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名前のかっこいい国「エルサルバドル」を探しに仙台へ行く

この記事は『0メートルの旅』という本に収録されている、2019年6月にエルサルバドル代表が初来日した際に書かれた文章です。現在4年ぶりにエルサルバドル代表が再来日していることを記念し、無料公開します。

名前のかっこいい場所に行きたい。名前がかっこいいとそれだけで旅が楽しくなる。「サマルカンド」とか「エルサレム」とか「カサブランカ」とか、どの都市も身悶えするほど心をくすぐられる。全部行った。
 
そんな中、以前から注目していた国名がある。
 
その名も「エルサルバドル」

中米にある国だ。バドルを巻き舌で発音したい。ちなみに首都は「サンサルバドル」。韻を踏んでいるみたいで良い。

中米の国、エルサルバドル

 エルサルバドルには以前から行くチャンスを窺っていた。だが問題があった。治安が悪いのだ。中米でも特に注意が必要な国だと聞く。長く続いた内戦の影響で武器が広く普及し、犯罪組織が跋扈しているという。
僕は旅行において、少しでも治安の悪い場所には近づかないことにしている。だから渡航には二の足を踏んでいた。
 
せめて日本でその片鱗に触れられないかと、エルサルバドルゆかりのスポットを探した。ドイツ村やスペイン村みたいに「エルサルバドル村」みたいなスポットを探したけれど、やっぱり全然なかった。それどころかエルサルバドルショップもないし、エルサルバドル料理店すら見つからない。日本人にとって未開の地なのだろうか?
 
そんなとき、朗報が舞い込んできた。なんとサッカー日本代表が、エルサルバドル代表と対戦するという。エルサルバドルとの試合は、日本サッカー協会の100年近い歴史において初めてらしい。この機を逃すと、彼の国に触れるチャンスはもうないかもしれない。
試合は宮城県で行われる。僕はすぐに試合のチケットを手配し、準備を始めた。宮城県でエルサルバドルに触れる旅である。
 
旅の鍵はエルサルバドルサポーターに会うことだ。エルサルバドルはかつてサッカーの試合をきっかけに、戦争が起きた歴史すらあるというから、サッカー人気は高いはず。きっと熱狂的なサポーターたちが大挙して押しかけるに違いない。彼らに会えれば、エルサルバドルに行ったも同然である。
 
準備1:サポーターが行きそうな宿に泊まる
 
サポーターが来日したとして、彼らはどこに向かうのか。ここはエルサルバドル人の気持ちになってみよう。僕ならまず「仙台 宿」でググる。
Googleでは日本にいながら各国からの検索結果を調べることができて、僕はエルサルバドルからのスペイン語での検索結果を調べてみた。ちなみにURLはこれである。エルサルバドルに触れたくなったらいつでも活用してほしい。
「仙台 宿」とスペイン語で検索したときに一番上に表示されたゲストハウスは見るからに国際的で、僕がエルサルバドルサポーターだったら間違いなくここに宿泊するだろう。現に空室はわずかしかなくて、僕は迷わずこの宿を予約した。
 
準備2:エルサルバドル代表をフォローする
 
来日した選手たちの足取りを追えば、自然とサポーターに会えるかもしれない。宮城県で試合を行うということは最後にきっと仙台に寄るだろうし、商店街で飲み歩いたりするはずだ。
その行方を追跡するため、僕はエルサルバドル代表の名前を一人一人SNSで検索した。人気の高い「ハイメ・アラス」選手や「ネルソン・ボニージャ」選手には数万人のフォロワーがいる。そういう選手を漏れなくフォローした。
 
準備3:エルサルバドルをアピールする
 
最後の作戦は、自らエルサルバドルへの関心をアピールすることだ。幸い僕は顔がなんか中米っぽいので、あとは服装だけだ。
ネットで関連グッズを探してみたけれど、案の定全然売っていない。唯一ヒットした、カタカナで「エルサルバドル」と書いてあるTシャツを衝動的に買ったけど、

よく考えたら日本語で書いてあるからエルサルバドル人には読めない。

しょうがないので、Tシャツは自作することにした。

 案外悪くない。国旗と国名を入れた上で、スペースが余ったので「PUPUSA」という文字を入れた。PUPUSAというのはエルサルバドルの庶民の味らしい。日本でいう「ラーメン」みたいなものだと思う。僕が日本国旗に「ラーメン」と書いてある外国人を見つけたら間違いなく声をかける。エルサルバドル人もきっとそうであろう。
 
