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『ワンダーラスト』:688人から成る旅行記

2021年1月、「#0メートルの旅」というハッシュタグで旅の思い出を語る企画が始まりました。2度目の緊急事態宣言の直後、世界の果てから近所まで、105カ国に及ぶ旅の記憶が投稿されました。

この記事はそんな中から、1/7~1/11の週末に呟かれた688人のツイートをすべて参考にしてつくった、架空の人物たちの架空の旅行記です。688のツイートは、こちらのTwitterアカウントのいいね欄から一覧することができます。

予想を遥かに超える数の投稿が集まり、この旅行記も5万字近くになりました。全ての場所がつながっていますが、好きな場所から読むこともできます。読んだ人のワンダーラストを、少しでも満たすことができれば嬉しいです。


Wanderlust【名】:「旅への渇望」



1. 「高蔵耕一」


プロローグ:南極

遠くへ行きたくて、南極を選んだ。ニューヨークとアルゼンチンを経由して、値切ったクルーズチケットを握りしめ、世界一荒れる海を渡った。最初で最後の旅が南極というのも、酔狂で悪くないと思えた。

だがファインダーに映った水色を見て、まだ終われないと悟った。本当に気が進まないけど、もう少し長い旅を始めることにした。


台湾

ずらりと整列した屋台は、朝には跡形もなく消えていた。路地を黄金色に染めた小正月の飾りつけも、嗅いだことのない強烈な匂いも、パチンコ台にはしゃぐ子どもたちも。夜市はまるで一夜の夢であったかのように、綺麗さっぱりなくなっていた。静まりかえった街には時折バイクのエンジン音が遠くに響き、台北の朝が過ぎていく。

昨夜はちょっとはしゃぎ過ぎた。右も左もわからないまま、到着するなり喧騒にぱっくり飲み込まれた。台湾ビールを片手にかたっぱしから屋台をめぐり、こぼれそうなほどの餡が詰まった水餃子と、丸ごと一匹の北京ダックを頬張った。屋台のおばさんは片言の注文にもきさくに応じて、おまけのトッピングまでくれて、そんな小さな出来事で、まるで受け入れられたような錯覚に陥る。上機嫌になった僕は、横にいる少年に北京ダックを一切れあげた。少年は宝物を手にしたように笑って、ペコリとお辞儀をしてから母親の元へと走って行った。意外と楽しい、かもしれない。そして起きたらこの有様である。

宿の床で目を覚ました僕は泥まみれで、靴の裏には犬のフンらしき物体が粘着していた。どこかで派手に転びでもしたのだろう、飲み過ぎるとろくなことがない。服をビニール袋に詰め込み、シャワーを浴びて窓の外を眺めると、昨夜の混沌とはまるで異なる、穏やかな朝が広がっていたのだった。

早朝の受付は不在で、代わりに守衛のおじさんに鍵を渡す。おじさんは目を細めてにっこり笑って、バイバイフレンドと言った。その笑顔になんだか居心地が悪くなった僕は、そそくさと宿を出て、タクシーに乗りこんだ。行き先を告げると、運転手は返事もせずにアクセルを踏んだ。

移りゆく景色は日本と同じに見えて、間違い探しのようにどこか異なっている。お洒落なベーカリーがあったかと思えば、店の前にはゴミが散乱している。道端は大きなガジュマルの木が生えていて、その横にはハイクラスな高層ビルが生えている。こういう振れ幅の大きさが、異国にいるという実感を僕にもたらす。

昨日の疲れがまだ残っていた。ドアに寄りかかってまどろんでいると、甲高いクラクションを鳴らしてタクシーが止まった。目を開けると、運転手が睨んでいる。もう着いたのか。無言の圧力に押し出されるように車を降りた。

昨晩北京ダックをあげた少年の目は、やけに澄んでいた。守衛のおじさんの目は笑うと細くなって、屋台のおばさんの目は深い茶色をしていた。そして、あの運転手のこちらを刺すような目。目。目。目。これから僕は、どれだけの目と出会うのだろう。目たちには、僕がどう映るんだろう。考えただけで気が重くなった。

九份の赤いランタンは、夜を名残惜しむように、まだほんのり灯っていた。台湾に来たのは、この眺めを切り取るためだ。汚れたカバンからカメラを取り出し、上を向いて恐る恐る試し撮りをした。パシャリ。青い空が画面に写った。よかった、カメラは壊れていない。

僕はレンズを構え、赤い灯にフォーカスをあてる。そしてため息をついた。


上海

上海の街は、台湾の夜市をさらに混ぜ返したみたいな活気があった。電車は降りる人と乗る人でもみくちゃになり、諦めてタクシーで移動する。旅慣れた人ならいざ知らず、僕にはあの混雑に飛び込む気力はない。

適当な場所で降ろしてもらって、適当なレストランに入った。朝からなにも食べていないから、腹に溜まればなんでも良かった。うす暗い店内に入ると、さらに暗い奥の部屋へと通された。不安が空腹に忍び寄る。主に衛生面で恐ろしいが、暗さで判別できないのが幸いである。メニューの文字さえよく見えないけど、もともと中国語は読めないからどっちでもいい。上から順番にいくつかの料理を指差した。隣の席では罵声が飛び交っていた。

おばちゃんらしき、店員らしき人がスープらしきものを運んできた。放り投げるようにテーブルに置くので、中身が多分こぼれているけど、その罪も暗闇に葬られる。次々に運ばれてくる料理を順番に口に入れていくが、苦かったり、舌が痺れたり、一体なにを食べているのか分からないが、まずくはない。

パッと電球が灯って、部屋が明るくなった。やはり店員だった模様のおばちゃんが、小さく拍手をしている。停電だったらしい。店内を見回すと、クリーム色の壁に、アンティークの本棚が四方を囲っていた。卓上に並べられた皿はどれも小洒落れていて、想像していた店構えと随分違う。罵声だと思ったのは、隣の席でトランプに興じる家族だった。よくあの暗さで手札が見えたものだ。

こぼれて半分になったスープをすすりながら、本棚から取り出したガイドブックをめくっていると、一枚の写真が目に留まった。深い霧の奥に、黒い石柱が何本もそびえている。神秘的というか、幽玄というか、まるで水墨画のような一枚に吸い寄せられた。「張家界」なる場所らしい。

いいところよ、と言いながら、おばちゃんがまた勢いよく土鍋を卓上に置いたので、二度驚いた。英語を話せるのか。

「遠いですか?」

「飛行機で行ける。でも、その格好じゃ、死んじゃうかもね」

僕のほつれた短パンを指差しながら、おばちゃんは笑った。鍋の蓋を開けると、蒸気と一緒に色とりどりの野菜が顔を出した。

旅を続けていれば、暗闇に電球が灯るような瞬間が、いつか訪れるのだろうか。中国での一枚は、張家界の石柱を撮ることにした。


タイ

蛇口をひねると冷水が吹き出し、シャワールームからトカゲが逃げた。外の熱気がまだ身体にまとわりついているようで、丁寧に洗い流す。

タイに着いて、10日が経った。最初は一泊だけのつもりだった安宿も、慣れてしまえばつい長居してしまう。部屋からの景色は代わり映えがなくて、今日もシャッターに収めてみるけど、どうせあとでデータを消す。

タイという国のぬるりとした快適さはまるで泥のようで、そこにゆっくりと沈んでいくことを「沈没」と呼ぶらしい。この宿には沈没した日本人が実際に何人か棲みついていて、だけどあまり言葉を交わすこともない。相部屋の髭面の男はずっと死んだ目で天井を見つめているが、はたから見たら僕もそう変わりはないだろう。

最初はそれなりの観光をしてみようと、水上マーケットのツアーに参加してみたり、灯籠祭りに参加してみたり、巨大な涅槃像が横たわる寺院を巡ってみたりしたものの、切り取るべき瞬間はなかった。いやあったのかもしれないけど、それに気づく感性が僕にはなかった。詩人は道端に咲く雑草にさえ宇宙を見出すという。詩とは縁遠い僕がせいぜい感動したのは、カオサン通りのレディーボーイに話しかけられて、自らの陰部をホルマリン漬けで保存しているという、エキセントリックな与太話を聞いたときくらいだ。

さあ、今日も寝て過ごそうか。ドミトリーのベッドに転がった直後、バックパックを背負った若者が部屋に入ってきた。

「こんにちは、日本人?」

爽やかな挨拶を聞いて、すぐに憂鬱になった。僕には感性が欠けているが、苦手なタイプには敏感である。

「俺、ケンタロウです。世界一周中で、今8ヵ国目」

安宿で沈没するような人間も大概だが、夢見るバックパッカーもとことん不得手である。そろそろ宿を出る頃合いかもしれない。

「肉まん、食べます?屋台で買ったんだけど。あ、日本から持ってきたお菓子もあるよ。俺、これがないと駄目で」

若者はまくしたてるように話した。

「あと、充電器持ってないかな。スマホがつかなくなっちゃって、充電器の問題だと思うんだけど」

ちょっと急いでるんで、と僕は足早に逃げた。寝転がっていたくせに、下手な嘘だったと思う。若者が追いかけてくるような気がして、僕はドミトリーの前に停まっていたトゥクトゥクに飛び乗った。

どこへ行く?という運転手の問いに、君の好きな場所へ、と告げる。若い運転手は張り切った表情でオーケーオーケーと返事をして、エンジンをふかす。勢いよく走り出したトゥクトゥクに吹きつける風が、じめりと貼りついた熱を少しずつ引き剥がしてくれる。

運転手は行きつけのレストランから親戚の家まで、日が沈むまで案内してくれた。そろそろ帰ろうかという時間になって、ポケットに手を入れた刹那、背筋に冷たい一筋が流れた。財布が、ない。支払いはまとめてするつもりだったから、一度も取り出していない。ひょっとして宿だろうか。記憶を辿ると、確かにベッドの上に置いた気がする。急いで部屋に戻ったところ、ケンタロウが鼻歌を歌いながら洗濯物を干していた。財布は、ない。見当たらない。

「ここにあった財布、みなかったですか?」

「ん。黒の長財布?」

パンツをバサバサはたきながら、ケンタロウは呑気に答えた。

「それです。ベッドに置いてあったでしょう」

「あの日本人が、持ってっちゃったよ。彼のじゃないの?」

ケンタロウは、隣のベッドを指差した。髭面が寝転がっていたベッドは、いまやもぬけの殻だ。
やられた。旅人同士の盗難は耳にしたことがあるが、まさか自分が狙われるとは。自分の脇の甘さに腹が立つし、みすみす見逃したケンタロウにも腹が立つ。

残り所持金は、お守り袋にしのばせておいた1万円だけ。旅をどうやって続ければいいのだろう。とりあえず、宿の前で待たせている運転手に代金を払わなければいけない。あれだけ親切に案内してくれた相手に、値下げ交渉をするのは気が引ける。

「No money, no Happy」

事情を説明すると、運転手は悲しそうな顔をして呟いた。だが驚くことに、チップはいらない、1000バーツでいいと言い出した。相場の半額ほどの値段である。

「またいつか会った時に、払ってよ」

そう言い残して、トゥクトゥクは走り去っていった。恥ずかしさと感謝と、尾を引く怒りがないまぜになって、タイの夜空をぐるぐる回った。月の光が、コンクリートの安宿街を優しく照らしていた。

まあ、なんとかなるだろう。夜風が熱をさらったからか、意外にも僕は冷静さを取り戻していた。遠くまで広がる灰色の街を、記念にカメラに収めた。


インド

ネパールではホーリー祭に参加し、道に転がる犬と戯れた。スリランカでは毎日のようにカレーを食べ、険しい山道を登った。そういう時間を過ごしながら、僕はインドへの入国を後回しにしていた。バックパッカーの聖地、インド。嘘か真か判別つかないような、数多の伝説が語られるこの国を、僕は恐れていた。トラブルもハプニングも要らない。旅に冒険は求めていない。インドの国境をなぞるようにぶらぶらと周遊し、ひと月をほど時間を潰していた。そろそろ進まないと、沈没者の一員となってしまう。

いい加減に覚悟を決めようと、ネパールからインドへ向かう便に乗ろうとしたが、出発直前に欠航となった。ストライキが行われているらしい。出国スタンプまで押したのにと、残念がりながらこっそり安堵する。だが空港を出ようとしたところで、ゲートの軍人たちに両脇を固められた。屈強な腕に、僕の身体はずるずると引きずられて行く。

「スタンプを押したのだから、出国しなければいけない。別の便に乗せてやる」

軍人はそのようなことを口にした。背中の機関銃から漂う威圧感に、抵抗の意を示すこともできない。こうして僕は実に情けない形で、強制的にインドへと向かうことになったのだ。

「なんでこんな時間に来たの、ミスター?」

欠伸をかみ殺しながら宿の主人が言った。僕が望んだわけではない。ストライキと軍人が悪い。放り投げられた鍵を受け取って、個室へと入った。タイでの騒動以来、相部屋は避けている。あの時は日本からの緊急送金で助かったけど、もう同じ轍を踏むわけにいかない。ドアの鍵をかけ、財布を胸に抱いて眠った。

インドでの日々は確かに刺激的だった。街を歩いていると嫌というほど自称ガイドが声をかけてくるし、勝手にマントラを唱えて金をせびる男もいた。カレーを食べていたら少女がてくてくと近づいてきて、花束や壊れかけの携帯電話を売りつけてきた。最初はつけいる隙を見せないよう徹底的に無視していたけど、だんだんそれも面倒になってきて、話に応じたり、応じなかったりするようになった。そうすると稀に本当にいい人がいて、そうでない人もいた。だんだんとインドを知ったような気になってきて、でもこの国には13億人が住んでいるのだ。僕はそのうちの0.00001%と、本心の探り合いをしているに過ぎない。当たり前の事実に、なんだか虚しさがつのっていった。
ラダック地方のような街全体が寺院みたいに穏やかな場所から、煌びやかな電飾に包まれたデリーのような都会まで訪れたけど、どこにいても虚しさを拭うことはできなかった。そして街中でぶらりとお寺に入ろうとした時に、ここはヒンドゥー教徒以外入れないと断られて、そろそろ次の国に行こうと思った。

最後にインド最大の宗教都市、バラナシに寄ってみたが、あいにく宿は酒臭いドミトリーしか空いていなかった。すぐ側を流れるガンジス川は茶色く濁っていて、太陽の光をどろりと飲み込んでいた。相部屋になる前に早く出ようと思ったが、旅というのはやっぱり予定通りにはいかない。荷造りをしていたところ、大柄の日本人が入ってきた。

