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AIが人間のクリエイティビティを奪うのか?

Dall-eMidjourney のように、文章で指示すると、それに沿った美しい絵を生成するAIが話題を呼んでいる。作例は例えばopenaidallemidjourneyartwork などをみると分ける。どのように使うかについては、Midjourneyに$40課金して見つけたコツなどの記事に詳しい。

川端康成の「雪国」の文書を DeepL で英訳したものを midjourney に食わせて書かせた挿絵なんてのも可能性を感じる。

AI社会になったら、AIに日常的な仕事をさせ、人間は創造的な生活を送れるようになるといった予想というか希望が語られてきた。
ところが、現在のAIは人間ほどの作業の正確性がなく、うまくいかなかった作業を自分で判別してうまくいかなかったことを説明するといったこともできない。そのため、ミスを許すことができない仕事には使えない。
反面、先入観がなく、さまざまな試行錯誤を飽きずに大量・高速に行うことができるため、新しいアート的なものを生成することは得意である。失敗という概念がないからだ。

この先、イラストだけでなく、面白動画であるとか、3D空間体験をAIが生成するようになる時代が来るだろう。AIが生成した映像を人間が修正したり、人間がラフに指定した映像をAIが仕上げるといった関係になっていく。つまり、現在以上に、映像や音楽の制作のハードルが下がり、世の中に認められる制作物のハードルが上がっていくだろう。

人間は古いスタイルの芸術や創造に時間をかけるようになるのではなく、新しい芸術や創造を考えていくことになるのだろう。ビジュアルだけ、オーディオだけといった今までのスタイルから、五感を連動させたマルチモーダルな芸術や、参加者からの能動性も必要となる精神の中で感じるような芸術になっていくのだろうか。


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