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わたしのnoteの向き合い方

ここ最近、noteの投稿が楽しいなぁ。


ぼんやりとしていた時に、「noteが楽しい」そう思った。


そういえば、最近はダッシュボードも見なくなり、PVや他人のスキやコメントの「数」を全く気にしなくなっていた。


ワタシのnoteとの向き合い方は『自分との対話』だったんだ!


そりゃ、スキやコメント、フォロワーさんが多いと嬉しいとは思うけど…


自分の内側の感情や思いをnoteに書く事で、自己対話や自分の内側の葛藤や感情と向き合える。
そんな貴重な場が『noteに投稿する』という行為に繋がるのだと気づいた。

自分の内側を書き出すことで、書いている途中や読み返した時に『自分の本心』を客観視できる。


自分で自分をカウンセリングしているように、少しずつ「こんがらがった糸をゆっくりとほぐす」役割がnoteに投稿する。という行動に行き着いていた。


最初は、やはり『数字』を気にしていた。
そして、スキが多い、コメントが多い人たちの投稿を読んで研究をしていた時期もあった。


他者の優れた投稿を読む度に、ワタシの心は「きゅっ」と締め付けられ、ワタシのnoteは下書きばかり増えていきました。


そして、何度かnoteを休止して、何度も連続投稿が途絶えて、仲良しのnoterさんがnoteを去ったり、noteの中で殺伐としたコメントを見る機会が増えた時、note熱が冷めてきました。


でも、最近は『自分の居心地のいいペース』で投稿できるようになってきました。


他の人の投稿は、noteを開いた時に偶然に見た方の投稿だけを読む。


自分の投稿は、『自己の気づき』と『自己成長』、『ありのままの偽らない姿』を投稿するようにした。


時々、過去の自分の投稿から、ヒントを見つけたり、自分の方向性を客観視できたり、方向性のズレに気づけたり、自己の過程を俯瞰できます。


ダメな部分を含めた自分を受け入れる。
弱い自分やズルい自分も受け入れる。
全ての自分を受け入れて、本来のワタシを客観視してみる。


時には、3歩進んで5歩下がる時もありますが、それもワタシの個性と受け入れて、どんな時も立ち止まらない。


でも、たまには立ち止まり、後ろを振り返ることも大事。


自分を偽らない姿を記録する。


自分が自分のフォロワーであり、そしてファンである。


全ての側面の自己を統合して、初めて本当のワタシになると気づいた。


だから、日によって思考と言動はコロコロ変わる。


同じ毎日が来ないように、ワタシも同じワタシではない。


人は『同じ毎日』が来る。と錯覚している。


本当は、『同じ』なんて何処にもない。

人は歳を取り、時間を刻々と流れる。

ワタシたちは、社会という仕組みに慣らされてしまい、『毎日が同じ日常』だと植え付けられている。

人は「いつか」死を迎える。
それは、数分後かもしれないし、数十年後かもしれない。

だから、『みんな同じ』条件ではない。
人生は平等ではなく、極論を言えば『時間』すら平等ではない。

だから、ワタシはワタシだけの為にnoteに投稿すると決めた。

だから、いまはnoteの投稿が凄く楽しい。


気分が良くなったので、良い気分のまま寝ます😆

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