日本人同士が相部屋になったら、挨拶をしないわけにもいかない。耕一といいます、と話しかけたけど、男はどうも、と低い声で返したきり、巨大なリュックを降ろして壁の方を向いた。いい距離感だ。僕は引き続き僕一人の部屋であるかのように、この夜を過ごすことに決めた。しかし。

「トランプ、しませんか?」

夜も更けたころ、唐突に男が話しかけてきた。深夜に男ふたりで、インドでトランプ。その申し出があまりに滑稽だったので、僕は思わず承諾してしまった。

男は登山家で、ネットで検索するとそこそこ名が知られているらしい。あの大きなバックパックには登山用具が詰め込まれているようで、これからディラン峰というパキスタンの山にいくつもりだと言った。

「登ると言っても、下の方を歩くだけですけど」

ぽつり、ぽつりと男は話した。男の声は静かに降る雨のようで、初対面だけど心地がよかった。僕は雨を受け止める傘みたいに、黙って耳を傾けていた。

「以前、ディラン峰で遭難したんです。それでもう、登山家としては折れてしまった」

カードを持つ男の右手には、指が3本しかなかった。

「だけどまだ未練があって。またあの山を見たら諦められるかなって」

僕は黙ってカードをめくる。ペアを作っては捨てる。ふたりでババ抜きをやったところで、大した駆け引きは成立しない。ただジョーカーを引くか、引かれるか。男はそういう世界を生きてきた。そして運悪くジョーカーを引いてしまったに過ぎない。それに比べると僕の毎日など、ババの存在しないババ抜きを、延々と続けているだけではないか。

ジョーカーを何十回と互いに往復させた頃、窓から日の光が差し込んできた。ガンジス川はところどころ渦を巻きながら、ゆったりと流れている。すべてを流し去ってしまう聖なる川は、どこまでも大きくて、茶色い。

インドに来ても、なにかが変わることはなかった。だけどババ抜きは案外楽しいから、もう一泊してもいいかもしれない。ガンジス川の茶色にむかって、僕はシャッターを押した。


イタリア

数ヶ月ぶりに携帯が鳴ったけど、寝ぼけて切ってしまった。後から番号を確かめると、日本からだ。しまった。慌ててかけ直したが、つながらない。落胆する僕のそばに、白い猫がすり寄ってきた。

西へと進むにつれて、猫がどんどん増えている気がする。メテオラの公園でたむろしていた猫も、セルビアのカラフルな街並みを駆ける猫も、ブルガリアで店番をしていた猫も、どの猫も街に賢く溶け込んで、しなやかに生きているようだった。このままさらに西へ行ったら、猫だらけになってしまうのではないか。そんな国にたどり着けたら、旅の終着点としよう。部屋を見渡すと、白猫はもういなかった。

ギリシャからフェリーに乗り、地中海を渡る。カモメが旋回し、潮の匂いが鼻をくすぐる。ミラノ風ドリアにペペロンチーノ。僕のイタリアのイメージは主にサイゼリアで構成されている。本場ではもっと美味しい料理が食べられるらしい。この旅の中でも、珍しく楽しみな国だった。だが港町についた途端、そんな期待はあっさり裏切られた。

船の往来を告げるサイレンが鳴り響いていた。人々は怒鳴り合うように議論し、売り子たちは叫びながらジュースを売り回っている。騒々しい。まるでインドのようだ。鉄道駅に到着すると、今度はジャンパーを羽織った若者が凄まじい勢いでこっちに走ってきた。僕は慌てて横へと避ける。直後に警備員らしき男性が、僕のスーツケースを派手に蹴飛ばしていった。警備員は謝罪らしき言葉を口にしつつも、見向きもせずに若者の後を追って、二人の姿は見えなくなった。無賃乗車でもしたのだろうか。床には腰をついた僕と、取手の壊れたスーツケースだけが取り残された。

困難は続く。電車に乗ろうとしたところ、故障で3時間遅延しているという。歩こうとしたら、今度は破裂するような雨が降り出した。仕方がないから、雨宿りに近くのカフェに入った。

テーブルについて、スーツケースの取手をいじりながら呪詛の言葉を吐いていると、向かい側に誰かが座った。顔をあげると、真っ赤な服を着た、金髪の女性が座っていた。

「日本人ってだけで、一緒の席にするのはやめてほしいよね」

女性は口を尖らせて言った。壊れた取手のことなど頭から飛んでいった。さっきまで喧騒に巻き込まれていたのに、今度は美女と相席になるとは、イタリア恐るべし。

「あなたもう注文した?」

ただ相席になっただけなのに、なぜそんなことを尋ねるのか。僕に店員を呼べと、暗に要求しているのか。身知らずの人に使われるのは癪だけど、イタリアではマナーなのかもしれない。

店員を呼んで、イタリア語のメニューからホットコーヒーらしきものを勘で選んだ。女性は流暢な言葉で注文していた。店員がメニューを持ち去り、テーブルの上には沈黙だけが乗っかっていた。

「寒いですね」

「どこからきたの?」

僕の渾身の挨拶を遮って、女性が尋ねた。僕は旅をしていること、ギリシャから到着したことを、しどろもどろに伝えた。旅ねえ、とつまらなそうに女性は相槌を打った。

「ギリシャだったらサントリーニ島でクルーズとか?クロアチアの青の洞窟は行った?」

女性の眼差しは、品定めをしているみたいだ。猫ばかりの東欧の記憶を語っても、失望されてしまうだろう。僕は質問をかわすことにした。

「いい人が多かったです。バスを逃したら無料で送ってくれたり、宿まで案内してくれたり」

女性の言ったような観光地然とした場所は嫌いなわけではない。でも人の多い場所は、無意識のうちに避けてきた。

「ああ、やっぱそっち系? バックパッカー旅、みたいな?」

女性は小馬鹿にするような口調で言った。

「いや、そんなんじゃなくて」

僕はむっとして言い返したが、すぐに自分の言葉に呆れた。そんなん、と言えるほどの旅を僕はしているのか。

「私は旅よりリゾートが好き。タヒチで高級ホテルに泊まったり、フィジーで水着とビーサン履いて日光浴したり。ニューカレドニアでココナッツジュース飲んでさ。ダイビングならミクロネシアもいいなあ」

女性は自分の話になると、途端に多弁になった。宙を見つめながら、うっとりとした表情で語り続ける。

「サモアでサーフィンしたり、パラオで潜って泥パックしたりとか、トンガで豚の丸焼きを食べたこともあるよ。最近だとモルディブかな。昼はシュノーケリングして、夜空の下で読書して、とにかくダラダラするの」

店員が小さなマグカップを女性の前においた。エスプレッソを口にしながら、それでも女性は話をやめない。

「一番は、ハワイね。世界一の海は、やっぱりハワイ。行ったことある?」

答える前に、大皿のカルボナーラと、コーラの瓶が僕に運ばれてきた。妙な組み合わせは女性の関心を引いたようで、幸いリゾートの話は中断された。

「君、寒いんじゃなかった?」

女性は笑った。コーヒーのつもりがなぜコーラ。そしてなぜ二品。ただ女性の初めての笑顔を見られて、僕はようやく安心して料理に手をつけた。本場のカルボナーラとコーラは、驚くほど合わない。

女性はアート関係の仕事をしていて、出張でイタリアに来たという。今夜は知り合いの画家の家に泊まる予定だと言った。

「海外って疲れるよね。この国はイケメンが多いからいいけど」

二杯目のエスプレッソを口に運びながら女性は言った。

「あ、でもリゾートは別腹ね」

また、にっと笑った。不快な笑顔ではなかった。

外では雨足が弱まっていた。ガラス張りの壁をつたって、水滴が長い線を引く。上から下へと、その行方を目で追いかけた先には、黒い野良猫が座っていた。毛並みの荒れた猫だったけど、相変わらず気高い自由の目をしている。

女性は猫を見ると、眉間にシワを寄せてシッ、シッ、と追い払う仕草をした。猫は気にするそぶりも見せない。

「猫って苦手なの」

女性は顔をしかめた。僕はブルガリアで店番をしていた猫を思い出した。店のおばさんが、猫を意味するブルガリア語を教えてくれたけど、なんだっけ。

「イタリアのどこへ行くの?」

「チヴィタって場所に興味があります。陸の孤島にあって、死にゆく街とも言われてるんですけど」

僕がそう答えると、暗っ、と女性は言って、また猫を追い払おうとした。だが猫はすでに立ち上がって、向こうへと歩いていくところだった。

食事を終えた僕らは店を出て、冷たい空気を吸い込んだ。 雨上がりの匂いが鼻をつきぬけて、少しくらくらした。女性が腕をコートに通そうとして、内ポケットに「ITSUKI」という記名がちらりと見えた。五木、伊月。頭の中で変換作業をする。

「死にゆく街もいいけど、観光地も行ってみなよ」

陽に光る金髪を撫でつけながら、イツキさんは言った。

「ピサの斜塔とか、サン・マルコ広場とか、サン・ピエトロ大聖堂とか。斜塔は工事中だけど。いい場所がたくさんあるから」

一時間の雨宿りは、僕らの距離を少しだけ縮めた。もう会うこともないだろうけど、旅の繋がりなんて、えてしてそういうものだ。

「あ、ハワイは絶対行ってよね。これあげる」

手渡されたのは、一枚の写真だった。突然のプレゼントに動揺した僕は、ポケットをまさぐって、おやつに買ったチーズを渡した。

イツキさんはちょっと驚いた様子だったが、ありがとうと笑って、変わりかけの信号を、早足で渡っていった。まっすぐ背筋を伸ばし、振り返ることのない後ろ姿は、猫そっくりだった。

閉館前のサン・ピエトロ大聖堂は人がまばらで、厳かな空気で満たされていた。そっと手を置いた桃色の大理石は、しばらく触れているとほんのりと温もった。

肩を叩かれて振り向くと、現地の少年たちが話しかけてきた。僕のカメラで、写真を撮ってくれという。大したカメラじゃないが、高そうに見えたのかもしれない。

ファインダーを覗く。思い出した。ブルガリア語で猫は、コトカと呼ぶ。いつかイツキさんに会うことがあったら、教えてあげよう。そして代わりに、下の名前を教えてもらおう。僕は少年たちからフォーカスをずらし、大理石の桃色をレンズ越しに見つめた。


フィンランド

「アイスランドに、地球の割れ目みたいな場所があるんだって。で、アイルランドではダブリン城とか、ブラーニー城とか城めぐりをしてさ。それからイギリスに行くんだ。」

「最初にイギリスに行った方が早くない?」

「イギリスは特別な場所だから。ジェームスボンドに、ビートルズ、シャーロックホームズ。あ、それから、ネッシー」

ケンタロウは指を交差させ、奇妙なポーズをとった。手首をくねくねと動かして、ネッシーの頭を表現しているらしい。

「真剣な話、ネッシーっていると思うんだよね」

楽しみだなあとケンタロウが言って、ネッシーもこちらを向いた。

「ちなみに俺、サンタもいる派だから」

暑い。むせかえるような香りが、肺に充満していく。

「そろそろ出ようよ」

僕はそう提案したが、せっかく会ったんだから、とケンタロウは粘った。
それはまったくの偶然だった。フィンランドのサウナに入ったら、まさか日本人に会うなんて。そしてその日本人が、タイで相部屋になったあのバックパッカーだなんて。

「コウイチは、なんで旅してるの?」

不意にケンタロウが尋ねてきた。旅の理由。会う人会う人に必ず聞かれる、最も困難な質問。
ケンタロウこそどうなの、と僕は質問を質問で返した。旅で学んだ数少ない処世術だった。

「俺はさ。去年バングラディッシュに行ったんだよ。ボランティアみたいな感じで、初めての海外で。今も忘れないな。じめっとした空気に、土と埃とガソリンの匂い。どこまでも歩いて行けるような気がして、毎日歩いてたらサンダルが壊れちゃって、それを通りすがりの現地人が直してくれたりして」

僕の対応は適切だったようで、ケンタロウは目を輝かせながらとうとうと話した。僕は返事をする代わりに、吹き出す汗をぬぐった。

「知らないことだらけの旅に興奮しちゃって。それで、世界一周をしようと思ったわけ。で、コウイチは?」

体温は上昇をつづけ、頭の中でパチパチと火花が鳴った。脳細胞の灼かれる音だと思った。

「写真を撮ろうかと」

両膝を抱え、うなだれながら答えた。床板の木目がネッシーに見えた。

「確かにいいカメラだよね。財布は盗まれたのに、カメラだけは大事そうに抱えて」

ケンタロウは笑った。タイの記憶が蘇ったが、あの時の怒りは蘇ってこない。それよりも、この状況の方が問題だった。これでは脱水症状になりかねない。

「ヨーロッパではどんな写真を?」

一方のケンタロウは平然としていた。異常に暑さに強い。僕は回らない頭で、記憶の糸を手繰り寄せた。

「デンマークのコペンハーゲンで。街路樹を撮った」

ヨーロッパは、絵になる景色ばかりだった。マッターホルンも、モントルーの湖も。大道芸人で賑わうプラハの広場も、ノルウェーでムンクの眺めた夕焼けも、凍えるようなストックホルムの街並みも見た。
だけど祭り終わりでゴミだらけの道に生えていた、街路樹の深い緑が妙に印象に残っていたのだ。

へんなの、と呟きながらケンタロウは腹をさすった。

「今朝、ポリッジしか食べてないんだよな。そうだ、イギリスに行ったらさ、屋台でサンドイッチを頼もう」

また話が移動している。ケンタロウの腹具合に興味はなかった。

「それから、スコットランド地方。ちょっと荒寥としたイメージがあるけど、生牡蠣が有名らしいらしいんだよね。しかも、ウイスキーをかけるんだ。さすがスコットランドって感じ」

自分の話になると止まらない特性には、既視感があった。長話を食い止めようと、僕はからからに乾いた口を挟む。

「ウイスキーなら、南極が一番だよ」

「南極?南極に行ったことあるの?」

ケンタロウは目を丸くしていた。まあ、と僕はお茶を濁した。視界が揺らいで、限界が近づいていた。僕は立ち上がって、勢いよくサウナの戸を開けた。眼前の景色を見て、あんぐりと口を開けた。
外には一面の銀世界、そして上空には、絵の具が爆発したみたいな空が広がっていた。初めて目にする、オーロラだった。

後ろでケンタロウが騒いでいる。サウナを飛び出し、裸のまま、雪にダイブした。のぼせておかしくなったのではないか。ケンタロウはそのままゴロゴロ転がって、生まれたばかりの姿で、生まれたばかりの雪原に痕跡を残していく。仰向けになったまま雪をすくい、手のひらで包んだ。えい、と言いながら雑巾を絞るようにぎゅっと閉じると、圧力で雪が噴射された。僕は小さな悲鳴を上げた。