準備を整えた僕はTシャツを着込み、いざ仙台へと向かう。

 
 一泊二日の仙台ひとり旅。新幹線ではエルサルバドルの解説書を読みふける。

驚くことに、その国名を漢字表記にすると「救世主国」と書くらしい。漢字までかっこいい。意外にも日本とも繋がりが深く、国営放送では「プロジェクトX」が人気を博しており、自らを「中米の日本」と名乗ることもあるそうだ。ますます親しみが湧いてきた。
 
仙台に到着したのは土曜日で、そのままスタジアムに向かう。しかしなにげなく道中でチケットを確認したところ、試合は日曜日だと書いてあった。普通に日にちを間違えている。僕はこういう肝心なところでミスをする。こうして突然に旅は2泊に切り替わった。1日暇になったので、仙台をぶらつくことにする。 

仙台は一人飲みに優しい街だ。特に「いろは横丁」にはレトロな看板とともに100店舗もの小さな店が立ち並んでいる。普段は一人で入りづらい店も、旅先では思い切ってのれんをくぐってみる。そうしていらっしゃいと声をかけてもらえた瞬間に、また一つ街に受け入れてもらえた気がするのだ。
気の向くままにふらりと店に入る。受け入れられる。酒を飲む。別の店に入る。結局一人で5軒ほどハシゴして、おでんや海鮮を冷えた日本酒で流し込んだ。その度に自作のTシャツをさりげなくアピールしてみたが、一向に気づかれる気配はない。膨らんだ腹で国旗が横に伸びているせいかもしれない。
 
ゲストハウスに戻ると各国からの宿泊客たちが飲み会をしていたので、酔いに任せてそれに混ぜてもらう。日本で泊まるゲストハウスは様々な言語が飛び交い、安く泊まれ、ちょっとした異国気分が味わえる。
 
ただ残念な点を挙げるとすれば、そこにエルサルバドル人はいなかった。試合は明日の夜だし、まだ来日していないのかもしれない。明日こそはスタジアムで、その風を感じよう。ドミトリーの二段ベッドで、憧憬の地を思った。


会場となる宮城ひとめぼれスタジアムは、正直言ってアクセスが悪い。最寄り駅までの電車は限られており、さらにそこから50分ほど歩くさらりと書いたけど50分である。二日酔いで夕方まで寝ていた僕は、重たい身体を引きずりながら歩き続け、キックオフ直前にスタジアムへ着いた。
 
スタジアムの入り口には長蛇の列ができていて、さすがは代表戦だ。今のところ日本代表のユニフォームしか目にしていないけど、想定の範囲内である。
重要なのは座席だ。スタジアムはエリアがいくつかに分類されて、最も熱狂的なサポーターが集結するのがゴール裏だ。

そしてゴール裏にもホームとアウェイの2種類があって、今回僕はアウェイ側、つまりエルサルバドル側のゴール裏席を予約していた。日本代表の試合は何度も観に行ったことがあるが、アウェイ席に行くのは初めてである。溶け込めるのかが心配だが、このTシャツを着ていれば歓迎されるに違いない。僕は胸の国旗をぎゅっと握りしめた。

売店で買ったビールと牛タンを両手に抱え、スタジアムに入る。太鼓の音と歓声が響いてきて、空気の質がガラリと変わる。熱気が正面から吹きつけ、肌寒さを感じていた半袖に汗が滲んだ。浮足立ちながら中に進むと、鮮やかな緑が視界一面に広がる。スタジアムに足を踏み入れる瞬間は、何度味わっても良いものだ。
 
ゴール裏は自由席になっていて、そのほとんどが埋まっている。試合の開始を告げるホイッスルが鳴って、会場は一段と盛り上がった。僕は腰を屈めながらやっとの事で空席を見つける。
自席を確保し安堵したのも束の間、すぐに違和感に気づいた。前も向いても日本代表、後ろを向いても日本代表。エルサルバドルのゴール裏のはずが、そこにはエルサルバドルのエの字も見えない。なぜか。それはここが日本だからだ。

考えが甘かった。会場には日本代表のサポーターしか見当たらない。エルサルバドルのグッズを着ているのは僕しかいなくて、慌てて国旗を上着で隠す。さらに僕の見つけた空席は小学生の集団の一角で、そういう意味でも完全に浮いていた。はしゃぐ子どもたちに囲まれながら、牛タンをかじる。
 
前半が終わり、ハーフタイムが訪れた。人々がぞろぞろと席から離れていく中、僕は一人うなだれていた。確かに試合を見るのは楽しいけど、これなら普通に日本を応援すればよかった。
 
しかし、その時だった。小学生の集団が席を離れて前方が開けると、遠くに青いジャージをきた男性が見えた。注目すべきは、そこに「VADOR」という文字が記されていることである。

これはもしかして…「EL SALVADOR」じゃないか!?

