腐ったものをどう見るか
前2つ前の記事で「ごみか芸術か」という記事を書いたが、それを今回は花を通した実写で考察したいと思う。
※前提として私はただの華道家であって、花しか生けれません。アートと広義で書いたもののあくまで花を前提としていることはご理解ください。
まずは一枚の写真から。
これは役目を終えて腐った百合の花。
誰が見ても枯れている。見つけたらすぐに捨てられてしまうだろう。
続けて2枚目。
こちらは対称的に若々しく咲き始めている状態。どこを切り取っても美しく、まさに生を感じさせる。
2枚の写真を見てどちらが綺麗かと言われると、確実に2枚目だろう。
ではここで1枚目の花に戻る。
果たしてただ腐り切った花なのだろうか。角度を変えてみる。
するとどうだろう。確かに外側は枯れ、腐食している。
ただ全体で見ると内側の生命力みなぎる部分から、全力で開花させ役目を終えた外側までの命のグラデーション。
変えたことは一つだけ。見る目だ。
物事を一つの事象だけで判断するのではなく、時系列で多面的に捉える。
それだけで見方は変わる。
では改めて2枚目と3枚目のどちらが綺麗かと言われると、別れてくるだろう。ここは単純な見た目以外にも西洋と東洋の思想の違いにも影響されうる領域になる。
ここに関してはまた改めてどこかの機会に。
最後に、私が思いをはせる角度で改めて見てみたい。
全体は下を向き、儚さをいっそう表現している。
花にも表情がある。
もちろんどの角度にも正解はない。全てが同質のものであって同じであるから。
ただそれを自分がどう見るか。そこに自分の本質的な心のあり様が問われている気がする。
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