「得意なんだ、水鉄砲。ていうか雪鉄砲。南極より冷たい?」

けらけらと笑いながら、大の字で空を見上げている。彼の身体は、寒さすらも感じないのだろうか。

「俺、オーロラは2回目だ。アラスカで見たことがあって。あの時は、鼻毛も凍る寒さだったな」

鼻毛は人並みなのかと、震えながら思った。サウナの熱はとっくに回収され、そのまま体温まで奪われそうだった。

「アラスカで、現地のおじいさんと知り合ってさ。おじいさん、海外に行ったことないらしいんだけど、こう聞くんだよ。日本の夕陽も同じように見えるのか、って。今まで夕陽なんか全部同じだと思ってたけど、帰国してからよく見たら、なんだかこれまでは違う風に見えて」

大の字のままケンタロウが言った。不本意ながら、僕はケンタロウの言わんとしていることが分かった。以前の僕なら、デンマークの街路樹なんて見過ごしていたはずだった。あの景色を選んだことは、些細だが意味のある変化に思えた。ただまた話が長くなりそうなので、そう思うに留めておいた。

「オーロラは撮らないの?」

上半身を起こしてケンタロウが尋ねた。

「寒いからいいや」

本音だった。音もなく舞う宇宙の光が、僕らの裸体に降り注いでいた。


サウナを出て、カフェでおすすめの場所を尋ねたら、店員がぞろぞろと出てきて議論を始めた。最終的には10人くらいの人だかりができて、その結果導き出された答えが「公園」だった。屋内で暖まりたかったが、こんな大会合を開かれたら行くしかあるまい。

公園では寒さをものともせず、犬たちが元気にじゃれあっていた。声を張り上げる物売りに、サックスを演奏する青年、似顔絵を描く女性。さすが10人が勧めるだけあって、公園は雪を溶かすほどの熱気を見せていた。フィンランド人の身体も、僕とは違うつくりをしているのだろうか。

「サウナ、子ども用の値段だったな」

足元に駆け寄ってきた犬を撫でながら、ケンタロウが言った。

「日本人は、若く見られがちだからね」

「うん、まあ」

ケンタロウは生返事をして、犬を撫でた。こいつの興味は、まるで幼い子のようにせわしなく移る。

「俺、北朝鮮に何度か行ったことがあってさ」

ケンタロウが唐突に言った。北朝鮮だって? しかし初めて見るケンタロウの表情に、僕は疑問をぐっと飲み込んだ。

「ちょうど同じような季節だったかな。普段は整然とした平壌の街が、年末だけは人混みで賑わうんだ」

ケンタロウが手を離すと、犬は一目散に走り去って行った。

「そこで知り合った奴がいて。家族が亡命したって言うんだ。亡命先が、イギリスらしいんだよね」

頭にパラパラと白い粉が降りてきた。露天商たちが慌てて店じまいを始める。再び降り出した雪は、ヘルシンキの冬を再起動させようとしていた。

「で、なんで南極に?」

また笑顔を取り戻したケンタロウが尋ねた。

「10万年の氷」

「10万年?」

「10万年間降り積もった雪が、南極をつくっているんだ。で、その氷でウイスキーを割って飲む。最高だよ」

それは、最高だ。ケンタロウは深くうなずいたが、関心はまた他へと飛んだようだ。ケンタロウの視線の先には、赤い服に、白い髭を蓄えたおじいさんがいた。サンタクロースだった。子供たちにハグをして、プレゼントを配っていた。

「いただろ、サンタ」

「ネッシーはいないけどね」

雪が勢いを増していた。10万年の時を経れば、この街もウイスキーの氷になるのだろうか。


ニューヨーク

一年前にトランジットで立ち寄ったニューヨークは、目に痛いほど眩しい街だった。イエローキャブと呼ばれる公式のタクシーは鮮烈な黄色をまとっていて、分厚いレアステーキをさっくり切ると真っ赤な血が滲んだ。ちょうどシティマラソンの時期だったから観光客も多くて、はしゃいで写真を撮っている日本人を多く見かけた。無限の色を放つこの街では僕だけが透明で、唯一この世を去ったツインタワーの跡地だけが、僕に少し似ている気がした。一年前の僕はこの場所で名もなき白タクに乗り込んで、南極へと向かったのだ。

なぜ旅をするのか。

そう尋ねられるたびに、答えに窮していた。

遠くに行きたかったのではなく、行かざるをえなかった。部屋に引き篭もるようになって数年が経ち、ある日に鏡を見ると、写っていたのは僕ではなく、幽霊だった。比喩ではなく本当にそう思った。ハリボテの眼と鼻が、顔の形をした何かにただくっついている。身体には質量がなく、手も足もぼんやりと薄かった。放っておくと、音もなく消滅してしまうように思えた。僕はいつぶりかわからない、腹の底からの恐怖を覚えた。

いますぐ部屋から逃げ出したかった。街から逃げ出したかった。だからできるだけ遠くを選んだ。結局一年をかけて、地球を一周して、またニューヨークに戻ってきた。

一年ぶりのニューヨークは、相変わらず誰もかもが早足で、リズムを合わせて歩き回っていたら、じき空腹で動けなくなった。無性に日本食が恋しくなって、派手な看板の寿司屋に入った。看板以上に派手な寿司に、シメに頼んだ味噌ラーメンはラーメンに味噌汁をかけただけだったけど、案外悪くはない。

タイムズスクエアの周りには早くも黒山の人だかりができていた。年越しまでにはまだ時間があるが、どうやら各国の現地時刻でもカウントダウンが行われるらしい。偶然にも、もうすぐ日本が新年を迎えようとしていた。まだ太陽が昇りきらないニューヨークで、一年の終わりが始まる。

60,59,58…

人々が数字を唱和し始めた。このまま丸一日、世界中のカウントダウンを繰り返すのだろうか。寒さに耐えきれなくなった僕は、右手を挙げてタクシーを呼び止めた。ピカピカに磨かれた、イエローキャブが目の前に停まった。窓ガラスに写った自分の姿を確認すると、僕の目をして僕の鼻をした、散らかった髪の僕がいた。

カメラを取り出して、黄色のドアをファインダーで覗く。運転手が不思議そうな顔をしているた。

10,9,8…

最後の色を撮った僕は車に乗り込み、行き先を告げた。運転手が力強くアクセルを踏んで、タイムズスクエアの歓声が遠ざかっていった。

封筒をポストに投函した。中には11枚の写真が入っている。1週間くらいで、日本に到着するらしい。少し膨らんだ黄色の封筒が、太平洋を越えていく様子を想像する。

この旅がどこまで僕を変えたのかはわからない。日本に帰ったら、また同じような毎日が待っているのかもしれない。

だけど、なぜ旅をするのか。その質問に、今ならこう答える。

僕にとって旅とは、新しい色を見つけることだ。普段なら見落としてしまうような、視界に入らないような色たちを、時間をかけて浮き上がらせることだ。

探して見つかることもあれば、ふと眺めた窓に広がっていることもある。暖かいところにも、冷たいところにもある。たくさんの色たちを飲み込んで、透明な僕にぼんやりと輪郭が現れる。そうやってもう少し、この世界に立つことができる。

寒風の吹くブロードウェイを大股で歩いたら、足がつった。


2. 「開沢いつき」


オーストラリア

強い風が吹いていた。ユーカリの葉が擦れ合う音がした。パンツが膨らみ、バサバサと揺れた。スカートを履いてこなくてよかった。

「ウルルの頂上も、こんな強風だった。あなたも行った?」

振り返ると、相部屋の女性がいた。年齢は訊いていないが、見たところ50代だろうか。長い銀髪が、ふんわりと風になびいていた。

「いえ。長居するつもりはないので」

私は答えた。今ごろ本当は帰国しているはずだった。ニュージーランドからのトランジットに乗り遅れそうで、無理やり行列を突破しようとしたら警備員に囲まれた。真夜中の空港から放り出された私は、あてもなく彷徨い、唯一灯りのついた宿の扉を叩いた。収容所みたいなドミトリーに連れられてぎょっとしたけど、この女性が相部屋を受け入れてくれて、なんとか半個室に泊まれることになった。

「私はね、もう何十年前も前だけど、新婚旅行でオーストラリアを回ったの」

女性の話が長くなりそうだと思って、私は軽く後悔した。屋上へ、ちょっと涼みに来ただけなのに。しかし恩人を無下にはできない。

「私はオークランドからの帰りで。友人が日本から留学したっきり、母親も呼び寄せて、一緒に長いことそっちに住んでるんです。オークランドっていっても田舎の外れの方で、牧場をやってるんですが」

場をコントロールすべく、自分の話に持ち込む。私の好む手法だった。

「タクシーで行ったんですけど、知らない道で降ろされたんです。仕方なく歩いてたら、今度は道に迷っちゃって。結局友人に迎えにきてもらって、本当、最悪でした。」

いつも通り、口からぽんぽんと、退屈な話が出てきた。頭を使わずに喋り続けるのは得意だった。こうすれば相手が引いてくれることも知っていた。

「でも夜はよかったな。星がとても綺麗で、やっぱり日本とは違うなあって。南十字星ってどれ?って友人に聞いてみたら、知らない、って答えるんですよ。あんな星空の下で生活してるのに、変ですよね」

しかし私の長話にも臆すことなく、女性は静かに頷き、こう返してきた。

「あなたの街に、海はある?」

私は驚いた。まるで話が噛み合わない。ちょっと変わった人かもしれない。だとしたら面倒だ。明日も早いからそろそろ切り上げて、寝室に戻りたい。

「地元にあります」

最低限の返事をした。

「引き潮の海を覚えている?」

「いえ、そんなに」

「グレートバリアリーフはね。引き潮が一番美しいの。」

そう言って女性はグラスを傾けた。透き通った白ワインが、潮の満ち引きみたいにするりと移動していく。

「あなたの海にも、きっとそんな瞬間があるはず。でも、身近な景色ほど、目に留まらないから」

私の不遜な態度にも構わず、女性は話し続けた。地元の海を思い描こうとしたけど、ぼんやりとしたイメージしか湧かない。しばらく帰ってないな、と思った。今では帰省するのもひと旅行になってしまった。

「去年、夫が亡くなってね。むかし彼と訪れた場所を旅しているの」

グラスを小さなテーブルに置いて、女性が言った。私は固まった。また風が吹いた。無言の時間を取り持ってくれるように、びゅうびゅうと鋭い音を立てていた。

「どこに行っても、2人の時と、また違って見えるものね」

女性が空を見上げたので、私もそれに従った。飛行機が、風がやってくるところに向かって飛んで行った。

「知らない場所で降ろされて、初めて見える景色もあるのよ」

飛行機の去った空に、思わず月を探した。遠い雲の奥に、薄い黄色が浮かんでいた。あの月は、地元の海にも映っているのだろうか。


韓国

ここ数年、仕事漬けだった。だから思い切って長期休暇をとり、貯めたお金で遊んで回ることにした。ニュージーランドの次はシンガポールの日本人宅で、屋上のプールにダイブ。インドネシアを経て、モーリシャスで友達の結婚式に参加した後は、マカオでポルトガル料理に舌鼓を打ちながら、カジノ三昧。溜まった鬱憤をはらすかのように、毎日二日酔いの生活を送っていた。

で、そこまでは良かった。問題はそのあと。香港からの飛行機が欠航して、韓国への到着が大幅に遅れた。そのせいで、友達のダンスパーティーに参加できなくなった。期待していた高級ホテルは恐ろしいほど狭くて、冷蔵庫のお酒は賞味期限が切れていた。思い通りに進んできた旅程が狂ってしまって、私はひどく苛立っていた。アルコールを浴びるために、夜の街へ繰り出すことにした。

明洞の繁華街は、多くの若者たちで賑わっていた。煌々と光るネオンに照らされりと、元気が湧いてくる気がする。足にふわりとした感触があり、足元を見下ろすと白い子猫がいた。千鳥足の人間たちとは対照的に、凛とした佇まいをしている。追い払う動作をすると、猫はつまらなそうな顔でどこかへ歩いて行った。

近くのスポーツバーに入って、カウンター席でビールを注文した。テレビではサッカーの試合が中継されていて、赤のユニフォームがボールを持つと歓声があがる。どうやら国の代表らしい。濡れたグラスのふちを指で拭き取り、冷えた泡を喉に走らせる。すぐに身体が熱を帯びてきて、気分が乗ってきた。

「すごい盛り上がりですね」

振り返ると、横に若い男性が座っていた。私は一瞬のうちに男性をスキャンする。伸びきったシャツに、穴のあいたパンツ、履き潰したスニーカー。流暢な韓国語で注文しているから、現地人だろうか。視線を下ろすと、大きなバックパックが椅子の下に押し込められていた。

「ケンタロウ、といいます。あ、名乗りたかっただけなので、名前はいいです。お姉さん、日本人でしょ?試合に興味なさそうだから」

よく喋る男だ。先手を取られた気分である。会話は私がいつだってリードしたいのに。

「名前は、いつき。韓国は旅行で来た。最近仕事が忙しくてね。これから朝までダンスパーティに参加する予定だから、ここでちょっと0次会中」

男は目を丸くした。参ったか。ダンスパーティーは嘘だけど。

「他にどんなとこ行きました?俺も旅行中なんです。これから東南アジアを回る予定で」

変なところに食いついてきたな。でも、暇つぶしにちょうどいい。私はこれまでの道中について、起承転結を交えつつ愉快に話した。男は前のめりで話を聞いていた。

「すごいなあ。行ってみたい場所ばかりです。インドネシアって言えば中学生の頃、友達がホームステイしてました。帰ってきたときの背中がなんだかカッコ良くて、冒険に憧れました」

この男、なんだかピントのずれた回答をする。私は意地になって、まだラリーを続けることにした。

「冒険なんていいよ。私が好きなのはバリ。昼はサーフィンして、バイクでツーリング。それから朝まで飲んだ後、日の出をじっと待つの」

二杯目のビールを飲みながら、つい先週の出来事を思い返していた。バリの日の出。茜色の光線が酔いを醒ましてくれて、最高に気持ちよかった。醒めるために、私は酔うのかもしれない。

「カンボジアにも行ってみたいんです。大学の友達が行ったらしくて。地雷が撤去されたばかりの場所があったり、日本と全然違いますよね。ほら、この写真みてください。住所もない地域で迷子になった時に、孤児院の子供たちに助けてもらったって言うんです」