背中に「VADOR」の文字が!

仙台に来て3日目。諦めかけたところで、ようやくエルサルバドル人を発見したのだ。
僕は急いで席を移動し、スペイン語で男性に声をかける。
 
「Hola!」(こんにちは!)
 
男性は答えた。
 
「はあ、どうも。」
 
日本人だった。一瞬落胆したが、しかしエルサルバドルを背負っているのはなぜだろう。話を聞くと、男性はかつて青年海外協力隊として彼の国に駐在していたらしい。それで代表が来日することを知って、エルサルバドル人と会えるかもしれないと、宮城の地までやってきたというのだ。なんだか僕と発想が似ている。さらに話しているうちにエルサルバドルの国旗を持った人々が席に戻ってきて、彼らも協力隊の同僚たちだそうだ。
集団の一角に空席があったので、仲間に入れてもらう。最初は警戒されたものの、自作のTシャツを見せると一気に打ち解けた。Tシャツを作ってよかった。どうしてエルサルバドルを応援するのかと質問攻めに遭ったが、名前がかっこいいからと言うのは恥ずかしくて、「知り合いが住んでいて…」と変な嘘をついた。
 
エルサルバドルは中南米で最初に青年海外協力隊を受け入れた国で、その歴史は50年前に遡るそうだ。人々は優しくて物価も安く、とても過ごしやすい国だと、彼らは懐かしむように言った。けれども都市部はやっぱり治安が悪くて、マフィアの銃撃戦に巻き込まれた隊員もいるらしい。そんな危険に晒されながら、国際協力に奉じている人たちもいるのだ。僕なんかはただの観光客にすぎないから、やっぱりそういう場所には行くべきではないかもしれない。
 
結局試合は日本が勝って、盛り上がりすぎた僕たちは終電が危ない。スタジアムを出て、見渡す限り続く長蛇の列の隙間を縫うようにして早足で急ぐ。すると僕たちの服装を見て、周りの人々が口々に囁くのが聞こえてきた。
 
「あれ何の国旗?」
「エルサルバドル?」
「エルサルバドルだ!」
 
見慣れぬ国旗に好奇の視線が注がれる。シャッター音が鳴る。ついには陽気なおじさんたちが前に立ちふさがり、スペイン語らしき言葉で話しかけてきた。一緒に写真を撮ってくれと言っているようだ。おじさんは完全に僕たちをエルサルバドル人だと勘違いしていて、説明する時間もなかったのでそのまま申し出を受けることにする。
 
「Gracias!」(ありがとう!)
 
おじさんは嬉しそうに手を振って去っていった。帰ったら家族にでも自慢するのだろうか。そうしたら家族もまた、エルサルバドルという国に興味を持つのかもしれない。
エルサルバドル人は結局見つからなかったけど、その夜は僕たち自身がエルサルバドル人になった。思わぬ形で夢が叶った。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。エルサルバドルを追いかける時、僕らは既にエルサルバドルにいるのだ。まだ見ぬ中米の小国から、潮騒の音が届いた気がした。

◇ 

後日。自宅でベッドに寝転がっていると、ポンと小気味良い音が鳴って、facebookの通知が表示された。僕はそれを見て跳ね起きた。
エルサルバドル代表で10番を背負っていた、「ハイメ・アラス」選手からだった。

試合でも10番として出場していた「Jaime Alas」選手

そういえば「試合頑張ってください」というようなメッセージを送ったのだった。すっかり忘れていた頃に、アラス選手が返信してくれたのだ。

行くことだけが旅じゃない。きっかけだってなんでもいい。名前がかっこいいという邪な下心でも、太平洋を渡らなくても、エルサルバドルという国は僕の心に深く刻まれたのだから。


この文章は『0メートルの旅』(ダイヤモンド社)という本に収録されています。日本から1600万メートル離れた南極から始まり、アフリカやイラン、東京や近所の寿司屋へと、だんだん距離が近づいて、最後は部屋の中で終わる旅行記集です(仙台は家から37万メートル。)よければ読んでみてください。

出版社紹介文より:
「遠くに行くこと」だけが旅ではない。日常の中に非日常を見出し、予定不調和を愛する心があれば、いつでも、どこでも、旅はできる。
読めば自分だけの物語が始まる。これからを生きる人に贈る、新しい旅のエッセイです。

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