ぼう?」
に対しての返答。

「遊ばない!!」
これが最下位。
「誘ってくれてありがとう。今日は都合が悪いけど、また誘ってね。」
これが最適解。

だそうだ。

今どきは、そんな繊細な対応の仕方まで学校で教えてくれるのだ。
お行儀が良い世の中になるのは当たり前だ。


それから。
暴言について。

「うるせえ!」
とか
「死ね!」
とか
「消えちまえ!」
とかいう悪い言葉や汚い言葉も、使いなれている人間にはなんとも感じないかもしれないが、普段の生活の中に、そのような言葉が無い人間にとっては、自分の存在自体を拒絶(否定)された気持ちになる。

心が切り裂かれるような痛み。

二度と味わいたくない。
そう思うのが当然だろう。


また拒絶の話に戻る。

私が最近つらかった拒絶の経験。

数時間前まで仲良くしていた恋人が。
電話中に急に態度が変わって怒り出し、突然通話を切られる。そして私には心当たりナシ。
でも、この程度なら、衝撃はまあまあ少ない。
なにかが気に触ったのだろうからと、おやすみのラインだけ送って寝てしまえばいい。
翌朝には「昨日はごめんなさい」のラインが届く。

もう一段階進むと。
電話を切られたあとに暴言ラインが届く。
「そういうつもりじゃなくて」と説明しようとすると「言い訳は聞きたくない」と返ってくる。
(言い訳と説明の違いってなあに?聞き手のメンタルでジャッジされるもの??)
その後も一方的に責められて、最後にはラインをブロック削除される。
いくら送っても既読はつかない。
電話にも出ない。

一年前の私は関係を修復するべく夜道を駆けていったのだが、今は…。

そのまま寝る。笑


慣れている人間ならいざ知らず、私はそうそう拒絶される経験もないし、暴言を送られる経験もないし、突然ブロック削除される経験もない。

その衝撃の大きさたるや…。
その心の痛さたるや…。

そこから満身創痍の私は、なんとか関係を修復し。
もうそんな状態にならないように、立ち振る舞う。
相手の怒りが攻撃となって私に向かってくることの無いよう、ものすごく気を遣って。

具体的には…。

相手の気に入らないことはしないようにする。
どうしても避けられない場合は、丁寧に説明する。
理不尽とは思いながらも反論はしない。

そうして。
そんなふうに。
怒りという感情で支配された私は。

あんな酷い目に合わずに済みたい。
そう思うようになる。

だから。
常に相手の顔色を確認したい。
そうして安心したい。
エンドレスで。

好きだから相手に会いたいのか。
会って怒っていないことを確かめたいのか。

どちらか、わからない。

けれど、会いたい。
会わずにはいられない。

少しの時間でも。

そうして。
依存はだんだん深まっていく。

「恋愛」という名の元における。
「怒り」という感情による支配。

これがワタクシにおける依存のカラクリ。

気が付けて良かった。
本当に。