そう言って男が取り出した写真には、知らない若者が写っていた。現地の子供たちと、観光地にあるような顔出しパネルでおどけていた。

「混じり気のない笑顔って、このことだなあ」

男は目を輝かせた。混じり気のないのは、君だ。そしてそれは同時に、罪深い無知でもある。

「君の話、友達のことばっかりね」

ほろ酔いに任せて、思わず皮肉を言ってしまった。

「はい、いい奴ばかりです」

男は気づくこともなく笑った。ビールの炭酸が抜け、すっかりぬるくなってしまっていた。今夜はもう、とことん飲んでやる。新しいグラスを注文した私は、カウンターに肘をついてこう切り出した。

「いい、旅っていうのはね」

なんで私が旅を語っているのだ。まあどうでもいい。カウンターの向こうで、店員が子猫に餌をやっているのが見えた。あなたの場所はここにあったのね。私はくしゃみをした。

店を出る頃には、うっすらと明るかった。もうすぐ4時だ。タクシーを捕まえようとしたけど、観光用のトゥクトゥクしかいない。

「これに乗るんですかあ」

ふらふらになったケンタロウが言った。

「トゥクトゥクってよく騙されるらしいですよ。友達が言ってたんですけど、知り合いのレストランに連れて行かれたり、途中でいなくなったり、ああでも、案内してくれるいい人もいるらしいな。それぞれかも」

独り言のようにブツブツと、また友達の話をしている。私はケンタロウを無理やりトゥクトゥクに押し込んだ。

「そういうのは、自分で確かめなさい」

「俺、どこの人に見えますかあ」

呂律が回っていない。少し飲ませすぎたかもしれないと、私は反省した。持ち歩いていた小さな紙袋を、お詫びに彼のバックパックへ詰め込んだ。

「なんですかあ」

「香港のお土産よ。魔除けの効果があるらしいから、旅のお守りにどうぞ」

ありがとうござ、まで聞こえたあたりでトゥクトゥクが駆け出した。あれはもともとパーティー用に買っていたお茶だったから、荷物が減ってすっきりした。魔除けの効果なんてない。結局私が彼に喋ったことは嘘ばっかりだった。

太陽が静かに昇る。降り注ぐ熱の束が、また私を醒まそうとしていた。


キューバ

派手なクラシックカーが連なって走る。昔の映画に出てくるようなアメ車は、キューバを象徴する景色でもある。資本主義に飲まれぬ古き良き風景だと言う人もいれば、そんな車を使い続けるしかない現状を物語っていると言う人もいる。どの車も陽気な音楽を鳴らしながら通り過ぎて行って、私を見つけるとクラクションを鳴らす。青空の下、硬いマンゴーをかじりながら、それにへらへらと手を振った。

この国にやってきたのは、単なる気まぐれだった。長期休暇のしわ寄せで出張がつづき、そろそろ違う場所へ行きたくなったのだ。いつもみたいにプエルトリコのビーチでモヒートを飲んだり、バハマの湖でダイビングをしても良かったのだけど。

最近は、出張中にも適度にサボることを覚えた。シャチの絵を買い付けに行ったカナダではナイアガラやイエローナイフを訪れて、それからブライアン・アダムスのコンサートを観た。ブライアンはこっちに手を振ってくれたと、今でも信じている。
アメリカではクリーブランド美術館で仕事を済ませたあと、サンフランシスコでチョコレートを食べたり、アメフトの試合を見た。テネシー・ウイスキーは相変わらずとろとろに酔っ払ったし、グランドキャニオンは相変わらず足がすくんだな。うーん、こう思い返していると、遊んでばっかりの出張だ。わざわざキューバに来る必要はなかったかもしれない。

だけど最終日にラスベガスに行って、いつものカジノで騒いで、朝になってゴーストタウンみたいな街を眺めた時に、言いようのない虚しさが押し寄せてきたのだ。それを断ち切るように、私はかつてヘミングウェイの住んだ最南端の街、キーウエストへ足を運んだ。海に落ちる夕陽を眺めて、あの向こうにキューバがあるんだなと思った瞬間には、もう行くことを決めていた。翌日にはチケットを買って、この地に降り立ったのだった。

20歳になったころ、単身で渡ったアメリカは輝いていた。失恋した勢いでロサンゼルスに飛んで。初日は泊まるところがなくて、満員のモーテルでベッドを分けてもらって。次の日起きたら気持ちのいい天気で、なんだか全部がどうでもよくなった。
毎日が驚きの連続だった。小さな美術館で仕事を見つけて、学校にも通って夢中で絵の勉強をした。言葉がうまく通じなくても、絵なら私を表現できたから。成人式も、同窓会も帰国することはなかった。日付変更線で遮られた、日本との距離が心地よかった。

旅という言葉は気取っている感じがするけど、私の人生に旅が存在したのなら、当時だったと思う。いつでもダイブすることができる、身体に焼きついた記憶。暗い空を走る流星群のように眩しく、荒野を駆ける100万台のオートバイのように壮観で、地平線まで連なる貨物列車みたいに、終わることのない記憶。そんな時間が、私にも確かにあったのだ。

いつの間にか太陽が移動して、足元に強い影を作っていた。にじり寄る真っ黒な色に、思わず足を避けた。私はいつも影から逃げてきた。だから陽のあたるビーチに行く。沈む太陽を追いかけるようにして、世界中のリゾートを巡る。だけど逃げる場所なんてないって、本当はわかっている。

クラクションが鳴った。顔をあげるといつもこの時間、この辺をうろついている紫色のクラシックカーが停まっていた。サングラスをかけた男が、白い歯を見せて、Holaと手をあげた。そうしてハッとした。店内の時計と腕時計を見比べると、1時間ずれている。今朝、時計を合わせ間違えたようだ。急がないと、飛行機に乗り遅れる。
慌ててお会計を済ませ、店を飛び出すと、またクラクションの音がした。怒鳴ってやろうかと振り向くと、男がひらひらと革の財布を振っていた。落としたよ、と彼は顔をしわくちゃにして笑った。それらから、急いでるなら送ってやろうか、とも言った。気持ちのいい笑顔は、気持ちのいい天気と似ていて、なんだか全部どうでもよくなった。ビーチに行きたい、と私は答えた。

暗い影が、いつの間にか街全体を覆おうとしていた。


ハワイ

もう何度目のハワイかわからない。日没前のノースショアでも混雑しない海岸をよく知っている。ブルーベリーのパンケーキが一番おいしい店も、テイクアウトのパスタが一番大きな店も把握済みだ。ハナペペタウンには目を瞑ったままでも行ける。

だけど、今はしばらく横になっていよう。時差で完全にへばっていた。弾丸で沖縄に寄ったのが、ボディブローのように効いている。昔はこれくらい平気だったのにな。伸びをして、砂浜に身体を預けた。

2日前。那覇を訪れたのは、いつものようにダイビングやキャンプ、カヤックのためでも、海亀と泳ぐためでもなかった。ビジネスホテルの一室をノックすると、古い音を立てて扉が開いた。

「入ってよ」

ぶっきらぼうな声を聞くのは久しぶりだ。

「なんで沖縄なの?どうせなら離島がよかったな。阿嘉島とか、竹富島とか」

入るなり私が口を尖らせると、寛之はこちらを見ることもなく、備え付けの小さな冷蔵庫を開けた。

「仕事は大変?」

そう言いながら瓶のオリオンビールを取り出した。さすがはわが弟、よくわかっている。

「もうヘトヘト。まあ、明日からハワイなんだけど」

栓を抜くと、細かな泡が溢れそうになった。慌てて口で迎えにいく。

また行くんだ、とぽつりと言ったっきり、寛之は口を閉ざした。誰もいない2人だけの部屋に、沈黙が同居する。弟の長所は無口なところだけど、それが短所でもある。狭い空間に息がつまりそうになって、私は窓を開けた。琉球の風が、生暖かくて、湿った空気を運んでくる。日の光がビール瓶に吸い込まれていった。

「やっぱりいいな、南の島は。気持ちが晴れわたるっていうかさ。このまま住みたくなっちゃうよね」

窓から身を乗り出す。外の木にはルリカケスがとまっていた。鮮やかな青い容姿に似合わず、ガーガーとカラスのように鳴く鳥だ。
鳴き声を真似しようとしたら、それとは真逆の、黄色い歓声が聞こえてきた。見下ろせば、白いウェディングドレスと、それに群がる女性たち。幸せそうにはしゃぎながら、互いに写真を撮りあっている。その光景を見て、私はガーと鳴いた。

「先週、屋久島にいたんだけど」

寛之が空き瓶を手で遊ばせながらようやく口を開いた。お酒を飲むのが早いのは、姉弟の数少ない共通点だ。

「ちょうどロケットの打ち上げと重なったみたいで、人が多かったからさ。夜明け前に、いつもと違う道を歩いてみたんだ。そしたらもう使われてないトロッコ道があって」

珍しく饒舌だ。私は黙って耳を傾ける。

「星座が分からないくらい星が広がってて。線路のフチに沿って歩いて。そろそろ帰ろうかなと思った矢先に、ドンッ、って地面が揺れた」

そう言って寛之は、三本目のビールに手をつけた。

「びっくりして振り返ったら、大きなヤク鹿がこっちをじっと見てた。暗闇に光る目に、ぜんぶ見透かされた気がしてさ。足がもうプルプル震えちゃって。恥ずかしくなっちゃった」

寛之は天井を見上げて足を叩いた。酔っ払っているのだろうか。お酒に弱かった記憶はない。

「姉さんが何度もハワイに行く理由、わかるよ」

ふう、と息を吐いて寛之はベッドに寝転がった。

「姉さんにも、諦めきれない景色があるんだよな。できるならずっと見ていたい。だけど、時間が経てば必ず変わっていく。それを少しずつ、受け止めようとしている」

窓の外を見ると、ルリカケスが飛び去るところだった。

「沖縄を選んだのは、再建中の首里城を見たかったからだよ」

そう言った寛之は目を閉じて、そのまま眠ってしまった。

ハワイの夕陽が海に沈もうとしていた。道中でサングラスを無くしてしまったので、光が直接飛び込んでくる。私は腫れあがった瞳をこすった。

この場所に何度も訪れては、ひとりであることに泣いた。もう枯れたはずの涙は、ここに戻ってくると、いくらでも溢れてくる。朝から晩まで、泣いて過ごすことが私にとっての救いだった。

あの人とこの景色をおさめたくて、色んなレンズを試したものだ。撮ってばかりの私を気遣って、一緒に写ろうと何度も提案してくれたけど、私は夢中でファインダーを追った。あの人の言う通り、もう少し二人で写ればよかった。そういえば、それからここで写真を撮っていない。

前方には、海がさざなみを鳴らしながら、遠く広がっている。振り返ると、稜線が、大地のうねりの痕跡のように続いている。

どっちを撮ろうか。

私はくるっと方向転換して、世界一の青にシャッターを構えた。


フランス

イタリアの空港でようやく仕事を済ませ、飛行機に乗り込んだ。昔はストレスでお腹が痛くなったものだが、いまではシートに座った瞬間、解放感に包まれる。席は必ず窓際。さっき到着した機体が、誘導路をゆっくりタキシングしているのが見えた。整備士と目があって、お互いにっこりと笑った。機内安全ビデオに映る女性がゴム管を加えたところで、意識は遠のき、身体はドイツへと飛ぶ。

美男美女揃いの荷物検査を抜け、空港内のレストランに入った。夜の空港は特別な空気をまとっていた。ここからの行き先は決まっていない。とりあえず1リットルジョッキを注文し、地図アプリを開いた。ベルリンの壁、あるいはバルト海。ノイシュバンシュタイン城や、ケルン大聖堂に行くという手もある。マップの拡大と縮小を繰り返していると、テーブルに瓶のコーラが置かれた。店員が間違えたようだが、指摘するのはやめておいた。久しぶりのコーラは案外、最高だった。私はイタリアで会った青年のことを思い出していた。

数日後、私は3ヵ国が交わる国境点にいた。大きな城も大聖堂もないけれど、絵本みたいな家の窓枠に、古本が並んでいるのが可愛らしい。石畳の坂を登って、屋台のサンドイッチを買うと、また寄ってね、と店員が声をかけてきた。でもここに来るのは最後だと思う。

左に行けばスイスはバーゼル、右に行けばフランスはミュルーズ。

私は大きく息を吸って、右の道を選んだ。

適当に入ったカフェで頼んだクロワッサンが、どこの有名店かというほど美味しい。店内では心地の良い音楽が流れていて、いつまでも本を読んで時間がつぶせそうだ。ふと外に目をやると、子どもたちが遊んでいた。小さなロードバイクに乗った少年も、電話ボックスでかくれんぼしている少年も、なんだかイケてる。そう、この国はとにかくイケてる。長居をしたのでチップを多めに出そうとしたら、そんなには要らないと返してくれた。カードで払おうとしたらカードリーダーが故障していて、だけど慌てもせずに、機嫌が悪いみたいねと笑った。やっぱり、イケてる。

仕事柄、フランスには何度も訪れてきた。美術館を梯子し、ルーブルでは1日に5万歩は歩いて、名画の数々を目に焼き付けた。好きな画家の墓地をバスで巡ったこともある。そういう積み重ねのおかげで、今でもなんとか仕事をやっていける。

あるとき、お目当ての絵が貸し出し中だった。落胆しながら帰路についていると、路上で男性が絵を描いていた。パリの街並みを描いた何気ない一枚に、私は妙に惹きつけられた。素敵な絵ですねと声をかけると、男性は笑顔でMerci beaucoupと言った。それがあの人との初めての会話だった。

時間を惜しむように、一緒に世界中を飛び回った。アルカニョンで生牡蠣を食べたり、アフリカでサファリパークに行ったり、韓国のダンスクラブで朝まで踊り明かしたり。でもやっぱり、ハワイ。あの人が海を好きだったから、ダイビングも、サーフィンも、一生懸命に練習した。

あの人といれば、何が起きても楽しかった。一度フランスで、私がムール貝にあたったことがある。電車で腹痛に見舞われ、降りようと思ったら荷物置きに繋いだチェーンが開かなくなった。パニックになった私たちは思わずチェーンを2人でひっぱり、そしたらなんと引きちぎれた。思わず腹痛も忘れて笑いこけた。こんな時間が続けばいいと思った。

あの人がこの世を去ったのは、その一ヶ月後だ。もともと末期に近かったから、むしろ長くもった方だと医者には驚かれた。月のない真っ暗な夜のことだった。

あの夜からだ。絵描きのキャンバスを覗かなくなったのは。他人と距離を取るようになったのは。電車が遅れただけで苛立つようになったのは。物事が思い通りにいかないことが苦しくなったのは。太陽が沈むのが、影が忍び寄るのが、怖くなったのは。

