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得体の知れない”生け花”という生き物

日本の伝統文化の一つである華道、生け花。海外では"IKEBANA"と評され広まっているがその実態は”得体の知れないよく分からない”ままである。

1300年以上の歴史のある文化だけに一概に言えない事は承知の上、一華道家の偏見においてこの”生き物”を分解する。

華道と生け花

まず華道と生け花について。呼び方が色々ありよく分からない。

あえて定義すると、

「生け花」とは、花を生ける行為、及びその結果としてできた作品

「華道」とは単なる美の追求のみならず生そのものと深い連関を持った挿花文化を、宗教の側面から捉えたもの。

少しわかりにくいが、広義の”生け花”のなかに概念としての”華道”が内包されているということが出来る。

生け花とは、「花」を「生ける」事であって、「生ける」とは「生く」の口語体で物理的にも心身的にも”花を生かす”ことが前提となる。

華道はあくまでも芸道として生け花を捉えた物であり、それが全てではない。

華道のような精神性を伴った生け花は海外のフラワーアレンジメントにはない概念であり、そこが日本の文化たる所以である。


生け花の3つの側面

前提を整理した上で、現代までの生け花の歴史を解読すると、生け花には3つの側面が存在する。

1:建築(場の設え)としての生け花

2:華道(芸道)としての生け花

3:Art(芸術)としての生け花 である。

以下に順に説明していく。


1:建築(場の設え)としての生け花

生け花は建築である。

生け花が文化として成立する上で、場の設えとして発展したことは明白である。そもそも明治期に3,000以上もの様々な流派があったと言われるが前提となるのは床の間や茶室など”場”に飾る事を前提としていることである。

時代によってその意味は異なり、将軍家の座敷飾りとしてや、民主化され町人の家の装飾として、別の角度からは茶人の茶室の一角の投入れ花としてなど、意味合いやその形も変化しながら場を構成してきた。

そして現代、床の間や茶室もなくなり、様々な異文化の空間がエクレクティック(折衷主義)に空間が作られる中で生け花の表現方法も多様化するのは当たり前である。 これからも単なる型に縛られた生け花をする事はただの形骸化した古い文化でしかなく、生け花も形を変える必要がある。


2:華道(芸道)としての生け花

これは生け花を文化として成立させている淵源(えんげん)である。

馬鹿ばかしい人生哲学ともいえる心の余裕を持たなかったら、この世の中は実に殺伐としたものになってしまい、そういうところに人生の喜怒哀楽があり、日本人にとって大切、そこに日本の生け花として意味を持つ。

生け花の本は所謂花伝書と言われる各流派の型に特化したものが多く、精神哲学として解説されるものは少ないが、このデリケートな本質については弓道を通して禅を海外へ紹介したドイツの哲学者【オイゲン・ヘリゲル】の妻であり生け花の精神性についてまとめた纏めた【G.Lヘリゲル】の”華道と日本精神”が有名である。

この精神性が海外から評価され、現代も”IKEBANA”として存命する道である。

ただし注意点として、この精神性の本質をきちんと捉えもせず、ただ古来の形骸化した型に縛られた生け花を”伝統文化”だと言って指導する先生方が多いのは事実であり、きちんとした先生を見極める必要がある。


3:Art(芸術)としての生け花

生け花が芸術だと主張され始めたのは意外と古く、明治以降の今から約100年前からである。とはいえ、長い歴史のある生け花でいえばここ最近とも言える。

既存の価値体系の崩壊と西洋文化の流入により華道の構造は大きく変化した。伝統華道としての華道を没落させるのと同時に、新たな契機となったのが明治以降であり、それが”生け花は芸術である”という概念である。

1933年の重森三玲らによる「新興いけばな宣言」、1920〜30年代の山根翠堂による「自由花運動」などがそれである。

前近代から近代への脱却、芸術性の主張といった想いが時代を表している。

早くもこの時代から形骸化した”生け花”を批判し、自由に表現するべきであるという芸術表現が主張されるのである。


生け花は変化する。

見出しには生け花を生き物であると表現した。

どういうことか。

自由花運動を唱えた山根翠堂氏が言うように、【真の華道は生きたものである】という表現。これに大いに同意する。

生きた命を扱うという根本原理はあるものの、本来花は生きたものであり、何も物を言わないが為に人が勝手に意味をつけて表現し、縛られてきた。

花にとっては甚だ迷惑なことである。

生け花は変化する。

それぞれの流派が好き勝手に主張する生け花、華道はあくまでもその流派の歴史や文脈、思想を表したものであり、真の生け花ではない。


今までもイノベーションを繰り返し、生け花は生きてきた。

真の生け花は生きている。

今の花をいけることが、現代の生け花を作り、未来へつながる。

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