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おかしいのはわたし自身だった。

先日、職場の方々とご飯を食べる機会があった。今の職場に就いて、早4ヶ月が経とうとしているが、こうして仕事時間以外にご飯を食べることは初めてだったので、すごく楽しみだった。

自分で言うのもなんだけど、わたしは基本的に誰とでも仲良くなれるタイプの人間だ。出会った人はみんな仲間であり、ファミリーだと思っているので、4ヶ月という月日は十分だと思った。

お店は19:00に予約してる、18:30にはAさんが行っているのでそれぐらいに集まりましょうと聞いていたので、私は18:35にお店に着くように向かった。着いたはいいが、誰もいなかった。恥ずかしいと思いながら1人席に座って待っていた。

お店は町内にある小さな食堂。コロナ禍なこともあって、時短営業が実施されており、20:00には閉まるらしいのだ。

18:45、18:55、19:00 少しずつ人が集まり、計8人が集まった。目の前には、アクリル板。コロナ感染対策だ。隣には、あまり話したことのない男性。わたしは1番奥に座っていた。いよいよ、食事会が始まると思った瞬間、わたしは悟った。

あ、わたし場違いだ。 

何故、そう思ったかはわからない。その8人の中でわたしが1番新人だからなのか、雇用形態的に見ればわたしだけがパートだからだろうか、何がそうさせたかはわからないが、圧倒的場違い感を感じたのだ。

目の前の光景が急な平面に感じられるあの現象が起きてしまって、そこからわたしは一気に冷めてしまった。

あ、帰りたい。面白くない。早く時間が経て。

そう思ってしまったら、取り戻す事はできなかった。話に入りたくても、アクリル板のせいで何も聞こえない。後ろでは野球中継がしているので、それに意識を向けつつ、横の話を盗み聞きし、笑えるところ笑っておいて、なんとか輪の外から出ることもなく、輪の中に入らないようにしていた。

そのうち、隣の席の男性が気を遣ってかわからないが、話を振ってくれた。しかし、1度冷めてしまった私にはその話が何ひとつとして入ってこない。まだキャッチボールがしやすい話ならいいが、執拗にボケてくるその人の話は、もはや私の困惑を超えて、イライラさせていた。

助けてくれる人もいない。面白くもない。

愛想笑いで返し続けていると、そこに微妙な空気感が流れていた。申し訳ないと思いつつも、やはり上手い返し方がわからない。面白くもない。

普通に会話がしたいだけなのに、何故そんなにもふざけてくるのだろうか。それが彼だから仕方がないし、それでこの職場ではうまくやっているのだから、きっと合っていないのは私なのだ。

そこからは、別の方が私に話を振ってくれたのだが、みんな「へぇ〜」とか「ふぅーん」という返ししかしないので基本的には興味がないのだろう。気を遣われている感じが、益々気まずさを膨大させた。

やっと食事会が終わってからは疲れがどっと出てきて、しんどかった。それを吐き出せる場所も今の私にはないからだ。とにかく倒れそうだった。コミュニケーションを取るのはこんなに難しかったっけ?誰とでも仲良くなれるというのは、ただ単に誰にも興味がないということだと気付いた。

うまくやろうとして、なんとなくうまくやってはいたけど、わたしは昔からコミュニケーションが苦手なタイプの人間だったのを思い出した。そうか、わたしが見せていたのは全部いい人な模様をした仮面だったのか。

全然、ありのままの自分でいられていないんだなぁと思った。空気を読んだり、人の顔色を伺ったりは、正直昔からの癖のようなものなので、人と関わらない限り、絶対にいい人の仮面をつけてしまう。なので、1人を選んでしまうのだ。

別に疲れているわけではない。共通の目的無しに、人と関わることが疲れるだけなのだ。ただ話すだけ...とか、今回のような食事会なんて特にそう。1人が楽だ。やっぱり。1人でいるだけで、怒られることもないし、気まずくなることもないし、とても楽だ。

何もない無駄な時間が楽しいという人が羨ましいと思う。と同時に私にはできない。

それに気付けただけでも、ごはん会に行った意味はあるのだろう。いろいろと難しく考えがちな性格だけど、いつからこうなってしまったのだろう。考えすぎて、結局何も発せない。頭のなかではいっぱいぐるぐると会話ができているのに、いざ話そうとなると何も話せない。

なんでだろう。言葉を発するのってこんなにも難しかったっけ?喋るのにも練習が必要なのだろうか...?

うまく笑えない、感動することもなくなった、、

何かの障害なのだろうか?

何かの病気なのだろうか?

なんだか常に生きづらい。今までは環境がそうなんだと思っていた。だけど、やっぱり変なのは自分だ。それに最近気付いてしまったのだ。

つづく


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