ノートルダム大聖堂の周辺には、プジョーのパトカーと、小銃を持った警備の兵士がいた。かつて一緒に登った螺旋階段は、すっかり焼け落ちてしまったようだ。

寛之は今の首里城を見たいと言った。変わりゆく景色を見て、受け入れていくのだと言った。変わり果てた大聖堂を見て、私はいつか、受け入れられるだろうか。

スマホを取り出そうとカバンを漁ったら、ぐにゃりとした感覚を掴んだ。嫌な予感がして中を覗くと、溶けたチーズが包装紙を抜け出して、カバンの中で散乱していた。あまりのひどさに、私は思わず笑ってしまった。自分でも意外だった。人差し指を舐めると、強い酸味が口に広がった。

チーズをくれた青年は、どうしているだろうか。私が撮ったハワイの写真を、大事にしてくれるだろうか。あるいは、大事な誰かに渡してくれるだろうか。

セーヌ川に太陽が沈み、代わりに街の灯がぽつぽつと点灯を始めた。



3. 「前木健太郎」


ラオス

韓国からフィリピン、そしてベトナムへと船で渡った。到着するや否や、入国審査で堂々と金を抜き取られた。それを見ていた横の若者に、ここじゃその金で殺し屋を雇えるよ、と囁かれた。旅が始まったことをようやく自覚して、俺は気を引き締めた。

ダナンの路地は、人を惹きつける佇まいをしていた。気づけば細い道に入り込んで、ストリートサッカーに混ぜてもらう。全く歯が立たずにしばらく座り込んで、また狭い道を歩く。そういうことを繰り返しているうちに、少しずつ路地裏の構造が分かってくる。

ただしいつまで経っても、肝心の大通りを渡ることができない。このバイクの洪水に飛び入るのは自殺行為だと思う。すると横に立っていた少女が、俺の手をとって歩き始めた。ひしめき合う鉄塊をものともせず、泳ぐように道を渡っていく。俺は肝を冷やしながら必死に少女に食らいついた。命からがら反対側に着くと、少女は右腕に抱えた竹籠を持ち上げた。肉と野菜と卵が入っていた。フォーの具材だと少女は言った。俺は料理ができないので、申し訳ないがその営業はお断りだ。少女は腹を立てたようで、怒鳴ってどこかへ行ってしまった。

次の朝、また大通りに佇んでいると、また少女に声をかけられた。どうやら渡れない外国人をターゲットに据えているらしい。鋭い着眼点だと思う。俺は少女の手を握った。背中すれすれにバイクが突っ切っていくが、相変わらず気にするそぶりもない。

今日の営業は、焼きたてのバゲットだった。これなら食べられる。財布を覗きながら、道を渡るコツを尋ねた。少女は一言、勇気よ、と言って、手のひらを差し出した。

ベトナムを発った飛行機は、1時間ほどでラオスの首都ビエンチャンに到着した。幼い頃、この国に訪れたことがある。メコン川から昇った朝日。平原に沈んだ夕日。窓から目が合ったオオトカゲ。バスから見えた、揺れる街明かり。幼心に染みたラオスの空気が忘れられなくて、今回の旅で再訪することにした。あのゆったりとした時間に、疲れた身を委ねるつもりだった。

なのに、おかしい。人々は忙しなく働き、バスはバス停を無視して通過していく。慌てて追いかけたけど、停止する意欲も見せずに走り去った。現地の店は妙に日本人慣れしていて、両替を頼んだらついでにタバコも請求された。「タバコ、ダイジ」と片言の日本語で店のオヤジは笑う。どうやらここ20年ですっかり近代化し、観光地になってしまったらしい。

目抜き通りでは、ダナンと同様にバイクの大群が疾駆していた。思わず身がすくんだが、少女の言葉を思い出して一歩踏み出した。そしたら普通に跳ねられた。
嘘だろ。血だらけの右脚に、俺はつぶやいた。エンジン音が近づき、助けがきたのかと思ったら、客引きに来たバイクタクシーだった。嘘だろ。俺の理想郷は消えてしまったのだろうか。誰かが肩を揺すっているが、もうたくさんだ。意識は遠のいていく。

シチューの匂いで、目が覚めた。ベッドに横たわった俺の脚には包帯が巻かれ、壊れたサンダルは綺麗に縫い合わされていた。この場所を知っている、と俺は思った。タバコを要求された店だ。シチューを持ってきたのは、やはりあのオヤジだった。

「昔のラオスとは、結構変わったね」

タバコを旨そうにふかしながら、オヤジは言った。やはり急速に開発が進んでいるらしい。オヤジは懐かしがりながら、当時を語った。こんなところで時空を超えて、思い出を共有できるのが嬉しい。

助けてもらったお礼に、数日間この店を手伝うことにした。料理からガイドから土産物まで、手広く取り扱っている店だった。オヤジは充実した顔ぶりで、せかせかと動き回っている。観光地化を嘆くのもまた観光者の勝手なのだなと、俺は少し反省した。

最終日、「帰りのチケット捨てて、ウチで働けば?」とオヤジは言った。スカウトは魅力的だけど、丁重にお断りする。もともと帰りのチケットは用意してない。
このあとは陸路でタイへ向かうつもりだ。そこからマレーシア、ミャンマー、バングラディッシュにインド。西回りで地球を一周する。俺の旅は、まだ始まったばかりなのだ。

夕日が20年前と同じように、平原へ沈んでいく。


トルコ

憧れのシベリア鉄道は、じきに飽きてしまった。水より安いビールを飲みながら、ただ車窓を眺める。過ぎゆく街々は、どれも寒さに抗うかのように電飾に気合いが入っていて、時折見える湖はゼリーのような水面をしていた。エストニアまで抜ける予定だったが、イルクーツクで降り、中央アジアを通ることにした。

南へとバスを乗り継ぎ、まずはモンゴル。ゲルに泊まって麻雀を打った。学生時代に磨いた腕を見せつけて、まるで国賓のような扱いを受けた。酔い覚ましでゲルの外に出ると、天の川が頭上を越え、背後まで続いていた。
乾燥した中央アジアではシャワー要らずで、おかげで安宿と野宿を繰り返して、お金を浮かせた。キルギス人は俺と顔つきが似ていて親しみが湧いたし、ウズベキスタンではサマルカンドの美しいミナレットに陶酔した。トランジットで寄ったカタールとバーレーンでは40度越えの天気が続いていたが、豪華絢爛な空港で優雅に過ごした。

中でも印象的だったのがイランだ。信号機が機能せず、バスが対向車と衝突したり、子どもがスーツケースに乗って走り回るカオスもさることながら、とにかく人々が暖かい。ゲストハウスの少女は毎朝俺のところへゆで卵を持ってきてくれたし、露天をめぐればおばちゃんが豆のスープを御馳走してくれた。ホテルのバイキングでは全ての野菜をトッピングしてくれて、テーブルを皿が埋め尽くした。古都イスファハーンではこれが世界の半分かと胸を打たれたし、タイやインドと並んで、イランという国は旅のハイライトだったと思う。

停電のパレスチナでストーブで焼いたハンバーガーを食べ、まだ一部しか発掘されていないというペトラ遺跡の巨大さに衝撃をうけ、シリア、レバノン、アルメニア。俺はこの旅に来てよかったと思い始めていた。いや、もっと早く来るべきだったかもしれないとも思った。テロリストに破壊されたアフガニスタンやイエメンの世界遺産は、もう目にすることができない。

トルコに到着して、強面の男に強烈な垢すりをくらい、痛んだ背中をさすりながらカッパドキアのカフェに入った。これはどの国でも試すテクニックだが、「あなたは素晴らしい」と現地の言葉で手のひらに書いておく。事あるごとにその手をかざすと、大体悪い顔はされない。トルコでは特に効果的に働くようで、店員のお姉さんはほっぺにキスまでしてくれた。
余韻に浸りながらチャイ片手に奇岩を眺めていると、団体客がやってきた。日本人の集団のようで、先ほどのお姉さんが俺に向かってウインクしていた。どうやら気をきかせて、相席にしてくれたらしい。

日本人ですか、そうなんですよ、どこ行かれましたか。たわいもない話をしていると、一人の男性が言った。

「いやあ、日本人というのは、すぐ分かりますな」

周りがそう、そう、と同意する。

「似たような見た目でも、やっぱりね。騒いだり、ゴミ捨てたり、そういうことする方も、多いですから」

「あれは、お国柄なんですかね」

横の女性が同意を求めてきた。俺は思わず答えに窮して、手のひらの文字を読み上げ、席を立った。

トルコからジョージアに渡り、再びロシア、ウクライナ、ハンガリー、そしてボスニア。反時計回りに、民族と民族をまたいでいく。


モロッコ

・9月10日。エジプト、カイロ。晴れ。ピラミッドは思ったより小さかったけど、砂漠は大きくて、地平線から月がにゅっと出てきた。喫茶店で女性が話しかけてきて、俺の飲み終わったコーヒーカップを見て「いい運勢ね」と言った。なに占い?

・9月25日。エチオピア、アディスアベバ。標高2300メートル、息が苦しい
。赤道が近いのに肌寒いのは、赤道と標高が打ち消し合っているのだろうか。空港でVIPラウンジに案内されたけど、椅子しかなかった。

・10月1日。ケニア、マサイマラ。標高1600メートル、やっぱり息が苦しい。サファリは壮大だった!

・10月15日。タンザニア、イリンガ。標高1400メートル、そこまで苦しくない。肺活量が鍛えられているのだろうか。路上の猫と遊ぼうとしたけど、相手にされなかった。キリマンジャロ、いつか登ってみたいな。

・10月31日。ルワンダ、キガリ。苦しくない。日本に手紙を出そうとしたら、この国に郵便局はないと言われた。本当?

・11月4日。ザンビア、ルサカ。ジムに行ったらエアロバイク一台しかなかった。

・11月18日、ジンバブエ、ハラレ。0の並ぶ札束を期待したけど、ハイパーインフレ?はもう収束したらしい。

・11月26日。南アフリカ、ケープタウン。春みたいな陽気。なんと寿司食べ放題の店があります。これを楽しみにしていた!まるで自分が歓迎されてる証明みたいな、感無量の味。

・12月2日。ナミビア、デットフレイ。天気はいい感じ。ナミブ砂漠にポツンとあるエリア。白く割れている地面は、むかし沼だったらしい。

・12月11日。ナイジェリア、アブジャ。天気は覚えてない。白タクにぼったくられた。

・12月19日。セネガル、地図にもない村。雨。電気の通らない小屋で寝る。

・12月24日。シエラレオネ、国境。天気は分からない。勾留されてから3日が経った。立ちションしただけなのに、まさか警察に捕まるなんて。素直に賄賂を渡せばよかった。することがなくて、こうやって慣れない日記を書いてみたが、飽きた。いつ出られるんだ。早くヨーロッパに行きたい。

翌日、俺は釈放された。警察官は笑顔で、メリークリスマスと言った。

砂漠のど真ん中でジープは止まって、ドライバーが寝始めた。どこであろうと、彼はきっちり2時間おきに30分の休憩をとる。早朝の砂漠は底冷えして、俺は毛布にくるまって震えていた。

アフリカをぐるりと周り、陸路で名もなき村を転々としてきた。背中の痛い日々が続いたが、次のモロッコで最後になる。アフリカの国境は民族ではなく、政治によって引かれていて、何カ国回ったのか途中から覚えてないけど、その数には意味がないように思えた。

道中で泊まった小さな村で、アジアから来たことを告げると大いにもてなされた。村長は歓迎の印にと言って、現地の言葉で「果て」を意味する名前を俺にくれた。彼らにとってアジアは全部辺境の国でしかなくて、とにかく俺は果てからきた人間なのだった。なんだか肩の荷が少し降りたような気がした。

朝日が、蜃気楼のように霞んでいる。そろそろ30分経った頃だ。ドライバーを起こして、北へと向かおう。

モロッコの都市、マラケシュは混沌としていた。見渡す限り広がる屋台、大道芸人に蛇使い。群がる客引きに自称警察。自分は「フクヤママサハル」の友達だと言い張る絨毯売りから逃げて、迷い込んだのはオレンジ一色の景色だった。

モロッコ名物、オレンジジュース。好きなオレンジを選んでリクエストすれば、その場で搾ってくれる。乾いた街で、新鮮なジュースを飲むのは最高の贅沢だ。切れ味のある酸味が油っこい料理とも合って、観光客はみなジュース片手に歩いていた。

ただいくら人気だと言っても、ちょっと多すぎやしないか。一角全てを、オレンジジュース屋が占めていた。似たような看板と、似たようなオレンジが並んでいる。まったく見分けがつかない。それぞれに名前があり、歴史があるのかもしれないが、まるで同じに見える。どの店にも客が立ち寄っているから、それでも商売は成り立つんだろう。

オレンジは生産地も品種も主張せず、ただオレンジであればよかった。その匿名性が、とても気に入った。果てからやってきた俺は、一面に広がる橙色を、広角レンズで捉えた。


スペイン

スペインには、見るべきものが多すぎる。アルハンブラ宮殿の暗がりの宗教画に、未完成のサグラダ・ファミリア。ユーラシア大陸の最終地点フィニステラで大西洋を眺め、ドン・キホーテの舞台となった風車だけの街を歩く。首都マドリードでは、路上サックスが『上を向いて歩こう』を演奏していた。いくら時間があっても足りない。また来ればいいと自分に言い聞かせて、空港へ向かう高速列車に乗り込んだ。

座席に腰を下ろすと、窓際に薄汚れたメモ帳が置かれていた。ページを開くと、文字でびっしり埋まっている。どうやらこの席に座った人たちが、好きなことを書き込んでいるらしい。

「この国の電車、全然わからない!」

「両替詐欺に遭った。最悪」

「体調が悪く、老夫婦に席を譲ってもらった。ありがとう」

苦情から感謝まであって、結構面白い。中でも多かったのが、旅の記録だった。

「父の社員旅行について来た。これからヨーロッパ中のオーケストラを周るよ」

「20年続けた仕事を辞め、42歳で初めての一人旅。とても緊張している」

「ルクセンブルグの街は、中世の要塞がそのまま残ったみたいで素晴らしかった」

「ベルギーはビールが最高。奢ってもらえてまた最高」

「↑ ベルギーは、チョコレートもいいよ。イチゴにかけて食べるんだ」

「友達と3人で旅行中。声をかけてきた人の家について行ったら、謎のドラッグを吸わされた。OMG」

最後の書き込みには呆れながらも、知らない人の、知らない旅の記憶を追うのに夢中になった。楽しかったという人も、ひどい目にあったという人も、誰もがいつかここに座っていた。固い椅子の上で、無数の旅の記憶が一瞬だけ交差する。なんだかとても奇跡的なことのように思えた。

