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好き嫌いの多い人が理解できない

「もういらない。」

「ちゃんと残さず食べなさい」

「だって美味しくないんだもん」

「栄養があって身体に良いし、農家の人が一生懸命作ってくれたのよ」

「やだ。」


おそらくほとんどの大人が、こうした会話を幼い時に母親や父親と交わしたのではないだろうか。

少なくとも自分の家ではこうしたやりとりが実際にあった。


今の会話を聞いて、何歳くらいを思い浮かべただろうか?

5歳?8歳?はたまた12歳?

きっと中学生以上を思い浮かべた人はいないはず。


自身の幼い頃を思い出してほしいのだが、中学生にもなって「好き嫌いをせずに食べなさい」なんて言われていただろうか?

もし覚えがある人は相当わがままな子供だったのか。

おもちゃを買ってもらえないと、その場で泣きじゃくり、大声で「買ってもらえるまで帰らない!!」なんていってる姿が容易に想像できる。

いやごめん、今回のテーマはそれくらい理解できないってこと。


大学生にもなって好き嫌いが多い人

1つや2つの好き嫌いは誰にでもある。

その点は理解していて、どうしても風味が苦手なものや、味覚の問題で辛いものが食べられないということはあるだろう。


だが今まで会ってきた人の中には、

・野菜全般食べられない(もしくは食べたくない)

・肉以外食べれない

・ものすごい偏食の人

といったような猛者がいた。


宗教上の理由や、ベジタリアン的な何かがあるなら全く問題ないが、そうではないらしい。

彼らの言い分はこうだ。

「食べたくないものは食べなければ良くない?」

「死ぬわけじゃないし」

「他の人には迷惑かけないじゃん」

「食べようと思えば食べれる(でも絶対に食べない)」


正論だ。

アドラーに言わせれば、他人の課題に足を踏み入れるべきではないから、放っておけとなる。

無論、自分はそういった言動や行動を他人がしていても、強制的に食べさせるような真似はしない。

もし仮にそこで栄養学を説いたり、口の中に無理やり突っ込む行為は、土足で家の中にあがるようなものだ。


いい、全然良いよ。

好き嫌いの理由は人によって違うし、みんながみんな同じ味覚を持ってるわけじゃない。


だから理解できないだけで、怒っているわけではない

例えて言うと、小学生がある日突然泥だんご作りにハマって競い合うくらい理解できない。(いつも誰が流行られせてるの)


好き嫌いって客観的に見ると恥ずかしい

例えば高級レストランに行ったとする。

色鮮やかに盛り付けられた料理には、新鮮な野菜が使われており、味ももちろん素晴らしくおいしい。

テーブルマナーは完璧で、赤ワインを飲む姿も様になり、エスコートもしてくれる。


100点やん!と思いきや、片付けられていくお皿には必ず野菜が残っている。

「どうして食べないの?」

「食べたくないからさ、食べなくても死ぬわけじゃないしね」

「…」

うん、きつい。


上の例は自分が勝手に妄想したシチュエーションで、かなり偏見と煽りが含まれるのでもう少し可能性のある話をしてみる。

自分が親になった姿を想像してほしい。

子供が小学1年生になって、健康に育ってほしいという思いから栄養のある食事を作ってみた。


「にんじん嫌い!たまねぎいらない!」

「ちゃんと野菜も食べないと大きくなれないよ」

「だって苦いんだもん」

「友達はみんな頑張って食べてるよ、美味しいから食べてごらん」 

「じゃあなんでお母さん(お父さん)は食べないの?」

「…大人はいいの!」

「変なの」

説得力が全くないし、不信感が高まるだけだろう。


次は小学校でのシチュエーション。

「給食は栄養がしっかり考えられてて、身体にいいから残さず食べましょう」

「でも食べたくない!」

「好き嫌いはだめだよ」

「でもお母さん(お父さん)は、美味しくないものは食べたくないって言って、お野菜食べてないよ」

「それは…」


自分は好き嫌いがないのか

全くない!嫌いなものは0!って言ったら嘘になる。

最初に書いた通り、1つや2つの好き嫌いは普通にある。

・梅

・セロリ

が嫌いだ。(梅酒は好き)


あとはなんだろう、パッと思い浮かばないということは本当に嫌いなものは上記のもの以外ないのだろう。

野菜も普通に食べられるし、食事はよほど満腹な時以外は残さない。


ただ自分は味覚には自信があるので、美味しくない料理は嫌いだ。

あれ、これも側から見ると『好き嫌い、偏食』のように思われてしまうのだろうか。

だとしたら今回自分が主張したように、一部で非難される側の人間でもあるのかもしれない。


十人十色。

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