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私なりに風の時代というモノを考えてみた

風の時代って言葉は、まったく星読みを知らなくても何だか期待してしまうキーワード。

これからは個人の時代になる。

今までの古い体質から変わる。

何とも心地良い響き。

でも、私の見解は『変わるのは一部の人だけで、他はあまり変わらない』と思う。


例えば、エベレストに登るとします🗻

大昔は、本当に大変でした。時代は進歩して登山用の道具、GPS、有能なガイド、ベースキャンプも発展して、大昔よりは難易度が下がりました。

しかし、どんなに難易度が下がっても、私みたいな未経験者がいきなり登れるほど甘くないです。

だから、風の時代という軽やかなイメージに、みんなフワフワしているけど、本当に変わる人は『きちんと準備した人』や『性格や性質が適合している人』だけだと思う。

もし、個人の時代になるなら、なぜフォロワー集めに奔走するの?

なぜ『数』に執着するの?

数でマウントする行為って、『地の時代』の行為ではないの?


俺が思う『風の時代』は、数の力や影響力、知名度などに縛られず、各々が自分なりに自分らしい生き方をする。 ただ、それだけだと思う。

自分なりに自分らしい生き方をする人たちは、フォロワー数や影響力を気にしますか?

自分らしく生きるのに、外側の事を気にしますか?

内側なんだよね!自分の幸せを決めるのは💡


外側に依存しちゃうから、自分以外の誰かの言葉に振り回されて、結局は自分の内側を見れなくなって、常に外側の情報に惑わされてしまう。


フォロワー数が少ない人は全員不幸ですか?

そんなことは無いですよね。

フォロワー数が多い人が全員幸せですか?

それが事実なら、世の中は確実に狂ってますね。

それこそ地の時代のままですよ。

何者にも縛られず、自分の意思で歩く。

そして、誰の批判もしない。個々の意見を尊重する。

でも、世界は数の力で回っている。

選挙の結果は数の力。

そして、数の力で選ばれた人が国を守る。

これって、表立った話ですが、本当の事は誰も知らない。

そして、数は操作できる。

有能な人には有能な人を支える人がいる。

数が多い人だけが善人だとは限らない。

世の中を見渡せばわかる事。

世界の現実を見ればわかる事。

本当に凄い人は、実際に世界を変えた人。

でも、その凄い人が本当は自分の部下のアイデアを盗んだだけかも知れない。

力がある者が歴史さえも変えられる。

だから、弱き者の真実は届かない。

結局は、私たちは何も知らない。


知らないからこそ、自分で体験して、自分なりの考えで行動して、沢山の人と交流する事で、自分以外の考えを知り、そして少しずつ成長する。


この前、ゼロちゃんの投稿を読んで、自分の思考ばかり突っ走って、身体を置き去りにしていた事に改めて気づきました。

最近、行動を疎かにしていた。

ゼロちゃんの言う通り、目と指だけしか身体を動かしてなかった。

人それぞれ概念が違けど、私の思う『風の時代』は、身体と心のバランスが丁度よくて、自分の内側と対話しつつも、外側の事を取り入れる。

そして、最後に決断する時は心が軽やかになる方を決断する。

常に身軽で、軽やかなフットワークを持ち、何事にも執着しない。

来年のnoteの取り組み方は、この生き方だね💡


ここまで読んでくれて方には申し訳ない気持ちで一杯です😅

この投稿は、頭に浮かんだ事を適当に書いて、書きながら頭を整理している『自分の為に書いたもの』なので、皆様に役に立つ事がありません💦


それでも、数人ぐらいの方には役立てれば幸いです😊








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