さて、俺は何を書こうか。ボールペンを握り締め、身を乗り出した。

かつて司馬遼太郎が「黄金の千代紙」と記したオランダの夜景。金色が夜に浮かんで、実に幻想的だった。ゆるいイミグレを通過し、乗り換えのついでに降りてみたのだが、俺はこの国のことをすぐに気に入った。

信号機がほんのりと、暖かく灯っている。立ち止まって吐いた息は、わずかに白い。列車のメモ帳は、もう誰か読んだだろうか。伝えたいことが次々と浮かんできて、柄にもなく筆が乗ってしまった。

街の低いところから、川のせせらぎが聞こえてきた。

「世界一周中。いろんな国を周ったけど、スペインは最高だ。もっと滞在したかったが、またの機会にする。」

「このメモ帳を読むのは楽しかった。やっぱり旅はいいね。人によって旅の形は違うんだなって思った。」

「ところで、俺には国籍が3つある。3つだ。まあ生まれに色々あって、こうなった。」

「どの国にもそれなりの愛着がある。でも正直居心地は悪かった。友達は多い方だけど、誰といても、お前のホームはここじゃないって言われてるみたいで、俺の本当の居場所はあるんだろうかって。国籍なんて関係ない、俺は俺だって思ってたけど、やっぱり苦しくなって、それで俺は旅に出た。」

「最初のうちは変わらなかった。むしろ遠くに来たことで、アイデンティティを問われるようになって、途中で旅をやめようかと思った。だけど東南アジアから中央アジア、中東、アフリカ、そしてヨーロッパに来て、だんだんと変わってきた。」

「誰も俺を知らないし、誰も俺に興味がないんだなって。それがよく分かった。嬉しかった。すっきりした。俺はただ世界に立っているだけでいいんだと分かった。」

「これから北欧に向かう。サンタクロースに会うのが楽しみだ。昔からファンだったからね。」

「それではみんな、良い旅を。」


アルゼンチン

アメリカからメキシコを経由し、グアテマラ、コスタリカ、パナマ。コロンビアに足を踏み入れて、いよいよ最後の大陸、南米だ。麻薬にマフィアに、物騒なイメージを抱いていたものの、第二の都市メデジンは、整然とした街並みをしていた。今のところ危険な目にも遭っていない。露天で買ったスイーツにあたって、猛烈な腹痛に襲われたくらいである。

「ここ数年で、治安はだいぶ良くなったかな」

宿の主人が言った。「Ken」という看板に縁を感じ駆け込んだ建物は、日本人オーナーが経営するホステルだった。ただあいにくトイレはどれも故障中で、結局隣家に貸してもらった。

「マフィアも解体されて、昼間は普通に出歩けるようになったし」

もともとバックパッカーをしていたというオーナーは、ブラジルW杯のついでに寄ったコロンビアにのめり込み、ホステル生活を続けたのちに自分で宿を開いてしまった。メッセージボードには世界各国のゲストからの言葉が記されており、人気を博しているようだ。そんなに繁盛しているのなら、トイレを修理した方がいいと思う。

「あそこに図書館が見えるだろう」

遠くにそびえるビルは、最近建てられた図書館だという。かつてマフィアの本拠地だった地域の治安を改善するために、市はまず大きな図書館を建てた。なかなか大胆で、先進的な政策ではないか。感心していたら、その前をプラカードを持った集団が通り過ぎた。デモだろうか。

「あの人たちは?」

「ベネズエラからの難民。最近増えてるんだよ」

俺のパスポートをコピーしながらオーナーは言った。今夜はこの宿に泊まることにしたのだ。

「彼らと話したことがあるんだけど。国境からここまで、歩いてきたんだってさ。」

ベネズエラまでは、優に1000kmはあるはずだ。祖国を逃れた人々による、果てしない行進。その痛みは、俺には想像もつかない。結局イギリスに行っても、尋ね人を見つけることはできなかった。

「あれ?」

オーナーが俺のパスポートを見て、眉間にしわを寄せた。受付の女の人を呼んで、コソコソと耳打ちをしている。俺は、他の国のパスポートを渡してしまったことに気づいた。追求されると、少し厄介である。だがそんな心配をよそに、オーナーはいきなり歌い出した。

「ハッピーバースデー、トゥー、ケンタロウ」

呆気にとられた。すっかり忘れていたけど、今日は誕生日だった。

「良い一日を」

オーナーはウインクをした。頭の中では、難民たちの足音と、バースデーソングが混ざり合って鳴っていた。

どうしても見ておきたかったマチュピチュを堪能し、ボリビアではウユニ塩湖でお決まりのポーズをとって、チリのアタカマ塩原へ行く。地面を覆い尽くす白色は全部塩で、舐めてみたけどいまいちだった。

惜しむように刻んできたこの旅も、確実に終わりへ近づいている。最後の国、アルゼンチンへと到着した俺は、ブエノスアイレスからバスを乗り継いで、坂道の多い街で降りた。なんだか、生まれ育った場所と似ている気がしたのだ。だけどここはやっぱり違う国で、違う街だった。
歩くこと5分、いきなりケチャップをぶっかけられた。かの有名なケチャップ強盗である。ただこういう目に遭うのはもう慣れっこで、特に動揺することも、モノを盗られることもなかった。図太くなったのか、鈍くなったのか分からない。ともかくシャツが汚れてしまったから、近くの土産物屋へ入った。

トイレでケチャップを洗い流し、その礼も兼ねて、袋いっぱいの土産を買うことにした。店員の青年はすっかり気をよくして、シナモノ、シナモノと言いながらオマケをつけてくれた。日本語を勉強中だという。トモダチ、と呼日ながら俺の手を握った。

「トモダチ、また来てよ。サービスいっぱいするから」

「うーん、でもちょっと遠いかな」

「お金と時間があれば、どこだって近いよ。この街はもう、トモダチのホームだから」

がっしりと握手をし、背中を叩かれて店を出る。ホーム、か。思えば世界のどこかにホームを見つけたくて、俺は旅に出たのかもしれない。

青年には悪いが、ここはホームじゃない。どれだけ景色が似ていたって、どれだけ土産物を買ったって、ホームになりえることはない。いや、この街だけではない。

スポーツバーで飲み明かした金髪の女性も、ラオスでご馳走になったシチューも、イランで受けた親切も。俺に名前をくれた村長も、メモ帳を埋める落書きも。すべてはただ通り過ぎていくだけの景色だった。結局なにも分からなかったし、誰とも分かり合えなかった。俺はあくまで観光者で、アウトサイダーだ。旅をすればするほど、そのリアルを噛み締めるようになった。

けれども、それでいい。寄りかかれないからこそ、俺は自分の足で立つことができる。わかり合えないからこそ、また誰かと話したくなる。無数に走る平行線がひととき交わって、それぞれの道に戻っていく。

坂道の終わりには、寒々とした海が見えた。あの向こうにはパタゴニアの氷河が、そしてさらにその向こうには、南極大陸があるらしい。

南極か。俺はコウイチを思い出していた。彼もアルゼンチンで、この海を見たのだろうか。そろそろ旅を終える頃だろうか。俺があげたモロッコの写真を、ちゃんと渡してくれただろうか。

海岸沿いにはツアー会社が並んでいて、クルーズ船の看板が目に留まった。ここまで来たなら、もう少し寄り道をしてもいいかもしれない。

誰かの旅は、他の誰かの旅へとつながる。俺は値切り文句を考えながら、看板の下の扉を開いた。



4. 「開沢寛之」


東京

父は心配症で、休日の鎌倉は混雑するからと、朝4時に出ることを提案した。まだ暗い江ノ島に到着し、案の定どの店も開いていなくて、家族からひんしゅくをかった。パーキングエリアで入手したフィルムカメラの一枚目、その時に撮った真っ暗な家族写真は、今でも実家に残っている。

当時の僕は体力が有り余っていた。時間潰しのババ抜きにも飽きて、車で家族が仮眠している間、三浦半島めがけてランニングをした。きっかり1時間ほどよい汗をかいて、浜辺で瓶のコーラを開けた。朝日が昇り、海が染まるところだった。写真を撮ろうとしたら、横から犬の真似をした手が入り込んできた。貴重な一枚だと怒ると、姉は欠伸をして言った。

「そんなの使わないで、デジカメにすればいいのに」

「限られてるのがいいんだよ。大切な写真が撮れるから」

「これとか?」

姉の手には、僕が当時好きだった女優の写真があった。お守りのように持ち歩いていた一枚だった。写真を取り返し、仕返しにコーラをかけるふりをすると、姉は笑いながら逃げていった。

ボードを抱えたサーファーたちが、次々と海へ飛び込んでいく。馬鹿な姉は放っておいて、僕は将来について真剣に思いを馳せた。卒業したら、あの海を越えて、色んな国へ行く。そして世界中の山を順番に制覇するんだ。曼珠沙華が風に揺れる、春の日の決意だった。

あれから10年が経った。退院してもすることがなくて、僕はあてもなくぶらついていた。久しぶりの東京はすっかり変わってしまったように見えた。家のあった場所はぽっかり空き地になっていたし、築地市場も、旧東海道を歩いて通った神保町の古本屋も、かつて膨大な一期一会を交わしたアメ横の立ち飲み屋も、それから祐天寺のやきとん屋もなくなっていた。どんより曇った浅草の空には、代わりにスカイツリーが天を衝くようにそびえている。あまりの大きさに、あの山の景色がフラッシュバックした。
視界を遮る吹雪。感覚の消える指先。世界の底に落ちていくような恐怖。気づけば足が震えていた。僕は歩道の真ん中で立ち尽くしたまま、動けなくなった。

雨が降り始めた。はとバスが通り過ぎた。人々は帰路を急いでいた。止まっているのは僕だけだった。筋肉が軋むように痛んだが、立ち続けた。かろうじて動いた右腕でポケットをまさぐり、スマホを取り出そうとした。濡れた指から、スマホが滑り落ちていった。それを最後に、写真を撮るのをやめた。


長野

気さくな運転手だった。八海山を縦走してきたと話すと、捲し立てるように話し始めた。

「いいもんですね、山っていうのは。私、カメラなんかは持たずに登るんですけど。写真を撮るより、自分の時間をとりたいというか。こないだも静岡の大室山に登ってきたんですけどね。雨だと思ったら急に晴れたりして。コロコロ機嫌が変わるもんだから。飽きないですよねえ」

黄信号でブレーキが踏まれる。タクシーはゆっくりと止まった。

「北陸、いいとこでしょ。新潟は隠れた名山もたくさんあるんですよ。富山まで足を伸ばせば、立山連峰の朝日を拝めます。雪の季節は金沢もいいですな。熱すぎるくらいの温泉に入るのがおすすめです。そうそう、雪といえば、ここらへんは豪雪地帯なんですけど」

信号が変わって、車はまた悠長に動き出す。

「知ってます?大地の芸術祭、ってお祭り。世界規模の芸術祭ですよ。私は行ったことないんですけどね。3年に1度、運転に大忙しですから」

一台、また一台と追い抜かれていく。安全運転もガイドもありがたいが、少し急いでもらえないだろうか。僕は心の中で言う。

「あとはやっぱり、食です。魚と日本酒。日本全国に名産あれど、これだけは譲れません。これから長野でしょ?ならぜひ、食べておかないと。知人がやってる店がありましてね」

夕日が美しい街だと聞いていたが、到着した頃には沈んでいた。空いている店がなくて、マクドナルドで間に合わせることにした。あの運転手に話したら、がっかりされるだろうか。ポテトを3つ摘んで、一度に口に放り込んだ。

早朝に長野の安曇野に到着し、燕岳の入り口まで移動する。随分とむかし、父と北アルプスを縦走したことがあった。悲鳴を上げる太ももを騙し騙し、なんとかやり遂げたものだ。あのとき休憩所で飲んだお抹茶は、未熟な舌にも染み渡った。父は缶酎ハイで上機嫌だった。

足の震えをなだめながら、朝霧に濡れた落ち葉を踏む。上空ではトビの群れが悠々と旋回していた。頂上には残雪と、それから人だかりができていた。彼らの目線の先にあったのは、虹だった。それも、見事な丸い虹の輪だ。ブロッケン現象という気象用語を思い出していた。

身体はまだ本調子ではないようで、すっかり息が切れた。よく冷えたお茶を乾いた喉に流し込んだが、味はしない。昨日のポテトと同じだった。大きな虹の輪にも、関心が湧かない。缶酎ハイをいくら飲んでも、まるで酔える気がしない。


香川

バスの終点は海岸だった。空には大きな入道雲が浮かんでいた。最近ではアートの島として有名な直島は、青い港にいくつかの帆船、それから原色のオブジェが並んで、異国情緒を漂わせていた。
小さな城跡と映画館を通り過ぎ、商店街の美容院に入る。四国カルストを経てこの島にやってきたのは、登山とは別の用事があった。

久しぶりに刈り上げた頭は、さっぱりしたというより、そわそわと落ち着かない。慣れないネクタイを何度も結び直し、今にも靴ずれしそうな革靴で石畳を歩く。屋敷のインターホンを押すと、ピンポンというお手本のような音がした。

「わざわざありがとうねえ」

「いえ。墓参りもしたかったので」

一通りの儀礼を終えて、座敷で宴会が始まった。わらわらと人が寄ってくる。

「うどん、どうぞ」

叔母さんが、山盛りの讃岐うどんと、焼きおにぎりをもってきてくれた。細い腕は今でも現役のようで、片手で大きなお盆を支えている。

「あの海の向こうが、豊島。で、そのまた向こうが、小豆島や」

遠い親戚のおじさんが、窓の外を指差しながら言った。

「豊島には心臓音を録音できるミュージアムがあってな。あいつの音も収録されとる」

あいつ、とは6年前に亡くなった叔父のことだ。今日は七回忌で、この場所に来るのは葬式以来だった。

「君も、どうや」

誰かに酒をつがれそうになり、慌てて手で蓋をした。

「そろそろ失礼しないと」

足をさすりながら、僕は申し出を断る。

「今日は遅いから、泊まってき。風呂もいれてあるから」

叔母さんが台所から言った。その隙に日本酒が並々と注がれた。

「最近は不漁でな。あいつがいた海はよかった」

生前叔父さんは、漁師としてちょっとした有名人だったらしい。天気の良い日には大量のハマチを持ち帰り、突然の嵐には港中に適切な指示を出したという。そのリーダーシップは、今でも親戚の間で語り草だ。

「寛之君は、山やろ?」

問いに答えられなかったことが、僕の曖昧な現在地を示していた。亡くなった叔父さんは、いつでも腹を括っていたのだと思う。僕には嵐に飛び込んでいく度胸も、心臓音を残す覚悟もない。いちど始まった震えは、もう止まることはない。かと言ってそれを認める勇気も、持ち合わせていないのだった。


島根

「砂丘の向こうにはな、海がある」

不快な濁声。くらくらする香水の匂い。苦い酒。

「人生もな、一緒や。砂あり海ありってな。山がなくてもええ」

男が弁をふるっている。意味は一つもわからない。

「生きて帰ってこれただけで十分や」

ああ、彼は学生時代の先輩だ。鳥取に来たついでに顔を出したら、景気づけだとキャバクラに連行されたのだった。この意識の混濁ぶりは、かなり飲み過ぎたようである。

「生きてればなんとでもなる」

先輩がそんな話を始めたので、お手洗いにと言い残して、外に出た。雨が香水を洗い落としても、胸のむかつきは治らない。こめかみが痛い。朦朧とする。足を引きずりながら、歩き続けた。

カンカンカン。踏切が鳴っている。なんとでもなると誰もが言う。なんとでもならなかったから、こんな旅を続けている。電車で地面が揺れているのか、足が震えているのか判別つかない。

カンカンカン。貨物列車が近づいてくる。今から踏切をくぐれば、もう登らないで済むだろうか。

カンカンカン。列車は減速して、のろのろと通過していく。こんな速度ではどうにもならない。僕は踏切を乗り越え、車両の連結部分に飛び乗った。このままどこか、遠くへ運んでください。

サンドイッチをろくに噛みもせず、牛乳で流しこんだ。スポンジを食べているようだったが、ともかく栄養が必要だった。

貨物列車で眠ってしまった僕は、そのまま西へと向かい、早朝に出雲で発見された。通報されてもおかしくない状況だったが、幸いにも工事の人に起こされ、事なきをえた。そうして震える身体でたどり着いたのが、この宿だった。疲労がピークにあったから、しばらく滞在することにした。

神無月のことを、出雲では神在月と呼ぶ。八百万の神々が全国を留守にして、出雲に集うからだ。ということはこの宿にも、神様たちが泊まっているのだろうか。ひょっとしたら、山の神様もいるのかもしれない。

土砂降りにも負けず、庭には花が咲き乱れていた。菜の花とドウダンツツジの間から、一匹の子猫がこちらを見ていた。昔あんな子猫を家に持ち帰ったことがある。あの時は姉にこっぴどく叱られた。姉はひどい猫アレルギーなのだ。そういえば、しばらく会っていない。

サンドイッチを囮に、猫を呼び寄せる。するすると足を滑らせるようにして中に入ってきた。ずぶ濡れのまま、か細い声で鳴いた。キュウリを与えてみたが、口が小さすぎて食べられないようだ。皿に牛乳を入れてやったら、美味しそうに舐め始めた。

そういえばここ数日、足の震えが落ち着いている。医者に匙を投げられた症状は、精神的なものに起因しているらしかった。リハビリのつもりで各地の山を登ってきたのも、無駄ではなかったのだろうか。

庭の竹灯りが、後光のように猫に差した。もしかしたら君も、何かの神様なのか。猫の頭を撫でたが、牛乳に夢中で気がつかない。


長崎

あえて鈍行列車とバスを組み合わせることで、車窓を目に焼きつけようと思った。昨年の豪雨で変わってしまった風景は、少しずつ元に戻ろうとしている。その軌跡を辿るように、僕は雲仙岳へと到着した。噴火の爪痕がまだ残っており、立ち入り禁止になっている地区が多く存在する。

山は一日の中でも姿を変えるが、四季が違うとなおさらである。昔来たのはもっと寒い季節で、確か巨大彗星が近づいた夜だった。結局空には何も見えなくて、杉の葉を燃やした焚き火を眺めていた。翌朝にはキツネが現れて、小一時間息を潜めて観察した。生死とはかけ離れたところにある、極めて平和なキャンプだった。

今も平和に変わりないが、山肌が灼きつくように暑い。背中にひっついたリュックの色が、汗で滲んで変わっていく。休憩所で涼んでいると、おばちゃんの団体客がやってきた。僕に気づくとチョコレートを差し出し、カロリー補給が重要だと言った。一度受け取ったが最後、次から次へとおばちゃんの仲間が湧いてきて、我先にとお菓子をくれる。大阪から来た、これからハウステンボスに行く、兄ちゃんは一人か。畳み掛けるように喋る。圧倒された僕は、はあとだけ答え、おばちゃんたちは、暗いなあ!と笑って去っていった。
嵐のあとに残ったのは、抱え切れないくらいの山盛りのお菓子。包み紙を開けて、チョコレートを舌先で転がしてみると、ほのかな甘みが広がったことに驚いた。膨らんだリュックを背負って、膝を拳で叩き、登山を再開する。


京都

沖縄から直行便で京都へ飛んだ。外国人に人気のゲストハウスの予約をとって、あとは丸々空けてあった。ゆっくり悩む時間が必要だった。

ぶらりと自転車で五条大橋を走り、三千院のそばで茶粥を味わう。筏でぷかぷか川を渡り、カフェで炭酸の抜けたクリームソーダを飲む。琵琶湖にも足を伸ばして、海のような湖を眺めた。裾をまくり、素足を浸してみると生暖かい。すっかり筋肉の落ちたふくらはぎを念入りにさすった。

舞妓さんを撮る人だかりを避け、サッカー観戦と思しき集団を避け、四条通りの軍楽隊の行進を避ける。自然と1人になれる方向へ足が向かって、気づけば土地勘のない場所にいた。当てずっぽうに歩けば歩くほど、迷路のような路地に入り込んでいく。じきに来た道も分からなくなった。
別の空間に迷い込んだのかもしれない。そう思うほど、白い壁と黒い道、モノトーンの世界が浮世離れしていた。方向感覚を失ったまま歩き続ける。汗が滲む。鼓動が高鳴る。見てとれるほどに足が震えている。脳裏にあの山が蘇る。夏の京都がひどく寒い。鳥肌が起立する。救いを求めて天を仰ぐと、長方形の空に、鱗雲が速く流れていた。雲の向きに従って、早足で歩いた。まだ歩ける。もっと歩ける。ここで終わらないと言い聞かせた。

急に景色が開けて、高架下に出た。地面が微かに揺れ、線路を嵐電が通り過ぎていく。紫色の車両が、閃光のように空を切り裂いていた。僕は慌ててスマホを取り出し、夢中でシャッターを切った。ひび割れた画面が、紫色で染まった。

山への恐怖と未練、相反する感情が葛藤していた。恐怖に打ち克ちたくて、一方で未練を断ち切りたくて、かつて登った山々を巡った。赤信号か青信号か、止まるべきか進むべきか、山が教えてくれると思った。

だが本当はわかっていた。恐怖も未練も抱え込んでいくしかないと。赤と青の混ざった、紫のグラデーションに生きていくしかないと。

僕はもう一度、ディラン峰に向かうことを決めた。


北海道

ロープから垂れるカゴに注文札を入れ、木槌で叩く。カゴはするすると引き上げられていき、しばらくすると代わりに団子が降りてきた。「かっこう団子」というシステムらしい。団子をかじりながら、終わりかけの桜紅葉を眺める。

帰国して、成田空港からそのまま各駅停車で北へ北へ来た。岩手に入ってからはいつまでも岩手がつづき、各地の名産を食べながらだらだらと旅を続けている。漁港の食堂で食べたホヤの刺身はちょっと口に合わなかったし、わんこ蕎麦は100杯で一人前だとか唆されて、あまりの満腹に動けなくなった。それでも一晩経てばまた腹が減って、こうして団子を頬張っている。生きることはかくも罪深い。

バイトらしき女の子に、お会計を告げた。年頃は高校生くらいだろうか、たどたどしい様子で、お会計もそちらで、とカゴを指差した。木槌を叩くと、またロープが動き始めた。

「このお店はいつ頃からあるんですか?」

待ち時間が気まずくて、僕は尋ねた。

「えっと、随分前からです」

女の子はまごつきながら答えた。

「50年になりますかねえ。この子は3代目ですわ」

店の奥からおばあさんが顔を出して言った。どうやら女の子は、孫らしい。

「炭坑夫の宿を建て替えてね。途中で火事があったり、いろいろ大変でしたけど、なんとか続いとります」

お釣りが乗ったカゴが手元に届いた。登山用のザイルに比べると随分頼りないこのロープは、それでも50年間、彼女らの生活をつないできた。願わくば、これからも切れることがありませんように。

ウミネコが空を羽ばたいていた。北海道に着いた瞬間、解放されたような自由を感じた。フェリーの休憩室はいつも満員で、デッキ階段の下に寝袋を敷いて眠った。日中はカップラーメン三昧で過ごして、そんなことをしていたらすっかり体調を崩した。熱っぽい身体に、寒風が心地良かった。

港の向こうが、煙ったように白くぼやけていた。しんしんと舞い降りた雪が、音もなく道路に吸い込まれていく。この辺は豪雪地帯で、頭まですっぽり埋まるくらい積もるそうだ。牧場の肥えた羊も、取り出し口にガムテープを巻かれた自販機も、誰もが冬の本番に備えていた。僕は雪の降る山を思い出した。

再訪したディラン峰は、遠目からでも恐ろしいほどの険しさだった。予想通り、二度と登れる気がしなかった。ただ予想外だったのは、それでも登山を続けたいと思ったことだ。足の震えは畏れでもあったし、誇りでもあった。この震えを大切にしていこうと、僕は誓った。それがわかっただけで十分だった。
しかしそんなふうに思えたのは、実のところ、あの青年と過ごしたからかもしれない。インドのドミトリーで会った、日本人の青年。不思議と親近感を覚えて、ババ抜きを口実に、一方的に喋り続けてしまった。話せば話すほど、手足の感覚が蘇るような気がした。思いつく限りを吐き出した頃に朝を迎えて、日の昇るガンジス川が、見たことのない色をしていた。
彼は世界中の写真を集めていると言って、だから京都で撮った写真を渡した。ちょっと驚いた顔をしていたけど、ありがたく受け取ってくれた。なにも変わらない旅です、と彼は言っていたけど、それでも行ってよかったと思えるような、そんな旅になったことを願う。

登山道の入り口には、犬ぞりの跡があった。靴底にアイゼンを装着した。アイゼンが雪を踏み固めると同時に、背中の後ろで枝の折れる音がした。息を止めて振り返ると、鹿がいた。

屋久島で遭遇した鹿と同様に、曇りなき眼でこちらを見つめていた。足が震えた。だが恥じる必要はなかった。鹿に別れを告げて、僕は歩き始めた。熱はいつの間にか下がっていた。



5. 「小田仁美」


近所

季節が巡るたび、私は失踪する。

家と病院を往復する毎日で、季に一度だけ許された企み。失踪と言ってもその日のうちに帰ってくるし、県外に出ることもない。ただ突然、失踪してきますと書き置きを残して、あてもなく歩いたり、はじめてのバス停に降りたりするのだ。

生まれ育ったこの街には、観光名所こそないけど、見所はたくさんある。山と海に挟まれて、四季を愛でながら散歩できる。
春には桜並木に足を止めて、夏には鉄板みたいなコンクリートを足裏に感じる。秋には風に揺れるススキのそばで本を読んで、冬には降り積もった銀世界を何時間も歩いたのち、家に帰って蟹雑炊を食べる。ただそれだけ。でも私にとっては、どれもとびきり楽しみな旅だ。

今回の失踪は、小学生の頃の通学路を選んだ。家を出て川沿いの道を進むと、土手の上から水鳥の群れが見えた。先頭に子どもがいて、後ろから親鳥が見守っている。私もああやって、弟の後ろをついて回ったものだ。
水鳥は最近新しくかかった橋の下をくぐったきり、見えなくなった。あの橋を渡れば昔よりショートカットできそうだけど、私は通り過ぎた。正面にいつもの狸の信楽焼が現れて、右折する。あの頃から変わらないラーメン屋の前で、チャーシューの香りを吸い込んで、大通りに出る。当時はここに喫茶店があって、店頭にいつも猫が寝そべっていた。私を初めて、一人旅に連れ出した猫だ。今でもはっきりと覚えている。小学4年生の時だ。

普段はそういう石であるかのように不動を貫いていた猫が、突然立ち上がり、歩き出したものだから、私は思わずあとを追った。集団下校の途中だったけど、気がついたら皆とはぐれて、知らない道にいた。ランドセルにつけた、お気に入りのキーホルダーを握り締めた。風が吹き、木の葉が回転しながら落ちていった。
生まれてからずっと過ごしてきた街なのに、ふと別の次元に入り込んだみたいで、不安と高揚が押し寄せてきた。引き返そうとも思ったが、猫の顔を思い出して、私は右足を踏み出した。

コンクリートの壁が、雑木林に置き換わっていく。山が近いようだ。山には近づいてはいけないと、親からは口酸っぱく言われていた。後から知ったことだが、山奥には大きな砂防ダムがあって、かつて子供の事故が起こったらしい。そんな事情を知らない私は、地面がもう山道と呼べるくらいに柔らかくなっても、歩き続けた。
焦げ茶色の土を踏みしめるたびに、気が大きくなっていった。私はいつ間にか探検家で、猫は探検の口実だった。草花が高くなって、触れた足に擦り傷ができて、それでも歩みを止めない。死んだ松の大木が道を塞いでいても、構わず乗り越えた。私は取り憑かれたかのように、世界のへりへと前進した。

「どうしたの」

透き通った声がして、我に返った。顔を上げると、着物姿の女性が立っていた。真っ白な着物だった。一滴の染みもない白さが、深い山中で現実離れしていた。なぜこんな場所に、という疑問も持たずに私は言った。

「きれいな着物ですね」

女性は微笑んで、着物の袖で私の頬を撫でた。ひんやりして気持ちが良かった。女性は裾を当てたまま、優しく私の顔を右へと向かせた。そっちに行きなさいという意味らしかった。私は素直に従うことにした。振り返りもせず、大股で進んだ。しばらくして道が開けて、視界に飛び込んできたのは小学校だった。別の次元だと思った世界は、いつも教室の窓から眺めていた裏山だった。

今となっては喫茶店は潰れ、跡地には「ボン・ヴォヤージュ」という名の店がオープンしていた。寝そべる猫はいなかったが、旅路を祝福されているようで悪い気はしなかった。
公園を横切り、何度も振り返ってはバイバイを繰り返す子供たちを追い抜いた。5分ほど歩いて、道端に落ちたタオルをまたぐと、あっという間に小学校へ着いてしまった。通学路がむかしより随分短く感じたのは、成長した歩幅のせいか、心のせいか分からない。裏山もどこか小さく見えた。私は腕を組んで、小さくため息をついた。

当面のうちは、今日が最後の失踪になる。家に帰ったら荷物を整理して、病院へ引っ越す必要があった。だからもう少し旅をつづけたかった。別れを惜しむ子供たちのように、バイバイが足りなかった。この街のできる限りを、記憶しておきたかった。
私は思い切って、海まで向かうことにした。夕暮れの山吹色が迫っていたが、急げば間に合うかもしれない。まだ沈まないで。今日を終わらせないで。滲む視界をこすりながら、私は早足で歩いた。

海岸に到着したときには、太陽が海に溶け出していた。防波堤に座って、水面に流れる陽を眺めた。小さい頃、初めて見た海。それまでも、それからも渡ったことのない海。どこか遠い場所につながっている海。どこか、が向こうからやってくる気がして、いつまでもここで待ち続けたかった。

頬になにかがとまって、慌てて払いのけた。私の手をかわして、ひらひらと舞ったのは蝶だった。真っ白な蝶が、私の周りを旋回していた。白い着物みたいな羽を動かし、重力など意にも介さず、無軌道に飛ぶ。そして誘導するかのように、私が来た道を戻っていった。私はついに観念して、水鳥の親子のように、そのあとに従うことにした。


追憶

来年の夏には、家族がもう一人増える。そう告げられた時から、ずっと落ち着かなかった。オムツ替えに、離乳食の準備。算数や国語、公園での遊び方も教えてあげよう。生まれてくる赤ん坊は、私をどんなふうに見るだろう。私は正しいお姉さんになれるだろうか。そうして夏休みの終わりに、母体から外界へ続く長くて短い旅路を経て、待望の弟が生まれてきた。

何をするにも弟と一緒だった。いろんな場所に連れて回った。くりっと丸い目が愛らしくて、一緒にいるとみんなが笑いかけてくる。それが私には誇らしかった。
はじめてのお使いではちゃんと人参を買えたし、はじめての電車では先頭車両で興奮していた。洗面所の三面鏡を合わせてはしゃいだり、レゴの飛行機に乗って旅行したり、家にいても大冒険の日々だった。海に連れて行って、ここでパパがママを口説いたんだよとか、余計な情報まで吹き込んだ。浜辺でスイカを一緒に皮まで食べて、そうやって弟がいろんなことを覚えていくのが、頼もしかった。

毎年の家族旅行も、弟の行きたい場所を優先した。一緒に計画を立てて、旅のしおりと地図まで作って、足が棒になるまで歩き回った。そのうち弟も思春期になって、もう来年は行かないなんて言い出したけど、結局はついてきてくれる。そんなところも可愛くて仕方なかった。

けれども私の体調の変化に伴って、あまり遠出はできなくなった。弟は私を励まそうとして、いつか海外に連れていってやると言った。飛行機が怖いくせに、と私は笑った。旅先で倒れた私をおぶって、病院まで運んでくれたこともあった。その時に作った診察券は、今でもこっそり財布に忍ばせている。

遠出の代わりに、私は絵を描くようになった。家族旅行で行った場所、散歩した場所、弟と冒険した場所。描けば描くほど遠くに行けるようで、夢中になって色鉛筆を走らせた。弟は描いた絵を毎回褒めてくれて、それが嬉しくてもっと描いた。いつまでもこんな時間が続けばいいと願ったけど、そうもいかなかった。

弟が高校を卒業する年に、両親が離婚した。私たちは別々の親元に引き取られ、別々の生活が始まった。かつて大冒険を繰り広げた弟は、その頃から口数が減って、すっかり家に引き籠るようになったらしい。私は私で病院暮らしが本格化して、顔を合わせることはほとんどなくなった。こうやって関係性が変わっていくのは寂しかったけど、仕方のないことだった。

病室での日々は退屈を極め、私は失踪を繰り返した。そのたびにこっぴどく叱られて、理由はうまく説明できなかったけど、どうしても必要だった。ただ体力の低下に伴って失踪距離は短くなって、まるで手足をじわじわともがれるような気持ちだった。色鉛筆すら重く感じて、絵を描くことも減っていった。そして最後の失踪を終えた私は、抜け殻のような日々を送っていた。

ある日、検査から戻ると、病室に人がいた。猫背の後ろ姿で、すぐに弟だと分かった。私はひどく動揺したが、もうそれなりの年齢だから、つとめて平静を装った。

「珍しいじゃない」

うん、まあ、と弟は空返事をし、紙袋を差し出した。

「シュークリームだ。つくってくれたの?」

「そんなわけないでしょ」

そっかそっか、とか相槌を打ちながら、凸凹の生地にかぶりついた。冷たいクリームが、口の中へ勢いよく飛び出してきた。
シュークリームを頬張っていると、弟がテーブルに置かれたスケッチブックと、色鉛筆に目をやった。何も言わずに、じっと見つめている。なぜ置いてあるのか、と無言の質問を受けているようで、急いでクリームを飲み込んだ。

「イケてる遺影を描きたいなって」

私はつとめて明るい冗談を選んだ。

「絵の遺影ってなに」

弟が笑った。今日初めての笑顔だった。だがスケッチブックを手にとり、ページをめくるにつれ、表情はまた元のフォルムに戻っていった。

「なにも描いてないね」

「こんな部屋を描いたってつまらないでしょ」

意図せず声が上ずってしまった。弟は思いつめたような様子で、また空白のスケッチブックを眺めていた。いつも無愛想な弟ではあるが、今日はちょっと様子がおかしい。一段と痩せた私を心配してくれているんだろうか。絵を描けない私に失望したんだろうか。声をかけようとしたら、弟はおもむろに私の手を握った。

「僕、海外に行こうと思う」

へ、と素っ頓狂な声が出た。家から出もしない弟が、海外と口走った。似つかわしくない単語に、口からクリームが出てくると思った。

「旅に出る。旅なんかいらないって思ってたけど、このままじゃ駄目なんだ」

海外かあ。私はぼんやりと思った。どこの国だろう。この子、英語喋れたっけな。私は置いていかれるのかな、そりゃそうか。お金は足りるんだろうか。シュークリーム美味しかったな。1つしか食べられなくてごめん。今度はスイカにかぶりつこうよ。とりとめもない思考の泡が、浮かんでは弾けた。

「遠くに行ったからって、何かが変わるとは思ってないよ。本当は行きたくない。でも行かなきゃいけないんだ。それに」

こうやって弟が自分の意思を語るのは、いつぶりだろう。それだけ本気だということを私は認識していた。だから寂しい。寂しいけど、正しい姉としては応援しなくてはいけない。
笑顔で送り出すイメージトレーニングをしていたところ、弟が恥ずかしそうに、目を伏せて言った。

「それに、約束したでしょ。いつか海外に連れて行くって。僕が姉さんの目になって、遠くの景色を見てくるよ」

ふっと肩の力が抜けた。離れてしまっても、私たちはやっぱり姉弟だ。レゴの飛行機を飛ばし、一緒に海を見て、旅のしおりを作った夜から変わっていない。弟が立ち向かう冒険は、いつも私たちの冒険だった。

「いってらっしゃい、耕一」

12色の色鉛筆が、蛍光灯に反射して光る。私はまた、絵を描けるだろうか。


エピローグ:部屋

真っ白な壁に、真っ白なベッド。正方形の窓に、膝の高さの白いテーブル。私が一日を過ごす、白い病室の全貌だ。私は毎日、この部屋で旅をする。

外国の映画を見たり、ガイドブックを読む。繰り返し目にしているうちに、映像や文字に乗って、心は現地に着陸する。地図を広げて、ストリートビューを起動して、今日はどこに行こうか。ヨーロッパがいい。地中海沿いの小さなホテルに泊まって、海を見ながら朝食をとろう。おばあちゃんがよく焼いてくれた、アップルパイを思い浮かべた。それからゆで卵の殻をするって剥いて、ヒマラヤの塩をちょんとつけて食べる。
波の色のワンピースを着て、首にはビーズのネックレスを巻いた。新聞で読んだ、ウクライナの伝統的な衣装だった。透明なテーブルには透明な花瓶を置いて、実家にあったガーベラの花を挿そう。あれは確かお父さんが枯らしてしまったけど、今日は満開に咲かせよう。そういえばウクライナは地中海じゃなかったけど、それも大した問題ではない。

追憶と想像が溶け合って、狭い病室で旅が生まれる。布団の中で、今日も旅の夢を見る。それで十分だと、自分に言い聞かせる。

視界が霞みがかったように曖昧だ。全身の関節が痛んで、とても起き上がれそうにない。体内を巨大なムカデが這いずり回っているような、おぞましい吐き気があった。口に取り付けられた大仰な機器と、全身を縛りつける管を引きちぎってしまいたいが、そんな力は湧いてこない。

意識だけは明瞭で、なぜ苦しんでいるのかを分析する。そうそう、闘病中だった。随分と長い間、闘ってきた気がする。窓の景色は何度も変わったが、病室で起こった変化といえば、テーブルの位置が移動したくらいだろうか。いくら想像の中で旅をしたって、私はどこにも辿り着けない。飛行機の座り心地も、地中海の風の匂いも、異国のネックレスの肌触りも知らない。

下腹部に鋭い痛みが走った。そういえば、さっき大きな手術を受けたのだった。内臓の一部を摘出すると医者は言った。それで動けないわけかと納得した。手術の結果はどうだったのかは、知りたくもない。

意識を左手に集中させる。心の中で念じると、指先が動いた。勢いそのままに、テーブルに手を伸ばそうとした。しかし腕を1cm動かすだけで、嫌な汗が脇に滲み、わずかに残った筋肉が悲鳴をあげた。私の動作はあまりに緩慢で、はたから見れば止まっていると思われるだろう。
気が遠くなるほどの試行回数を経て、ようやく左手がスマホを掴んだ。唯一登録された電話番号のありかを、指が記憶していた。邪魔をしちゃいけないとわかっているけど、それでも今日だけは声を聞きたい。

数コールのうち、電話がつながった。なにも聞こえない。口をぱくぱくと開いてみるが、声の出し方を忘れてしまった。遠くに行けないどころか、部屋でさえ何もできない。涙の一つも流したいが、流れてこない。内臓と一緒に、心まで摘出されたようだった。電話はそのまま切れてしまった。

手術から半年が経って、私は生きていた。外に出ることはないけど、起き上がって絵を描くくらいには回復した。描くと言っても色鉛筆で紙をなぞる程度であって、出来栄えは惨憺たるものだった。

白い蝶を描きたかったが、思うように筆が進まなかった。足がどこから生えているのか、羽がどのように重なっているのか、そういうことは理解している。でも優雅な羽ばたき、静かな呼吸、そして暗闇を照らす道標のような、あの白色を表現できない。蝶だけではない。私が思い出す記憶は、すべてがハリボテの偽物に思えた。

弟からの便りが届いたのは、そんなときだった。国際郵便のスタンプが押された封筒を、開けるかどうか迷った。今の私がどんな旅行記を読もうと、なにかを感じられるとは思わなかった。それは彼の覚悟に対して、失礼なことにも思えた。だけど中身を確認しないのも、また失礼に思えた。
いずれにせよ失礼ならばと理屈をこねて、封筒の端を破った。中からストンと落ちたのは手紙でも旅行記でもなく、写真の束だった。

写真は11枚あった。大きさはバラバラで、裏に撮影場所が記されていた。横長の一枚目から、私の目は釘付けになった。

水色の写真だった。水色の上に横たわる水色は、海に浮かぶ巨大な氷の大陸だった。裏側には「南極」と記されている。

剥き出しの自然。まるで地球が裸になったみたいだ。よく見ると氷の上には小さな黒い粒が点々としていた。ペンギンのようだ。比較すると氷の巨大さがなおさら際立つ。病室にまで冷気が漂ってきそうな写真だった。

無意識のうちに、私は水色の色鉛筆を手にとり、写真を描き写していた。巨大な氷は、同じ水色でもポイントによって濃淡がある。海に近いほど緑が強く、空に近いほど白が強い。南極の氷を構成するのは、何万年もの間に降り積もった雪だと聞いたことがある。水色の彩度を変化させることは、数千年の時を飛ぶことに等しい。私は震える手で、極めて注意深く色鉛筆を動かした。氷点下の空気を、氷山の崩れる音を、潮の匂いを、画用紙に再現しようとした。

気がつくと、日が暮れていた。鉛筆の削りかすが散乱し、手には水色の跡が残っていた。テーブルには冷めた食事があったが、運ばれてきた覚えがない。時間が飛ぶように過ぎたのなんて、いつ以来だろうか。

完成した絵は、相変わらず線が汚い。昔ならもっと上手く描けたと思う。ただ、いくら稚拙であっても、それは決して偽物ではなかった。

この絵を描いている間、私の意識は確かに南極へ飛んでいた。知らないはずの景色を見て、知らないはずの匂いを吸い込んでいた。この狭い病室の中から抜け出して、私は旅に出ていた。いつものような自分への慰めではなく、そう断言することができた。

冷えたスープをすすると、ほんのりと甘かった。病院食に味がしたのは久しぶりだ。私は幼い頃、弟を連れ回した日々を思い出していた。
大冒険の夜のご飯は、とびきり美味しかったっけ。お風呂はいつもより身体に沁みて、布団はいつもよりふわふわしていたっけ。

私は、弟になぜ旅が必要だったのか、そして私になぜ失踪が必要だったのかを、ようやく理解した。旅とはきっと、こんなふうに意識を日常からひととき切り離すことだ。そして戻ってきた日常で、より豊かな味を、より細かな肌触りを、より鮮やかな色を楽しむことだ。そうやって私たちは、世界に潜む驚きを見つけることができる。

シーツを撫でつけて平らにし、写真を広げた。11枚の写真は、11の旅の記憶だった。まだ新しい色鉛筆を、一本ずつ割り当てていく。

水色は南極海に浮かぶ巨大な氷の大陸に。

橙色はモロッコの屋台に並ぶオレンジに。

黄色はニューヨークのイエローキャブに。

桃色はイタリアの大聖堂を支える大理石に。

緑色はデンマークの街並みを彩る木々に。

青色はハワイの世界一の海に。

茶色は全てを包むガンジス川の濁流に。

灰色はコンクリートが広がるタイの安宿街に。

黒色は霧の奥にそびえる張家界の石柱に。

赤色は九份の坂道に灯るランタンの行列に。

紫色は京都を閃光のように疾る電車に。

そして残った白色の鉛筆は、この白い部屋を舞う、白い蝶を描くために。

色鉛筆を手に、私は日常から失踪する。旅の記憶を追って、0メートルの距離を駆け抜けて、そしてまたここへ戻ってくる。

私の描いた絵が、誰かの0メートルの旅へとつながることを、私は願った。​


Wonder lasts.【名+動】:
「世界から驚きは、無くならない。」


 

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